第93話 代理人

 ウィンドミル監察官は、ドアを開けてもすぐにはイザベラたちに気付く事はなく、目を閉じたままだ。

 一瞬ビクッ、っと震えた後、何事も無かったかのようにテーブルの上で手を組む。


「お待ちしておりました」


 冒険者ギルド二階の会議室。彼は今にも死にそうな顔をしていた。


「寝てたろー」


「ち、違います」


 サラがウィンドミルの頬を小さな指で突くが、決して認めようとはしない。


「いえ、王立学院の保養所で発生した爆破事件で衛兵隊が煩かったので考え事を。ご無事で何よりです、サラ様」


 ウィンドミルは立ち上がると、ケラーに深々と頭を垂れた。


「カスタネに居る間、殿下をお守りいただき誠に感謝します。総理大臣閣下」


「おうよ、我が国の近衛騎士は優秀だからよ」


 サラはケラーの頬に人差し指を突き付けると、グリグリと突く。


「お酒飲んでギャンブルしてたろー」


「ちっ、見てたんすか。でもな、あれだけ大規模な爆発事件が起きても、現に殿下は無事なんだ。何の問題が?」


「そりゃあ犯人ここにいるからなー」


 サラの視線が舐めるようにイザベラに向かった。

 あれは仕方がないことだ。やむを得なかったのだ。

 エリックがいけないのだ。


「まったく卑劣ですね。許せません。……被害者が」


「痴話喧嘩は他所でやってくれよな……」


「違います」


 ケラーは溜息をつく。

 マーガレットは黙ったままだ。

 普段であれば、ここで何かしらのアクションを起こすことだろう。

 しかし、おとなしく座ったままだ。


 イザベラはマーガレットに同情を禁じ得ない。

 確かにエリックとの婚約は、家同士が本人たちの頭越しに勝手に決めたことであり、マーガレット自身は乗り気ではないと言っていた。

 他の女子からのやっかみに対処するのが面倒だったため、イザベラにも秘密にしていたほどだ。

 とはいえ、本当はイザベラに気を遣っていたのだろう。

 イザベラはチェンバレン伯爵の娘とはいえ、縁談の申し込みもなく、夜会で踊りに誘われる事も無かった。まるで無かった。

 きっと、何を言っても自慢するような形になってしまうので黙っていたのだろう。


 しかし二人の実際の付き合いは決して短くはない。

 おそらく、長い時間をかけて無意識のうちに、エリックの存在が心の中で密かに膨張を続けていたのだ。本人すらあずかり知れぬ所で。

 黙っていても、いずれ自分の結婚相手になるはずだった男が離れていくのは不安だったはずだ。

 エリックは非常に女癖が悪いということは知っていたはずだが、現場を目撃したのは初だったのだろう。

 衝撃は計り知れない。


 ウィンドミルは話を続けた。


「チェンバレン様、よくサラ王女を守ってカスタネまで来てくださいました。エイプル正統政府を代表して、お礼申し上げます」


「そういうのいいから」


 正統政府。

 クーデターにより倒閣されたケラーを首相とする旧政府だ。

 残党は各地に散り散りになり、ウィンドミルが連絡のために駆け回っていた。

 彼は疲労の色を隠さない。隠しきれていない。


「まず、殿下には中立国アリクアムへ避難していただきます」


「……やっぱり、亡命かー」


 サラは俯いた。その声は、慣れた者でなければわからないほど、僅かに震えていた。

 心細そうにイザベラの袖を掴む。

 エイプル王国の王政が終わる。

 ミクロな視点でみれば、ここにいるのは両親と家を失った哀れな少女がただ一人。

 イザベラはサラを抱きかかえると、自分の膝の上に乗せて抱きしめた。


「大丈夫ですよ、大丈夫」


 ウィンドミルは続けた。


「そのための護衛として、マーガレット様をはじめ、エリック・フィッツジェラルド様とジェフリー・ロッドフォード様をカスタネへお呼びしました。しかし、先ほどの爆破事件の捜査協力のため、お二方は到着が遅れております」


