第97話 ブルースドラム

「あれを見ろ」


 ヨーク少尉が指さす方向に目をやる。塹壕を飛び越え、一人の騎士が斬り込みをかけようとしているのが見えた。


「よくもまあ、あんな無茶をやりますね」


 ビンセントは溜息をつく。

 距離があるので騎士の顔はわからない。

 このままでは敵の機関銃に蜂の巣にされるのがオチだ。


「だがな、戦場の煌めきが失われて久しい。今や兵士たちが機械で自動的に殺戮され、それを何とも思わない貴族がほとんどだ」


 馬は相当に慣れたベテランらしく、不規則な動きで敵弾を巧みにかわしていた。


「遺憾ながら兵士は使い捨ての消耗品、ただの数字に過ぎない。だがそんな中、あの騎士は自分自身が先陣を切って戦っている。誰にでもできることではない」


 双眼鏡を降ろしたヨーク少尉は、目に涙を浮かべていた。


「俺も……かつてはあんな騎士の姿に憧れたものだ」


「騎士……ですか」


 ビンセントは騎士という言葉にイザベラを思い出した。

 もし彼女がここにいたら、きっとあのように先陣を切って突撃するだろうか。


「…………」


 普段は毅然とした態度で勇敢な振りをしているが、はっきり言って臆病なのでやらない可能性が高い。

 イザベラが口先ばかりで臆病な、ただの夢見がちな乙女である。そのことにビンセントはとっくに気付いていた。


 彼女を決して戦火に晒してはならない。

 彼女のような人が安心して暮らせる世界こそが、ビンセントの望み。

 そのために自分ができることは何か。

 微力であっても、戦う事ではないか。


 ヨーク少尉が涙ながらに言う。


「見ろ、あれが騎士道だ。あれこそが騎士のあるべき姿だ。捨て置く訳にはいくまい。ビンセント、援護してやれ」


「了解!」


 機銃座に付いたビンセントは、クレイシク王国の陣を見る。

 サラやイザベラと出会う前まで、ビンセントがいたあたりだ。

 クレイシクが戦車を投入したことで、エイプルは後退を余儀なくされた。

 しかし、その戦車は今では両軍の陣の中間、いわゆる無人地帯で擱座している。

 その巨体を動かすためのエンジンは、まだまだ信頼性が低い。

 半数が故障して放置され、半数はエイプル軍兵士の必死の肉弾攻撃によって破壊されていた。


 この重機関銃があれば、たとえ戦車とて物の数ではない。

 口径は十二・七ミリ。

 同盟国オルス帝国から供与された、圧倒的な火力を誇る最新型である。

 銃身の加熱を防ぐ冷却水の消費が激しいのが難点だが、一発一発が対戦車ライフルに匹敵する、まさに超兵器だ。

 三脚を含めて五十八キロもあり、当然動くことはできない。


 ビンセントはハンドルを強く引く。一回。二回。

 騎士の前方に展開する敵兵士に狙いを付けた。

 今、まさに騎士に狙いを付けようとしている。


「撃ち方はじめ!」 


 ビンセントは押し金を押す。

 ドラムのような発砲音と眩い発火炎。

 銃身は一瞬で加熱し、銃身を冷やす冷却筒と復水器の隙間から蒸気が漏れ、辺りを覆う。

 敵の兵士は一個小隊がまとめて吹き飛んだ。


「冷却水の残量に気を付けろ! カークマン、ビンセント、ありったけぶち込んでやれ!」


「了解ッ!」


「了解!」


 ヨーク少尉はマッキーにも指示を出す。


「マッキー、弾と水を絶やすなよ! お前に全て掛かっている!」


「了解!」


 轟音は鳴り止むことを知らず、足元には一本一本が太いペンほどもある薬莢の山が築かれていく。

 あの騎士を死なせる訳にはいかない。

 ビンセントの憧れる、あるべき『男』の姿がそこにあった。


 言うなれば、白馬の王子様。

 エリックのようなスケコマシとは違う。彼こそは本物だ。


 妹の持っていた絵本の中に出てくる、勇敢で、優しく、逞しい騎士。

 そんな姿に憧れるのは、何も女の子だけではない。

 男の子だって、囚われの姫を助ける王子様になりたいのだ。

 しかし、現実はそうはいかない。その枠はあまりにも狭い。


 地べたを這いずり回ってわかったことがある。

 王子様には、その足元を固める家来が必要だ。その家来無くしては、どんな王子様も、何の活躍も出来やしない。

 物語に語られる事のない、裏方の役目。決してスポットライトは当たらない。しかし、必要だ。

 無数のモブキャラクターの中の一人に過ぎないとしても、その役割には意味がある。


 それが、自分自身だ。

 いつの日か、イザベラも、マーガレットも、サラも。

 それぞれの王子様と出会うだろう。

 もちろん、故郷で帰りを待ってくれている、たった一人の妹も。

 彼女たちの幸せな笑顔を守る騎士、更にそれを守るのが自分たち兵隊だ。


 戦え。戦え。戦え。


 自分に出来ることは、それだけだ。


「カークマン! 次ッ!」


「ほらよッ!」


 八メートルもある弾帯を交換し、再び撃ちまくる。

 地面に落ちる薬莢が、楽器のような音色を奏でるのが、発砲音の中からでも聞き取れた。材質は似たようなもの。

 ヒーローの活躍には、テーマ曲が必用だ。

 王子様の音楽隊。映画好きのビンセントには、伴奏の重要性がよく分かっていた。

 音楽隊が居るのと居ないのとでは、雰囲気がまるで違う。

 ここでも、また一つ自分の有り様を見つける。


「司令部との断絶は、頭脳を失うのと同じこと! 今の我々は、まさしく将を失った烏合の衆でしかない。それを纏め上げるためには、ああいった無謀と紙一重の勇気が必要なのだ。きょうび、あんな貴族は居ないだろう。総員、撃って撃って撃ちまくれッ! あの騎士を死なせるな!」


「了解ッ!」


 ドラムのように鳴り響く銃声は、どこぞの貴族がギターで奏でる愛の歌より、ずっとずっと心のこもった、否、命のこもった音色だ。


 カークマンが冷却筒に水を注ぎ込む。

 忙しくてたまらない。

 しかし、この銃が沈黙すれば、もう後はない。


 ふと、カークマンが呟いた。


「あれ、女じゃないか?」


 考えづらい事だった。

 女騎士の任務は、女性王族の護衛と政府広報への協力が主である。

 王族はサラ一人だけ。イザベラはカスタネに居るはずだ。

 前線に立つ事などあり得ない。


「そんな訳あるか!」


「そうかなぁ? 女に見えるけどなぁ? よし、もう撃てるぞ」


 銃撃は続く。果てしなく続いていく。

 ヨーク少尉の叫び声が響く。


「敵は怖気づいているッ! 弾幕を決して絶やすなーッ!」


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