第94話 新しい仲間
果てしなく続くかと思われた砲撃は、意外にも短時間であっさりと止んだ。
ビンセントもカークマンも無事だ。
どれだけ砲弾を撃ち込んでも塹壕に篭もる歩兵には効果が薄い。
幸運にもヨーク分隊に被害は無かった。しかし、これは本当に幸運だったからだ。
別の部隊でどれだけの被害が出たかは計り知れない。
それでも、とりあえずビンセントは胸を撫でおろす。
「もう終わりか? 隊長、どうします?」
ヨーク少尉は、しばし考え込む。
「様子が変だな。敵の出方を見よう。警戒を怠るなよ」
「了解!」
味方に動揺が広がっている。
困ったことに、敵情を報告し司令部からの命令を伝えるべき伝令兵が来ない。
そして、何よりも電話に応答がない。異常事態だ。
「お前たち。オルス帝国がチェラズスの戦いで、ピネプル共和国の塹壕陣地を突破した件は聞いているか? それも戦車無しで、だ」
二人ともかぶりを振る。もちろんそんな話は知らない。
この戦争は元をたどれば、ともに小国であるエイプル王国と、クレイシク王国の小競り合いだったはずだ。
それがいつの間にか、オルス帝国率いる同盟軍と、ピネプル共和国率いる連合軍の全面戦争になっていた。
そうなった経緯については諸説あるものの、『自動的にそうなるシステムがいつの間にか出来上がっていた』というのが一般的には知られている。
そもそもオルス帝国とピネプル共和国は隣接する軍事大国同士であり、お互いに相手国を仮想敵として長年にらみ合いを続けていた。
周辺諸国を自らの陣営に引きずり込むべく外交戦が繰り広げられ、いつの間にか大陸を真っ二つに分けた『冷戦』の様相を呈していたのだ。
ピネプル陣営であるクレイシク王国の青年が、オルス側のエイプル王ジョージを殺害した事件で始まった戦争は、自動的に両大国の参戦を招いた。
鉄道ダイヤによって綿密に組まれた総動員体制は、部分動員に途中で切り替える事ができない。
結果、各国で歴史上最大の兵力が投入された。
大陸中が程度の差はあれ戦火に巻き込まれたのである。
特に両陣営の盟主であるオルスとピネプルの戦争は凄惨を極めた。
皮肉にも、火元であるエイプルやクレイシクなどとは比べ物にならない犠牲者が今も出続けている。
『犠牲を無駄にできない』
そんな意識が、無駄に戦いを長引かせた。
外を攻める力のないエイプルは最も損害の軽い国の一つである。
「俺も概略しか知らないので詳しい事はわからんのだが」
そう前置きして、ヨークは話を続けた。
「オルス帝国がチェラズスの町で取った新戦術……知っているか?」
ビンセントもカークマンもかぶりを振る。
「砲撃で敵を混乱させ、防御の弱い所に少数の精鋭部隊を送り込んで突破、そのまま司令部――すなわち頭脳を奇襲、制圧して手足である前線部隊を無効化する、というものらしい。今の状況と似ていないか?」
「怖いもんですなぁ」
カークマンはわかっているのかどうか怪しい。
声を出すのと連動して鼻毛が揺れた。……また出ている。
適当に相槌を打っているようにしか思えない。
正直を言えば、ビンセントにもよくわからない。ヨーク少尉はインテリである。
たしか、王立学院を優秀な成績で出ているはずだ。
美人の婚約者が居るとかなんとか……。
「怖いのはこの後だ。大陸戦争は終わっていないのに、我が国は同盟国を無視して勝手に停戦交渉を始めてしまっている。これが何を意味すると思う?」
ビンセントが答える。
「つまり、……裏切りと?」
「うむ。エイプルはの強みは科学力だったが、諸外国に追いつかれた今、頼みの綱は何だ?」
今まで旅行など、殆どしたことのないビンセントである。
どこの町も畑が広がっているイメージしかない。
「ええと……農業、とか」
「その通り。我が国は食料が豊富なのが強みだ。オルス帝国は食糧不足が深刻らしい」
「そうか!」
