第92話 天翔ける死神

 聞き慣れない音が遠くの空から響いてくる。


「……何の音だ?」


 ビンセントが上を見ると、小さな影が空の彼方を動いているのが見えた。

 鳥でも、ましてや虫でもない。

 ヨーク少尉は双眼鏡を降ろすと唇を噛んだ。


「飛行機か! 厄介だな」


「ヒコウキ、……ですか?」


 初めて聞く言葉だ。ヨーク少尉は頷いた。


「最近出てきた新兵器だ。ここからは小さく見えるが、実際にはトラックよりも大きいぞ。人が乗って偵察するんだ」


「魔法ですか?」


 エリックが両足に魔法陣を展開して樹の上の猫を助けたのを思い出す。

 あれでも、『跳ぶ』ことはできても『飛ぶ』ことはできないらしい。


 カークマンがビンセントを小突いた。


「バカ、エンジンとプロペラで飛んでるんだよ! 科学だ、カ・ガ・ク!」


「本当かよ……」


 空を飛ぶ、というのは人類の長年の夢であり、古来より多くの魔術師が研究を重ねてきたが、誰も成功しなかった。

 どうやら科学の力は、人類を大地に縛り付ける重力までも克服してしまったらしい。

 カークマンは続けた。


「上から見りゃあ、どこの守りが弱いかが一目でわかる。写真一枚で丸裸だぜ。全裸だぜ。パンツもブラジャーも無しだ。隠してある方がありがたいだろ」


「は?」


 途中で話がずれた気がするが、何となく言いたいことはわかる。

 こちらの人数も配備している武器も、いかに隠そうと空からは丸見えだ。

 偵察は写真を一枚撮るだけで済む。


「とにかくだ! 飛行機はエイプルにはまだ無ぇが、ピネプル共和国やオルス帝国では開発に成功したってわけだよ!」


 続けてヨーク少尉が苦虫を噛みつぶすような表情で説明してくれる。


「ジョージ王だって研究してはいたらしい。でも、結局最後まで実用化は出来なかった」


「なぜですか?」


「飛行機を飛ばせるほどの大出力エンジンを作れなかったのさ」


「じゃああれは!?」


 ヨーク少尉は溜息をつく。

 本気で悔しそうな表情をしていた。


「お前も気付いているかと思うが、エイプルは科学技術の大半をジョージ王に依存していたんだ。王が死ねば、この通り。外国にあっという間に追い抜かれてしまった、というわけだ。戦時は技術開発が大きく進歩するからな」


「そんな……!!」


 エイプル王国は小国とはいえ、世界の科学技術をリードする技術大国だったはずだ。

 だからこそ数で勝るクレイシク王国を含む連合国の侵攻に耐えることができた。

 機関銃などの近代兵器もエイプルが発祥である。

 ヨーク少尉は、その優位性も崩れたというのだ。


「なのに、未だに王立学院は魔法の研究にご執心だ。今どき戦場で魔法使いが何の役に立つ? もう、貴族も平民もない。俺たちがここで踏ん張らないと、あっという間に負けちまうぞ。心しておけ」


