第95話 英雄物語

 マーガレットは目を見開いた。

 今は確かに国の一大事だ。私情にかまけている場合ではない。

 つい色々と考えてしまうが、サラの一言によって意識は現場へと戻ってきた。

 サラがウィンドミルに詰め寄る。


「聞こえなかったのかー? 向かうのは王都だー」


「し、しかしですね」


「ようするにだなー。おまえはこう言いたいんだろー? 『王女を助けて戦った英雄が平民では困る』ってさー」


「…………」


 ウィンドミルは目を逸らして黙った。言葉を選んでいるようだ。


「おー。図星だなー?」


「そんなことはございません、殿下。これは純粋に戦力的な問題でありまして、交代もせずに彼らがずっと同一任務に就いていたことが異例なのです」


「じゃあ、なんでブルースとカーターを最前線におくりかえすんだー? 『まるで口封じ』みたいに『一発の弾丸で戦端が開かれる』ようなところにさー」


 ウィンドミルはハンカチで汗を拭った。


「口封じですって!? あなたねえ!」


 掴みかかろうとするイザベラをサラは押し留める。


「イザベラは黙ってろー。ウィンドミルー、おまえの言う事もわかるんだよー。クーデターの主犯は、『ルクレシオン』なんだろー?」


「ちげーよ! あんな奴ら、破門だ、破門! もうルクレシオンじゃねぇ」


 ケラーは否定する。彼こそがルクレシオンの首魁なのだ。

 ウィンドミルの顔からは表情が消え、淡々と仕事をこなす役人の顔が戻った。


「……おっしゃる通りです、殿下。厳密にはその中の『マイオリス』という派閥ですが」


「貴族同士の仲間割れかよー、情けないなー。第三連隊はさしずめ命令に従っただけだろー?」


「マイオリスに与しない貴族をまとめ上げて、王都の奪回を行う必要があります」


 イザベラが鼻息を荒くしてサラの意見に乗っかる。


「魔法はもう陳腐化して役に立たないんでしょ! 私知ってるもん!」


「平民では旗印になり得ません。確かに近代兵器は魔法を凌駕していますが、しょせん平民は平民なのです。ご存知ですか? 平民はあなたの小学校時代のお小遣いほどの金額で、毎月毎月暮らしているのですよ」


「くっ……」


 聞きながらマーガレットは、ビンセントと冒険者ギルドへ行った時のことを思い出した。

 軍隊の一等兵の月給は金貨一枚と銀貨五十枚だという。

 正直を言って驚いたものだ。 


「実際に現場を知る者などおりませんので、『貴族が旅をしながら王女を守った』、という『わかりやすいストーリー』が必要なのです。そこで平民が活躍しては、逆に分裂を促進しかねない。結局、彼らはどこまで行っても平民なのです」


「その平民がだなーっ!」


 サラはテーブルを叩く。

 手が小さいので音は控えめだが、言葉にはなんとも言えない威厳がある。


「その平民が、このわたしを命をかけて守りぬいたんだからなー? 勲章どころか爵位あげてもいいくらいなんだぞー」


 ウィンドミルはハンカチで汗を拭いながら、しどろもどろに応える。


「しかし、叙爵には元老院の五分の四の賛同が必要です。『マイオリス』が実権を握っている以上、不可能です! ジョージ王ですらできなかったのですよ?」


 ジョージはエイプル王国にとって、最後まで流民身分のままであった。

 マリア王女との交際と結婚、先王の王権行使、何よりもジョージ自身が天涯孤独であったこと。

 ほかの貴族にとって、特にデメリットがなかったからこそどうにか通った特例である。

 ビンセント家は両親と妹が健在であり、叙爵すれば新たな特権階級が生まれてしまう。


「だから何だよー。わたしは王都にいくといっただろー? そもそも君主制国家で王が逃げたら、まずブンレツして内戦じゃんかー。旗印はわたしがやればいいんだよー」


 サラは強い意志をたたえた瞳でウィンドミルを射抜く。

 幼いながらも、王族としての威厳というのものが、そこにはあった。

 ウィンドミルが、おそらく無意識に姿勢を正していた。


「し、しかしですね」


 王族とはいえ、サラはまだ子供。

 子供を鉄火場に立ち入らせる訳にはいかない。その理屈もわかるのだ。


「なら、こうしようかー」


 サラは笑みを浮かべ、黙っているケラーに顔を向けた。


「まず、ボールドウィン家の処分をテッカイするぞー。これなら議会はかんけいないよなー?」


「殿下の仰せの通りにするぜぇ。ボールドウィン家、お家取り潰しを今ここで撤回! サラ王女殿下の名代として、摂政ニコラス・ケラーが宣言だコノヤロー」


 再びケラーが酒瓶を煽ると、サラの口端は吊り上がった。


「カーターのこと、これからはボールドウィン侯爵と呼ぶんだぞー」


「えっ? あの筋肉が!?」


 カーターは軍では一等兵である。下っ端も下っ端、はっきり言ってその他大勢だ。元貴族とは聞いていたが、侯爵とは驚きを禁じ得ない。

 家柄だけで言えばエリックと同格である。

 一体いかなる問題を起こしたのだろうか。


 ウィンドミルは顔を上げる。


「なるほど、思い切った事を……確かにそれならば、僅かな調整で済みそうです。ご希望に添えるかもしれません。『元侯爵がお家取り潰しにも関わらず、王女を守って旅をし、お家再興を成し遂げる』、これもまた『わかりやすいストーリー』です」


