第99話 別離

 あの騎士の突撃で味方の士気は戻り、どうにか敵を抑えることができた。

 現在は小康状態だが、依然として予断を許さない状況が続いている。

 時折、敵陣からの銃撃で土埃が上がる。運の悪い兵士が何も言わずに倒れた。


「ビンセント」


「はぁ」


 ヨーク少尉が手招きしている。


「ちょっと来てくれ。カークマン、マッキー、少しの間頼むぞ」


「うっす」


 転属早々上官に睨まれるようなことはしていないはずだ。

 とはいえ、かつての上官であるトラバースと違い、ヨークは人格者である。

 そうそう面倒なことは無い……と思いたい。


「入れ。俺はここで待つ」


「は?」


「いいから行け。失礼のないようにな」


 塹壕内には、シェルターを兼ねた休憩所が要所要所に作られており、ビンセントはそこに通された。


「……イザベラさん?」


「ブルースッ!」


 そこには、前線には不釣り合いな女……イザベラが待っていた。

 制服のデザインが変わっている。

 カークマンの言う通り、騎士は女だったのだ。


 イザベラはビンセントの姿を認めると、彼女は駆け寄って抱きついてきた。


「会いたかった……! よかった、無事で!」


「なぜ、ここに」


 イザベラはビンセントの胸に顔をうずめると、泣き始めた。

 しかし、その肩を抱きしめることはできない。

 ……そうするべきではない。


「居ても立ってもいられなくてっ! ……無事でよかった、早く帰ろう? サラ様も心配してるわ」


 イザベラは泥まみれ、煤まみれで、全身に無数の小キズがあった。

 腰まであったポニーテールの髪は肩甲骨あたりで吹き飛ばされ、毛先が焦げている。


「帰ってください」


「私が司令部に話すわ! あなたをこんな所から助けてあげる!」


「こんな所でも、俺の居場所です」


「何言ってるの!? ここ、本当酷いわ! 私なんておしっこ漏らしたもん!」


「いいから早く帰ってください。確かに酷いですけど、ここに居たほうが俺はずっと幸せなんです」


 カスタネに居るほうが、よっぽど辛い。よっぽど苦しい。

 リーチェのほうが、よっぽど楽だ。

 しかし、イザベラがまたバカなことを言い出した。


「じゃあ、私も一緒に戦うわ!」


 もう、魔法など何の役にも立たない。ただの手品だ。

 射撃は一朝一夕に身に付くものではない。

 特に貴族は銃を嫌うので、ろくに触ったことも無いはずだ。

 あのヨークですら銃を持たない。士官は指揮を取るのが仕事なので、不要といえば不要だが。

 はっきり言って、イザベラがろくに戦えるとは思えない。

 だからこそ、彼女を守るために、と覚悟したこの戦いには意味があった。


「足手まといです。ここで行われているのは、本当の戦いですよ。おままごとじゃない」


「でも!」


 ビンセントは困惑した。

 ポケットの中に今もある名もなき兵士の形見。

 イザベラが死んでは、何の意味もない。約束を果たすこともできない。


 ずいぶんと無茶をしてくれたようだが、生きていてくれたのは本当に運が良かった。

 おかげで、まだまだ戦いの意味を見失わずに済む。

 彼女のために、戦える。戦い続けられる。


「ね……? 帰ろ?」


 埒が明かない。

 ビンセントは拳を握りしめ、唇を噛む。

 三つ数え、大きく息を吸い込んだ。


「消えろと言ってるだろッ!! 邪魔だッ!!」


 イザベラが身を震わせ、目尻に涙を浮かべた。


「そ、そんな……私は……あなたのために」


「俺はここに居るのが幸せなんだ、と言ったはずです。あなたでは力不足だ」


 イザベラは崩れ落ちて号泣を始めた。


「うああぁあん!! そんなひどいよぉ……!!」


「お貴族様はお貴族様らしく、レース編みでもやって舞踏会でも行って、素敵な紳士と恋に落ちると良いですよ。さよなら」


 ビンセントは後ろ手にドアを閉じた。


「……さよなら」


「ブルースのばかああああぁあぁぁ…………」


 ドアの奥からは、いつまでも泣き声が止まなかった。


 ビンセントは胸ポケットから紙切れを取り出す。


「…………」


 擦り切れて、ボロボロになった雑誌の切り抜きだ。

 近衛騎士団の研修生のパレードの様子を伝える記事。

 ひたすら大きく映し出されているのはイザベラだ。


 この切り抜きを名もなき兵士から受け取った時、実際に会えるとは思ってもみなかった。

 イメージの中で彼女は立派な騎士であり、当初は本人もそうあることを心掛けていたようだ。

 ビンセントはそんな彼女に憧れていた。


 しかし、一皮むけば夢見がちで可憐な乙女がいるばかり。

 等身大の、ごくごく普通の女の子だった。


 ここで再び会えた時、本当は嬉しかった。

 もう二度と会えないと思っていた、誰よりも会いたかった人だった。

 しかし、彼女を抱きしめることはできない。


 戦争は激しさを増している。

 とてもではないが、生き残る自信は無かった。

 イザベラに向けた言葉も、ウソや強がりではない。イザベラのためを思えば、本当にどこかの貴族と結婚して、安全地帯で何不自由ない幸せな生活を送って欲しかったのだ。


 しかし、それは見たくなかった。

 絶対に見たくなかった。


「…………さよなら…………イザベラさん」


 ビンセントは雑誌の切り抜きをビリビリに破ると、風に散らせた。

 同じポケットに入れていた、イザベラ謹製の勲章。

 オルクからイザベラを守り抜いた時に貰ったものだ。

 サイダーの王冠とリボンでできたそれも、一度握りしめると……捨てた。


「…………」


 塹壕の壁に背を預けていたヨークと目が合う。

 彼は無言でビンセントに歩み寄ると、優しく肩を叩いた。


「ビンセント、泣けるときは泣け。それが一番立ち直りが早い」


「…………!」


 ビンセントは膝をつき、ヨーク少尉に縋りついた。

 止め処なく涙が溢れ、頬を伝っては地面に吸い込まれていく。


 そのまま、一分ほど経ったろうか。

 立ち上がって涙を拭う。


「……し、失礼しました」


「気にするな。部下の士気の維持も士官の務めだ。貴様らのやる気がなくては、戦いようがない」


 貴族の時代は終わった。今は、平民こそが戦争の主役なのだ。


 遠くに飛行機のエンジン音が響く。地上に目を降ろすと、戦車の残骸が視界に入る。

 

 ――将来は機械が戦争の主役になる。だったら心も機械化するべきだ。


「すぐには……無理だろうけど」


 誰に向けた言葉でもない。独り言だ。


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