第98話 リーチェの騎士

 敵味方の弾が飛び交う戦場をイザベラは駆ける。

 そこには、華やかさなどお呼びでない、無慈悲無情の世界が広がっていた。


「や、やめておけば良かったッ!」


 イザベラは、はっきりと後悔していた。

 勢いに任せて飛び出したものの、戦場は自分のイメージとはかけ離れたものだったのだ。

 銃弾、榴弾、迫撃砲弾が雨あられと降り注ぐ。

 その一発一発が命を刈り取る無情の殺戮兵器である。


 一秒ごとにいくつもの命が消えていく。

 これでは魔法など何の役にも立たない。ただの手品だ。

 そして何よりも泥、泥、泥。


「やややヤバイ、これはヤバイわ、冗談抜きで……!!」


 血と硝煙と泥の匂いが混じりあい、独特の臭気が全てを覆う。

 こんな所でビンセントは何年も戦い続けたのである。

 自分ならとても耐えられるものではない。


 再び近くで爆発。

 砲弾の破片は幸いにも当たらなかったが、爆発で巻き上がった土砂が降り注いだ。

 こんな事では、とてもビンセントを探す事などできるはずもない。


 敵の銃撃は苛烈で、自分に弾が当たっていないのは奇跡である。本当に運だけだ。

 それほどに敵の銃撃は激しかった。

 敵の機関銃陣地が再び火を噴くと、空気を切り裂く音が耳元で響く。


「ひいぃっ!」


 敵弾がイザベラのポニーテールの髪を肩甲骨のあたりで吹き飛ばした。

 亜麻色の髪がはらはらと宙に舞い、陽の光を乱反射させる。

 イザベラの顔は恐怖で引きつった。

 血ではない、生暖かい感触が太腿を伝わる。


「おおおしっこ漏れたッ!?」


 新型のズボンは暗色であり、失禁は意外に目立たない。

 従来の白であれば乙女のピンチだ。しかし、気にしている余裕はない。


 銃撃は続く。

 胸甲に弾が当たり、鈍い音を立てて弾かれる。

 もう少し角度があれば危なかっただろう。イザベラは新素材に感謝した。


「オゥフ!!」


 勇敢な、あまりに勇敢なエクスペンダブル号はその足を決して止めることはない。今ここで止まれば、ただの的にしかならないことを知っているのだ。

 不規則に加速し、減速し、ジグザグに走る。

 決して一定の速度では走らない。そんな事をすれば、敵も当然動きの先を読んでくる。

 自ら弾丸に当たりに行く結果となる。


 エクスペンダブル号にいかなる過去があるか、言葉なしでもよく分かる。戦場で実戦に慣れた、ベテランの軍馬だ。

 まさしく歴戦の勇士、ただの老馬ではない。

 普段は馬らしからぬ変顔と奇声で周囲を和ませているが、そんなものは仮面に過ぎなかったらしい。

 銃というものを理解し、その威力を知った上で果敢に立ち向かう勇者の中の勇者だ。


「ンフーッ!!」


 脚力も普段は手を抜いていたようだ。

 イザベラを背にカスタネからリーチェまでの山道を自動車もかくや、といった猛スピードで駆け抜けたのである。

 こんな馬が馬車込み金貨二枚など、通常は有り得ない。


「フォオオオオッ!」


 しかし、その騎手はこれが初陣であった。騎士とは名ばかり、暴力の対極にある、か弱い乙女。白馬の王子様を待つ立場。

 憧れのあの人に逢いたくて、辿り着いた先がこの世の地獄。

 涙が、鼻水が、泥水が、せっかくの化粧を流していく。


「お、おうち帰るーッ! もう嫌あああぁあぁーッ!!」


 こんな時、ブルース・ビンセントはいつも自分を助けてくれた。

 しかし、さすがに今回ばかりはどうしようもない。彼がどこにいるかもわからない。わかった所でそこまでたどり着けそうもない。

 全員が全員同じような服を着て、同じような武器で戦っているのだ。

 結局、彼は一兵士にすぎない。


 もう終わりかと思ったその時、前方に陣取る敵軍の一個小隊が吹き飛んだ。

 味方からの援護射撃である。


「――――!」


 撃たれた敵兵の惨状を見て、吐き気がした。

 死体は身体がバラバラで、もう人間の形をしていない。

 今までにない大口径の機関銃らしい。


 まるで楽器を奏でるかのように、その重機関銃は射撃を続ける。

 敵兵士の死体が積み上がっていく中、どうにか吐き気を抑え込む。


