第89話 一筋の光

 揺れる細い光の筋が男たちを照らす。

 誰もが無言で、その表情に光はない。

 そんな中に混じって、カーターはビンセントと肩を並べていた。


「なあ、カーター」


「どうした、相棒」


「お前まで来ることは、無かったんだぜ」


 カーターはビンセントを小突く。


「バカヤロウッ! お前だけ行かせられるかってんだ!」


「エミリーさん、心配するぜ」


 カーターは手紙を置いてきたことを後悔した。

 出発はあまりにも急だったのだ。完全に着の身着のままである。

 それよりも、ビンセントの表情が気になる。

 何も言わないが、焦燥しきって、全てがどうでもいい、そんな表情だ。

 放っておくわけにはいかない。


「一年前、たまたまお前が庇ってくれたから、オレはこうして生きているんだっつーの! まだ借りを返しきれてはいねぇんだよ、オレ様は!」


「気にする事、無いのにさ……」


 ビンセントは、もったいぶるかのように間を開けて、呟くように言った。


「もしかしてさ、……イザベラさんって、俺に惚れてたりして」


 カーターはさすがに呆れた。

 今さらである。あれが惚れていないのであれば、イザベラは稀代の結婚詐欺師になれるだろう。

 どう見ても好感度百パーセント。デレデレも良い所だ。


「そりゃあ、――」


「あー、答えなくていい。何も言うな」


「だったらなぜ聞くよ?」


「なんでもハッキリすりゃ良いってものでもないんだよ。知らない方が幸せに解釈できる事もあるだろ」


 ビンセントは膝の間に顔を埋めた。


「……実際、俺はどっちでも良いんだよ。あの人とは、住む世界が違うんだから」


「む……」


 確かにビンセントは平民であり、イザベラは貴族だ。

 しかしあれだけの大冒険をともに潜り抜けた間柄だし、ビンセントは何度も何度もイザベラの危機を救い続けた。

 誰も文句のつけようがない、英雄といって良いだろう。


「そもそもお前に聞く事じゃなかったな。お前が何と言おうと、お前にそう見えた、ってだけだ」


「そりゃそうだ。何が言いたい」


 ビンセントは少し黙った。

 顔をあげると、正面を見据える。


「短い間だったけどさ、俺、けっこう幸せだったよ」


「どうしたんだ、急に」


「カーター、お前だってそうだし、サラさんも、マーガレットさんも、……イザベラさんも。俺はみんな大好きだった。もっと一緒に居たかったよ」


 カーターは手を頭の後ろで組むと、天を仰いだ。


「ま、何にでも終わりってもんは、あらぁな」


 しばしの沈黙。ビンセントが胸のポケットに手を触れた。


「うん、今ならまだいけるな」


「うん? どこにだ」


「ここいらで死んでおかないと、後々もっと惨めで無駄で無意味な死に方をする。もうトラバースみたいな奴の下に付くのはごめんだ」


 カーターはビンセントの胸ぐらをつかんだ。


「おい! お前何を言ってるんだ! 縁起でもねぇ!」


 しかし、ビンセントはカーターを睨みつける。


「死ぬことと生きることは合わせて一つ、だろ? どちらかだけを見てても、全体は見えない」


「むぅ」


 正論だ。カーターも常々思っていたことである。

 しかし、こんな顔の男に言われても説得力はあまりない。


「俺たちは兵隊だぞ。手袋投げつけて、剣と魔法でチャンバラして『参った』で終わり、という訳には行かない。マナーもルールも無い、単純な殺し合いしかできないし、やらない。ああいうの、ちょっと憧れてたけど。実際に見れば……」


