第91話 子供の遊び
昼食を済ませても、ビンセントとカーターは留守のままだ。
「んもう、二人ともいったい何処へ行ったんでしょうね?」
「知らなーい。でも、部屋の荷物はそのままだから、そのうち帰ってくるだろー」
ガラスの破片と落下のダメージをサラに治療してもらったのは少し前のこと。
イザベラとサラは保養所の食堂を避けて街の定食屋に来ていた。
衛兵隊が忙しく走り回っていて落ち着かないのだ。
もちろん、『何者か』がフィッツジェラルド侯爵を襲撃したからだ。
メニューはイザベラがカツ丼、サラが親子丼。
サラは食べるのが遅いので、食べ終わったイザベラはファッション雑誌を眺めながら待っていた。
新型の制服と同じデザイナーの新作がいくつか載っていたのだ。
ナナ・タナカという女性らしい。
「……んもう、早く新しい騎士団の制服を見てほしいのに」
「おまえもブルース好きだなー」
イザベラは自分の耳が赤くなる音を聞いた。
「だ、だって、その、……穏やかだし、優しいじゃないですか」
「内気で優柔不断なんじゃないのかー?」
「…………」
捉え方次第で、結局同じ事である。結局、人は見たいようにしか見ない。
サラはいたずらっぽく微笑んだ。
「ま、わたしもブルース大好きだけどなー。わたしとケッコンして、王様になってもらうのも悪くないかもなー」
「そ、そんなッ!」
イザベラは思わず立ち上がるが、言いかけた言葉を飲み込んで座りなおした。
今日ウィンドミルと会えば、おそらく中立国アリクアムに向かうことになる。
唯一の王位継承者であるサラが亡命すれば、エイプルは王国ではなくなるのだ。
「じょうだんだよー。ただのお子様の、ほんのじょうだんさー……」
そうなれば、サラも『ただのお子様』になる。
アリクアムに貴族制度はない。
「…………」
暗い雰囲気になってしまった。気分転換に場所を変えることにする。
「サラ様、お茶にしましょう」
「あまーいコーヒーがいいなー」
元々、サラはコーヒーを飲まないと聞いている。
やはり、ビンセントの影響だろう。
◇ ◇ ◇
保養所近くの喫茶店では、マーガレットが一人優雅にオープンテラスで紅茶を傾けていた。
「わたくしが、あの程度でいつまでも伏せっているとでも?」
「ううん。部屋に一人でいるより、外に出た方が気分転換になって良いと思うわ」
マーガレットはイザベラの目を真っ直ぐに見つめ、柔らかく手を握る。
その目はまだ少し腫れていたが、笑顔が浮かんでいた。
「ありがとう。胸がスッとしましたわ」
「でも、勝てなかったわ……」
今、ローズの事をマーガレットに言う必要はない。
かなりのショックだったはずだ。これ以上のショックは何を起こすかわからない。
後で落ち着いて話せばよい。
「……おバカ。元々婚約は破棄していますの。わたくしは新しい恋に生きるのですわ、あなたに華々しく勝利して、ね」
マーガレットは自信に満ち溢れた顔でウィンクしてみせた。
「ふんぬッ!!」
イザベラはテーブルを勢いよくひっくり返す。
周囲の視線が集まったが、そんなものはどうでも良い。
サラはカップを手に持っていたので被害は無かった。
「バカですの!? 何やってますのッ!」
「そうなればブルースを拉致監禁して二人だけの世界で生きるもん!!」
第三者にはわからない程度の表情の変化だが、サラがとてつもなく軽蔑した視線を向けてくる。
「おー、おまえもオルクの同類かー? クズだなー」
マーガレットは心底呆れた表情を隠さず、いそいそとテーブルを戻した。
「……わたくし、今日は大切なお仕事がありますの。色恋沙汰は余興ですわ、余興! ……ね? 『サラ様』」
「おまえもわたしの正体しってたのかー」
マーガレットは立ち上がるとスカートの裾をちょこんと持ち上げ、サラに頭を下げた。
「お見苦しい所を見せてしまい、失礼いたしました。王女殿下」
「カップはちゃんとべんしょうしろよー」
サラは右手をヒョコヒョコと振って答える。
なぜマーガレットはセーラがサラであることを知っているのだろうか。
「……ルシアが部屋に来て、教えてくれましたわ」
「ルシアが?」
ルシアはニックとマリーを連れてククピタへ帰ったという。
その際、マーガレットの部屋に来てお詫びと、村を救ってくれたお礼をしていったそうだ。
サラの活躍と正体も、その時に聞いたのだった。
「額を床に擦り付けて土下座をされては、許さない訳にはいきませんわ、おほほほほ……」
◇ ◇ ◇
「……つまり、ブルースたちが居ない、とおっしゃるのね?」
イザベラが頷くと、マーガレットは悠然と立ち上がった。
「でしたら、わたくしも探しますわ」
三人は連れ立ってカフェを後にする。
広場で通行人に聞き込みをしたが、何の手掛かりもない。
たかが平民の兵士一人、誰も気に留めないということだろう。
とはいえ、さすがにカーターは目立ちそうなものであるが、それでも目撃者は居ない。
「あの人に聞こうよー」
サラが指さしたのは、冒険者ギルドの前で酒瓶を抱えている老人だ。
安酒を抱えて地べたに寝転がる姿は、まともに求職する気があるとは思えない。
マーガレットが食って掛かる。
「いつぞやは世話になりましたわね。ブルースの銃に恐れをなして引っ込んだのは滑稽でしたわ。おほほほ!」
老人はとても嫌そうな顔で舌打ちする。
「いちいち根に持つなぁ、姉ちゃん。そっちの乳でかい姉ちゃんとの勝負でアンタに賭けたんだから、いいじゃねぇか。スッちまったけどよぉ」
「お黙り。あなた、わたくしにここで絡んだでしょう。その時に一緒にいた兵隊さんをご存知ありませんこと?」
老人はかぶりを振る。
「知らねぇな。でも――」
老人は言葉を切ると、三人を見渡す。
「――あんたらが、今日これから会うヤツなら、何か知っているかもなぁ……?」
今までとまるで雰囲気が違う。鋭い視線に、とてつもない威圧感を感じる。
イザベラは息をのんだ。
「な……なぜそれを」
サラはイザベラとマーガレットに交互に目をやると、首を傾げた。
老人を指差す。
「そりゃー、知ってるだろー? なに言ってるんだよー。だってこの人、総理大臣だぞー?」
「え」
イザベラもマーガレットも絶句した。
だらしない無精ひげ。薄汚れたヨレヨレの服は異臭を放ち、脇に抱えた酒瓶は安物。
どう見てもただの浮浪者にしか見えない。
「総理だぁ? 『元』が付くからよぉ。失業者ってのも、間違いじゃねぇや」
「いや、どう見ても浮浪者じゃんかー」
これを失業者と呼ぶのは、ほかの失業者に失礼である。
ニコラス・ケラー。
クーデターで官邸を追われた、エイプル王国元総理大臣である。
総理は自分が背を預けていた冒険者ギルドの建物を指差す。
「ウィンドミルのヤツは、中で待ってるぜぇ。俺も歳だ。どっちにしろ、そろそろ潮時なんだよ。後は若い奴に任せる……っと」
そう言うと、酒瓶を煽った。
「殿下を頼むぞぉい。俺は冒険者になるからよぉ……ヒック」
「なに言ってるんだよー、おまえも行くんだよー」
「え~? 面倒くせぇなぁ」
サラに引っ張られ、ケラーはフラフラと立ち上がった。
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