第88話 家族の肖像

「大人には大人の事情があるのよ」


「そうは言ってもなー」


 保養所地下。平民向けの食堂。

 朝食の時間は終わっており、他の客は居ない。

 テーブルでサラと一緒に座っているのはルシアと、二人の子供たち――ニックとマリーだ。

 ニックとマリーは、ルシアの子供であった。


「……子供にはわからないわ。とっととご主人様の元へ帰ったら? ニック、マリー、あなたたちも早くおばあちゃんのもとに帰りなさい」


 ニックとマリーは不安そうに肩をすくめた。


「こまったなー」


 マーガレットが泣きながら飛び出してきた時、おおよその事情は察したが、サラにとっては理解を超えるものであった。


 見れば、ルシアの頬が腫れている。


「ねー、ルシアおばさーん」


「おばさんじゃないから。まだ」


 サラは人差し指を立てると魔法陣を呼び出し、ルシアの頬へ向ける。

 山吹色の光がルシアに吸い込まれ、腫れは一瞬で消えていった。


「あ、あなた今、な、何を!?」


「痛そうだなー、と思ってなー。魔法でえ~い、ってなー」


 ルシアの顔色が変わった。激しく動揺しているようだ。


「で、でも回復魔法を使えるのは……!」


「そうだなー、公式にはわたしだけだなー」


「まさか……そんな……王女殿下……?」


「おー。事情ってのききたいなー」



 ルシアは、訥々と話し始めた。


 夫は徴兵され、リーチェで戦死。

 二人の子供を育てるために王都に働きに出たが、手数料や組合費の名目でどんどんと給料は天引きされ、生活はいつもギリギリ。

 その上、勤務先はある日突然倒産。

 ほうほうの体で故郷のククピタに帰ったが、山賊に略奪にあった上に放火され、実家は全焼。

 自らも拉致されたところをエリックに救われたのだという。


「頼れるものなんて……無いのよ。有力貴族の妾でもなんでもやらなきゃ、この子たちを育てられない……」


「なるほどなー」


 ルシアはふっ、と自嘲的な笑みをこぼした。


「……申し訳ありません、殿下。殿下も子供でしたね……子供にこんな話……」


「お金があれば、いいのかー?」


「…………」


 ルシアは何も答えなかった。


 サラには、その沈黙が肯定しているように見えた。

 まだ子供のサラには『大人の事情』とやらはよくわからない。

 それでも、唇を噛むルシアは何かを諦め、我慢しているように見えた。

 まるで、かつてのビンセントだ。


 沈黙は不意に破られる。


「ちょっと、セーラ! あんた、なんてモノを持って来てくれたんだい!!」


「んー?」


 あからさまな怒りを隠そうともしない中年のメイドが手に持っているのは、ボロボロになった布だ。

 彼女はかつてシャツだったらしいボロ布を、真っ赤な顔でサラに突き付ける。


「あんたが持ってきた変なモノが、ご主人様のシャツをボロボロにしちまったよ! どうしてくれるんだいッ!」


 サラには思い当たる節があった。


「あちゃー、こまったなー」


「こまったなー、じゃないよ! こっち来な! 自分が何をやったか、よく見てみるんだねッ!」


 メイドに手を引かれ、サラは奥の洗濯室へと連れて行かれてしまう。


 ◇ ◇ ◇


「おー、そだってるなー」


 メイドはスリッパでサラを叩いた。子気味よい音が響く。


「なに呑気なこと言ってるんだい! 絹製品がみんな滅茶苦茶だよッ!!」


 そう広くない洗濯室。

 部屋を埋め尽くすように這い回る大量の触手モンスターは、粘液を撒き散らしながら洗濯物へ群がっていた。

 じゅるじゅると異様な音を立て、粘液が触れるたびに絹の服に穴を開けている。


「これじゃあ、もうアタシはクビさ! 弁償なんてできやしない!」


 メイドはよよよ、と泣き崩れた。

 何ごとか、と覗き込んだコックも、床を埋め尽くす触手を見るなり頭を抱えた。


「なんだこりゃ! 気持ち悪いな! 火炎放射器で焼き払うしかないかもな……」


 サラはコックの裾を引っ張った。


「おじさーん、これいくらで売れるかなー?」


「ん?」


「キヌクイムシだよー、これー。高いんだぞー」


 好事家に高値で取引され、数匹捕獲しただけでで家を建てたという伝説もあるモンスター。

 かつてイザベラを襲い、魔力を織り込んだ絹の制服を食い荒らしてセミヌードショーを開催したありがたい生物だ。

 その際、サラが回収したタマゴはいかなる条件によって孵化し、ここまで育ったのかは定かではない。

 とりあえず適当に置いておいたら、いつの間にかこうなっていたのだ。


 ◇ ◇ ◇


「毎度あり。また頼むぜ、セーラちゃん!」


「またねー」


「ひひひ、これで俺は大富豪も夢じゃねぇ!」


 道具屋の主人は、嬉しそうな顔でタライに入れたキヌクイムシを持ち帰った。

 サラは手を振って見送る。


 テーブルの上にはゴシップ満載のカストリ雑誌のバックナンバー。

 記事を読んだルシアは、溜息をついていた。

 キヌクイムシの特集記事が大きく取り上げられている。


『絹の服だけを溶かす都合の良い溶解液を出す、我らが待ち望んだモンスター!』


『好事家に高値で取引されている! たった数匹で家を建てた男!』


 美容効果も満点であることは、イザベラがその身をもって証明してくれた。


「なぜ、こんなモノが……」


 テーブルの上には金貨の山が積まれていた。

 当然、道具屋の主人が置いていったものだ。


「ルシアー、これくらいあれば家族で暮らせるー?」


 サラがルシアの顔を覗き込むと、椅子を鳴らしてルシアは立ち上がる。


「とんでもない! とんでもない! それどころか焼き払われた村だって、これで何もかも元通りにできます! 本当に頂いて、よ、よろしいのですか?」


「うん、どうせひろったモノだしねー」


 ルシアはサラに深く何度も頭を下げる。


「あ、ありがとうございます! 本当に、本当に……!」


「かあちゃん……」


 ニックとマリーが期待と不安の混じった瞳でルシアを見上げた。


「……………………ニック! マリー!」


 ルシアは二人を包み込むように抱きしめた。

 一度は手放した宝物を、また見つけたように。


「ごめんなさい……ごめんなさい! また、みんなで一緒に暮らそう?」


「うん!」


「やったー! かあちゃーん!」


 サラは、指をくわえた。

 写真でしか知らない母マリアと、優しかった父ジョージを思い出してしまったのだ。


「ねー、ルシアー。わたしも……ちょっとだけでいいからさー」


 ルシアは嬉し涙を隠さず、とびきりの笑顔で両手を広げた。


「……ええ、どうぞ!」


「わーい」


 サラも二人に混じって、ルシアの胸に顔を埋める。


「良かったなぁ……」


 メイドと料理人も、涙を隠さない。

 彼らも分け前を受け取っており、服の弁償を差し引いてもかなりの臨時収入になったはずである。


「ところでお前さん、王女殿下をスリッパで叩いたらしいな?」


「ひっ!?」


 メイドは顔面蒼白だ。


「あ~あ、知らねえぞ、俺は」


「こ、この事は内緒だよッ! いいかい、誰にも言うんじゃないよッ!」


 テーブルの上には、まだ数匹のキヌクイムシがガラス瓶の中で蠢いていた。

 サラも数枚の金貨をもらったし、ポケットには洗濯室で採取したタマゴもある。

 お菓子を買うお金にはしばらく困らないだろう。


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