「おままごと、か」


 ビンセントは頷く。

 カーターはビンセントを放し、再び両手を頭の後ろで組んだ。

 確かにその通りだ。

 この国は戦争の真っただ中で、ビンセントもカーターも軍人だ。

 あんな光景が見られるのは、もはや王立学院がある王都かカスタネだけだろう。


「ま、そうだよな。超音速の鉛玉をかわせる奴なんか、まずいない。イザベラさんの例のジャケットだってライフルじゃ効かないし、確かに俺達が戦うしかない」


 近代兵器は強力だ。

 はっきり言えば、魔法使いが活躍できる戦場は、もう無い。


 しかし、それは言わないのがお約束である。現場は現場。

 彼らには、責任を取ってもらう。

 弾丸は身分を選ばない。当たれば、誰であろうと死ぬのだ。

 ビンセントは続けた。


「ようは、戦うことに納得できるか、だろ?」


「そうだな。お前さん次第で、確かにこの戦いには意味がある。いや、意味を与えられる。大義がどうの、とか言ったって、結局現場の俺達個人にはあまり関係がないもんな……良かったじゃねぇか」


「そうさ……今なら何とか、まだ戦えるんだ、俺は……」


 あからさまな強がり。欺瞞だ。

 二人は視線を合わせると、どちらともなく微笑んだ。

 しかし、笑いながらもビンセントの頬には涙が伝う。


「なぁ、ブルース。オレがお前をこれからも相棒と呼び続けるために、何があったか聞かせてくれや」


「うん……」


 ビンセントは訥々と語った。


 ローズのこと。

 エリックのこと。

 偶然出会った平民のカップルのこと。

 町はずれの平原で一人泣いたこと。


 その内容は、思わず耳を塞ぎたくなるものだった。

 自分が聞いた以上、カーターは黙って頷くしかできない。


「…………」


 しかし、それでは『無敵の』カーター・ボールドウィンの名がすたる。

 カーターはビンセントの肩を力強く叩いた。


「もっと身体を鍛えろッ! 筋肉を付けるんだッ! プロテインを飲めッ!」


「何言ってるんだ、お前は……」


「プロテインの語源! 知ってるか?」


 ビンセントはかぶりを振る。


「古代文明の言葉で、『プロティオス』だッ! 意味は!?」


「知らん」


「『一番大切なもの』だッ!! 連中の間で近頃流行の、恋人へのプレゼントだッ! オレも昨夜知ったんだけどなッ! お前、最近誰かに貰わなかったか!?」


「…………そうか」


 カーターはビンセントの襟首を掴んだ。


「そうか、とはなんだ! そうか、とは!」


 ビンセントは目を伏せる。

 その目は、まるで痛んだサバだ。


「ローズさんにももらったよ、食いそびれたけどな……。割と気軽にポンポン配る場合もあるようだぜ、挨拶代わりにさ。売店のプロテイン、売り切れだったろ?」


「…………!」


 カーターは反論できなかった。

 言われてみればそうかもしれない。

 自身、二次会で女の子たちから幾つも差し出されたが、全て断っていた。

 彼女たちの殆どは、カーターとは昨日出会ったばかりのはずだ。


 項垂れていたビンセントの顔がゆっくりと持ち上がり、口端が歪んだ。

 その目の奥に先ほどには無かった、ほんの僅かな光が宿る。


「ま、嫌われてないってんなら、それで満足さ。とりあえず生きる希望は持てるかな。ありがとうよ、カーター」


「よしッ! こんど義理か本命か、確認だッ!」


 トラックが停止し、幌が開いた。

 外からの光が車内に差し込む。眩しさに思わず目を細めた。


 ビンセントはトラックの荷台から飛び降りる。


「でも、もう来ちまったな、リーチェに!」


「手遅れかッ! バカヤロウッ!」


 カーターは頭を抱えた。


 目の前には、どこまでも続く荒れ果てた大地があった。

 相変わらず草木は生えず、砲弾の穴で大地はデコボコだ。

 風に乗って、泥の匂いが漂ってくる。


「でもな、今の俺なら笑って死ねるぜ。お前のお陰だ」


「クソッ、やっぱり来るんじゃなかったッ!」


 ビンセントは寂しそうに微笑む。


「お前は魔法使えるし、なるべく安全な所だといいな? あばよ、カーター!」


「できれば、また会いたいものだがなッ! あんまり贅沢も言えない! チクショーッ!」



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