「は、はぁ」


 何となく、予感はしていた。

 以前ここで戦ったクレイシクの戦車は、エイプルのタイプⅡ戦車を上回る完成度だった。

 旧型のタイプⅠ戦車も、元々はクレイシクの戦車に対抗して急遽開発されたものだ。


「我が国の技術陣は何もかも後手後手、ってわけだ。仮に今からエイプルが飛行機を開発しても、敵はその間にもっと速く、高く、遠くへ飛べる飛行機を送り込んでくるぞ」


 額に汗が浮かぶ。

 ビンセントがリーチェを離れていたわずかな間に、戦場の様相はまた一つ変わってしまったらしい。

 膠着していた戦線が、押され始めたのだ。

 今いるここは、かつての最前線よりもかなり後方である。


 こうしている間にも、飛行機は近くまで飛んできた。

 骨組みに帆布を張った翼が上下に二枚並んでいる。

 下には車輪がついていて、地上にいる時に使うのだろう。

 真ん中近くには、確かに人が乗っているのが見えた。

 革の帽子を被り、目にはゴークル。襟元には白いマフラーを巻いている。

 人の大きさから考えると、飛行機とやらは確かにトラックよりも大きい。


『操縦士』はこちらに向けて何かを投げる動きをした。


「いかん! 伏せろッ!!」


 訳も分からず、反射的にビンセントは地面に伏せる。


「一体何が……」


 少し離れたところで爆発が起こった。

 巻き上げられた土砂が降り注ぐ。


「偵察のついでに爆弾を落としていくやつがいるんだよ!」


「な……!」


 カークマンは起き上がって小銃を空に向け乱射するが、全く効果はない。

 五発、全てが外れた。


「やっぱダメか! 空の上には目印も何もないし、なかなか当てられねぇんだ! 機関銃でも難しいしな!」


 事実、味方の機関銃陣地が空に向けて発砲しているが、飛行機は悠々と飛び続けている。


「あいつは手で爆弾を投げたが、飛行機の下に大きな爆弾を吊り下げて直接落とす『爆撃機』もオルスでは配備しているそうだ」


「そんな……!」


 あんな小さな爆弾でも厄介なのに、より大きな爆弾を落とされてはどうしようもない。


「それどころか、諸外国では飛行機を撃ち落とすために、飛行機に機関銃を積んで飛ばしているらしい。『戦闘機』と言うそうだ」


 ヨークの説明はため息交じりだ。

 エイプルには実用的な飛行機は一機もないのだから、当然と言えば当然である。


「技術力にあぐらをかいた結果が、この体たらくさ……。貴族ばかりのエイプルの技術陣は、ジョージ王の遺産がなけりゃ新しいものを何も作れない。オルス帝国やピネプル共和国では、平民にも高等教育を施して色々な科学を研究させているそうだ」


 確かにビンセントは学校を途中で辞めている。

 それでもあまり困ることはなかった。

 平民の学校の授業は、簡単な読み書き計算と初歩的な職業教育が中心だ。

 しかしそれは、平民が知恵を付けて科学をさらに発展させ、貴族を脅かすことを恐れたからだという。


「それどころか、科学の発展を担う技術者のタマゴまで前線に投入している。そこにいるハットンのような電気工事士もな」


 ハットンと呼ばれた男も、必死で飛行機に小銃を撃っていたが、すでに飛行機は空の彼方だ。

 ビンセントは電気など、怖くて触る気にもなれない。


「長期的な展望ってやつが、この国には無いんだよ。いまだにかつての魔法王国を夢見ているのさ」


 ヨーク少尉は自嘲的に笑った。

 男爵では、政治的な力は殆ど無いという。


「だが、それでも我々はこの国を守らねばならん。わかったなッ!!」


「はっ!」


 ビンセントは敬礼で答える。

 リーチェを留守にしたのは、そんな長い期間ではなかったはずだ。

 帰ってみれば、まったく別の世界が広がっている。

 驚愕せざるを得なかった。


「そんな訳で、よろしく頼むぜ! ビンセント!」


「お、おう」


 ビンセントとカークマンは固い握手を交わす。

 やはり鼻毛に目が行ってしまう。

 さっき抜いたのに、また出ているのだ。


「うあああっ!!」


 しかし、激痛が走ったのはビンセントである。カークマンに鼻毛を抜かれたのだ。

涙がこぼれた。


「これで貸し借り無しだ! いいな! 協力しないとマジで死ぬからな!」


「さっきはすまなかったな……ホント」

 

 偵察の結果はすぐに敵の司令部に届いたようだ。


 そうなれば、待っているのは砲撃の雨、嵐。

 ヨーク分隊は壕の中で砲撃が止むのを待ち続ける以外に、出来ることは無かった。


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