カークマンが手をポン、と叩く。
「敵に回るくらいなら、制圧して畑を分捕ってやろう、って訳っすね!? そして、攻めるならこのリーチェ! リーチェを落とせば各地に迅速に進軍できる。特に、王都へは自動車なら一日ちょっとって訳だ」
このリーチェには、かつて画家に人気だった二本のモミの木があった。
その辺りはオルス帝国とも国境を接している。
オルス軍が上手く動けばクレイシク軍を迂回することもできなくはない。
エリックも絵の題材にした辺りだ。
ビンセントはエリック自身は大嫌いだったが、彼の作品は割りと気に入っていた。作品に罪はない。
「……戦争をやめようと思ったらもっと敵が増えた、エイプルの入口はここ、そういうことですか?」
「ビンセント、お前もやっとわかったか!」
面倒なので、あえて反論はしない。
今度はカークマンにもわかったようだ。自信満々である。
「確証は無い。だが、大陸戦争は事実上、すでにお互いその大義を失っているし、オルスもピネプルも国力はそろそろ限界だ。長くは続けられないだろう。つまり……」
ビンセントは喉を鳴らした。
「ここを守り切れば、諦める……そういうことですか」
ヨークは腕組みし、薄ら笑いを浮かべながら頷いた。
「そういう事だな。……さあ、戦争を続けよう!」
塹壕の中を兵士たちが駆け回る。
戦いは始まったばかりだ。
ビンセントとカークマンは、壕の中に分解して隠しておいた重機関銃を取り出す。
「よいしょっと!」
かがんだカークマンの襟元からひょっこり覗く、雑誌のような紙束。
隠しているつもりらしいが、襟から覗く表紙は明らかに肌色が多い。
むしろ、同じ雑誌を持っている。
端的に言えばエロ本だ。ビンセントも毎月買っている、百合百合なエロ本だ。
表通りの書店では販売されず、路地裏で密かに売られる特殊な本だ。
「……カークマン、お前さ」
「いいから手を動かせ!」
「すまん」
ヨーク少尉が近くの二等兵に指示を出す。
「マッキー、お前も二人と組め。ビンセントが分からなそうな事があれば教えてやれ」
「はっ!」
ビンセントは一等兵。マッキーは二等兵なので、階級はビンセントが上だ。
しかし分隊ではマッキーの方が先輩で、様々な分隊独自のルールがある事だろう。
以前はテレパシー能力が必須であったため、助かる。
もちろんテレパシーという魔法は貴族でも無い。上官や先輩の知っていることは、説明無しでも知っていなければならなかったのだ。
「重機関銃の使い方は大丈夫ですか?」
「ああ、慣れてるよ。大丈夫」
マッキー二等兵が加わって、彼らは戦闘準備を急いだ。
敵弾をかいくぐって土嚢を摘み、重機関銃を組み立てる。なにせ、五十八キロもある大型の機関銃だ。
「…………」
鉄帽を一瞬外して汗を拭うマッキー二等兵の頭部に、どうしても目が行ってしまう。
どう見てもビンセントよりも年下なのに、頭頂部は寂しい。いずれ、不毛の荒野が広がることだろう。
それはともかく、さっき見えたヘルメットの内側には、例の百合百合な雑誌のロゴの付いたステッカー。
そのうえ、彼の首にかかった認識票の鎖には同じ雑誌が密かに販売した記念品のキーホルダーが付いていた。
「あの、何か」
以前所属していたトラバース分隊で同じことをしていれば、間違いなく鉄拳制裁だ。
その後、果てしない叱責が数時間続くことになる。
下手をすれば頭頂部が薄いことすら叱責の対象だ。
体調管理も任務の内だ、と怒鳴り散らすことだろう。
このマッキー二等兵を見るに、ヨーク少尉はそういった個人の嗜好に寛容らしい。
任務とは関係ないからだ。
実際、彼らはやるべき事はやっているようだし、士気も高い。
ここでなら。
「いや、何でもない。よろしく頼むぞ、マッキー。絶対死ぬなよ」
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