「ああ、わかりやすいねぇ。お前も物分かりが良くて助かるぜ、ウィンドミル」


 明快な貴種流離譚。イメージ戦略としてはこれ以上のものは無いと言える。


「ただ、ビンセント一等兵は……」


「イザベラー。マーガレットー」


「は、はい」


「な、なんですの?」


 マーガレットは姿勢を正した。


「おまえら、どっちかブルースとケッコンしろよー」


「えっ?」


「わわわわ私とブルースでしゅか?」


「マーガレットでもいいけどなー」


 思わず胸が高鳴る。

 悪い話ではない。貴族の結婚には国王の許可が必要だ。

 この場合もサラは子供なので、摂政が代役を務める。

 ……朝のあの忌々しい出来事も忘れられる。


「そ、そうですわね……まぁ、ブルースが望むなら――」


 マーガレットを押さえつけ、イザベラが身を乗り出した。

 顔を真っ赤にして唾を飛ばしながらまくし立てた。


「わ、私! 私がやります! デュフフ、王女殿下のご下命とあらば、やむを得ません! この身を賭して、お国のためにただの平民の嫁になりますッ!! フヒヒヒ、お国のためですから、お国のためッ!! 政略結婚です!! これはやむを得ないことなのですブヒィ」


「ちょ、いきなり何ですの!?」


 イザベラがまたおかしなことを言い出した。ひどく興奮しており、口許からは涎が垂れていた。

 サラは無視してウィンドミルに向き直る。


「身分がどうとか言うのは、わたしの父様に対する不敬だからなー? 父様は流民出身だぞー。平民よりも身分が下なんだー」


「……なるほど。かなり思い切った決断です。それでしたら彼を処分せずに済むかもしれません。私もビンセント一等兵の人柄はよく存じておりますし、処分は反対でした。会議に掛ける価値は十分にあります」


「やっぱり処分するつもりだったんだなー」


 ウィンドミルは答えない。あからさまに話題を逸らす。


「実際、市中の平民においても、王家それ自体に不満を持つ者は少数なのです。報道は規制しましたが、やはりどこからか漏れているようでして。『悪い貴族が王女を追い出した』という噂が流れています。上手く行けば平民からの支持も得られるかもしれません」


 何やら話がどんどん進んでいく。

 そもそも、ビンセントもカーターもこの場には居ないのだ。

 本人不在でこれ以上勝手に話を進めるのも問題がある。


 不意にノックの音が響いた。

 入ってきたのは冒険者ギルドの受付嬢だ。


「会議中失礼します。総理……」


 受付嬢はケラーに耳打ちする。

 最初は横乳を凝視していたケラーも、段々と真剣な顔になっていった。


「おい、リーチェが敵襲を受けてるぞ」


 全員が青ざめた。

 今は新政府によって停戦交渉が行われているはずなのだ。

 それはすなわち、交渉の決裂を意味する。


「ウィンドミルー。ブルースとカーターに、命令を伝えたのはいつなんだー?」


「今朝です。リーチェ行きのトラックがありましたので、同乗させました。ビンセント君は何だか色々あったようですが、ご存知ですか?」


 全員、何も聞いていない。


「困ったなー。自動車はあるのかー?」


 自動車を使えば、リーチェまではあっという間だ。

 ウィンドミルはかぶりを振った。


「カスタネの自動車は既にリーチェ方面に集めています。我々が使えるものは一台もありません」


 しばしの沈黙。

 それぞれの胸にいかなる思惑が渦巻いているかは、マーガレットにはわからない。

 しかし、ビンセントに危機が迫っていることは間違いない。

 会議はいつしかビンセント救出が議題になっていた。なお、カーターは忘れられている。


 沈黙を破ったのはイザベラだ。


「おしっこしてきます」


「あなたねぇ、他に言いようがあるでしょう!」


 マーガレットは頭を抱えた。

 大事な話をしているのに、緊張感の無いことこの上ない。

 そもそも貴族、いや年頃の娘であれば他に言いようがあるはずだ。

 さすがに表現がストレート過ぎる。


「何よ。漏らしたらあなたが掃除してくれるのかしら? べちょべちょのパンツも洗ってね、マーガレット」


「早く行って」


 下品すぎる。ビンセントやカーターも苦労したことだろう。

 イザベラは立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。


「ハァ……あのおバカ。ブルースたちが大変な時に……」


 しかし、聞こえてきたのは水洗トイレの音ではなかった。

 窓の外で声が響く。


「来いッ!! エクスペンダブルッ!」


「ンア゛ッー!!」


 まだらの牡馬が奇怪な雄たけびを上げるのが街中に響き、蹄の音が遠ざかっていった。


「あれが馬の声たぁ、世も末だな。つか、本当に馬かぁ?」


 ケラーはまた酒瓶を煽った。

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