 ウィンドミルはイザベラを凝視する。

 その目は深い隈が刻まれ、血走っているので少し怖い。

『余計な仕事を増やしやがって』と抗議の色が見える。


「あれは天誅だもん」


 マーガレットがスリッパでイザベラを叩いた。


「テロリストはみんなそう言いますの!」


 やはり、彼らがカスタネに来たのはそのためだったのだ。

 先が思いやられた。

 実力はともかく、人間性に問題があり過ぎる。


「状況を整理していきたいと思います。一般にはまだ伏せられておりますが、現在わが国は戦争以上の未曽有の危機にあります。第三連隊が蜂起し王城を砲撃、政府を乗っ取ったのです。彼らは第三連隊を隠れ蓑にした平民の集団と思われます。こちらを」


 ウィンドミルは一枚の紙を差し出す。


『この国を、あるべき姿へと戻す』


 と、書かれていた。

 サラは紙を丸めると鼻をかんでゴミ箱に投げ入れた。


「あるべき姿、だとー? どんなのか聞いてみたいもんだよなー」


「詭弁ですよ。彼らはただ暴力を正当化しているだけに過ぎない。もちろん、このまま終わる訳にはいきません。殿下、ご安心を。王政は終わりませんよ」


「ほんとかー?」


 サラはイザベラの膝から飛び降りると、ウィンドミルに詰め寄った。

 ウィンドミルは机の上で手を組み、顎を乗せる。


「我々正統政府は、今後リーチェ、およびブケート、ムーサから王都奪還作戦に参加する兵士と必要な装備を集めます。休戦中とはいえリーチェは最前線であり、多数の兵士を一度に動かすことはできません。少しずつ王都に向かわせます」


 イザベラは顔を上げた。

 ウィンドミルは一切の感情を見せず、淡々と続ける。


「そのためにブルース・ビンセント一等兵とカーター・ボールドウィン一等兵、両名はリーチェに向かい第二十連隊に合流、リーチェ防衛を命じてあります」


 一瞬、意味がわからなかった。

 その意味を察した時、無意識にテーブルを叩いていた。


「駄目よ! 認められないわ!」


 全員の視線が集まる。


「ブルースは連れていくわ! 彼の実力を知ってるでしょ!? 戦車を撃ち抜き、ゴーレムの攻撃に耐え、魔法使いを一方的に屠るのよ!」


 ウィンドミルは淡々と、諭すように答える。


「お言葉ですが、それは誰でもできます」


「何ですって!?」


「オルク様のゴーレムに耐えた根性は認めますが、彼の戦果のほとんどは銃の火力に頼ったもの。理屈の上では同様の訓練を受けた者なら誰にでもできることです」


 ハッとする。確かにビンセントは一介の兵士に過ぎない。

 イザベラが一方的に入れ込んでいるだけに過ぎず、能力的には代わりはいくらでもいるのだ。


「認めない!」


 誰に向けての言葉だろうか、イザベラも無自覚だった。

 イザベラ自身エリックを襲った時に使ったのは、火薬を使った平民の武器だ。

『魔法ではかなわないから、銃火器を使った』のだ。

 ウィンドミルは淡々と続ける。


「そもそも、たとえ二名であってもアリクアムに武装した兵士を入れるわけにはいきません。侵攻と取られかねませんので」


「詭弁だっ!」


「おっしゃる通りです。しかし理由なんて、こじつけようと思えばいくらでもできるのですよ。護衛には素手で戦える魔法使いが最適なのです。そして、最強の魔法使いと名高いのは言うまでもなく――」


 エリックである。


 再び、しばしの沈黙。時間的にはほんの数秒だったが、まるで数時間にも感じられる沈黙を破ったのは、ケラーである。


「……サラ様の安全が最優先なんだぜ、姉ちゃん」


「そ、それはそうだけど……!」


 イザベラは言葉を呑んだ。反論のしようがない。

 ウィンドミルは続ける。


「彼らはよく頑張ってくれました。勇敢な兵士たちです。彼らの活躍なくして、けっしてここまで来ることはできなかったと思います。そろそろいとまを取らせては如何ですか?」


 イザベラは言い返せない。

 確かにただの我儘に過ぎず、目的を考えればウィンドミルの言うとおりにするのが合理的である。

 問題はそこではないのだ。


「連絡事項は以上で――」


「待てよー」


 ウィンドミルの言葉を切ったのは、意外にもサラである。


「亡命も避難もしないもんねー。向かうのは、王都だー」

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