「エクスペンダブル! あ、あれあれ! あそこ入って!」


「ブホッ!」


 敵が怯んでいるうちに、どうにか手近な味方の塹壕に滑り込んだ。

 転がるように馬から落ち、へたり込んで呼吸を整える。


「ハアッ、ハアッ……!」


 ――舐めていた。


 銃弾の飛び交う戦場では、死があまりにも身近であり、死ぬことが当たり前すぎる。


「ブルース……ごめんなさい……私の力じゃ、あなたを守るどころか、生き残ることすら怪しい……」


 イザベラは膝を抱える。

 決してイザベラは弱いつもりは無かった。王立学院では、剣術も魔法もトップクラスだった。単純な腕力も、カーターには劣るもののビンセントと比べて遜色はないつもりだった。


 しかし、そんなものは全く役に立っていない。

 たとえ今の十倍の、いや百倍の魔力を持っていたとしても、戦況を変えることは不可能だ。


 もはや、個人の力でどうこうという時代ではない。

 教科書に載っている戦い方など、完全に過去の遺物だ。


「こんな戦いを四年も……?」


 問題は、イザベラを含めた多くの貴族が戦場の現実を知らなすぎる事。

 平民の兵士の犠牲に無頓着すぎる事だ。

『ただの数字』でしかない平民が見ている世界が、貴族の見ている世界とあまりにも違いすぎる。


「だからクーデターかっ……! 納得ね……」


 一息つく間もなく、イザベラの周りにはすぐに人だかりが出来た。

 誰しも無言である。


「……な、なんだ?」


 兵士たちの数は十五人ほどだろうか。

 誰もが無言で、イザベラを取り囲む。どうやら全員平民のようである。


「ど、どうした、お前たち。持ち場に戻れ」


 返事は無い。互いに目配せをしている。


「わ、私は味方だぞ! 近衛騎士のイザベラ・チェンバレンだ」


 イザベラが名乗ると兵士たちはざわめく。

 手近な兵士の咽頭が動いた。

 イザベラの背筋に悪寒が走る。

 飢えた獣の檻の中に野ウサギが一匹放り込まれたという事に、彼女はようやく気が付いた。

 このままでは食べられてしまう。性的な意味で。


「ま、ままさか私を輪か――」


「先ほどの突撃、感服いたしました!」


「――エロ同……へ?」


 貞操の危機かと思われたが、かけられた言葉は意外にも称賛であった。

 一人が口を開くと、雪崩を打ったように口端が開かれる。


「自分は、もう戦いの意味を見失っていた所でした! でも、騎士殿に勇気を頂きました!」


「あんな勇敢な姿を見せられては、我々もまだまだ頑張らなくては!」


「あなたこそ騎士の鑑です! 今時あんな事はだれもやりません!」


「チェンバレン様、ばんざーい!」


 イザベラは努めて冷静を装い、立ち上がる。


「あ、あのくらいどうという事はない。あは、あはは」


 そこでイザベラは言葉を切り、兵士たちを見回す。

 ビンセントと同じ制服。

 ビンセントと同じ武器。


「…………」


 そして、ビンセントと同じ目。

 全てを諦め、死んだような光の無い瞳。

 それでも彼らは戦い続けている。


「本当に勇敢なのは、みんなだよ。いつもありがとう。本当に感謝している」


 ◆ ◆ ◆


「どうやらあの騎士を死なせずに済んだな」


「ええ」


 騎士が味方の塹壕に滑り込むのを確認すると、ヨーク少尉は一息ついた。


「司令部は混乱の極みにあり、我々まで伝令を出す余裕がない。この隙をついて敵は前進してくるだろう」


 ビンセントたちは息をのむ。


「しかし、慌ててはならん。今まで通り、よく見て、聞いて、考えろ。あの騎士を見ただろう。味方の士気は上がっている。守り抜くぞ」


「了解!」


 ビンセントは機銃座で押し金を押す。

 再び重機関銃が唸りを挙げ、小銃の射程外から敵陣に弾丸をばら撒く。

 ひたすらに撃ち続ける。

 足元には薬莢の山が築かれていく。


 命を刈り取る単純作業。

 しかし、止めれば立場があっという間に逆転する。

 ビンセントは戦い続ける。納得できる理由のために。



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