第四部 自分の底辺っぷりを否応なしに自覚するくらいなら、戦場の方が気が楽。

第一章 リーチェ戦線異状なし

第87話 愛と憎しみの雫

「…………」


 朝。保養所の最上階。

 侯爵以上の貴族や王族が使うエリアだ。

 エイプルには公爵は無いが、外国のゲストが使うことはある。

 真っ赤なじゅうたんが敷き詰められたエレベーターホールで、マーガレットは足を止めた。

 一応。念のため。万が一。


「……イザベラ。子供たちにサイダーでも買ってきていただけます?」


「なーんで私が!」


 イザベラは露骨に面倒くさそうな顔をする。


 マーガレットには嫌な予感がしていた。

 しかし、自分自身確証は無かったのだ。

 何よりも、子供たちの前であからさまに説明する訳にはいかない。

 マーガレットはイザベラの肩に手を置き、真っ直ぐに目を見つめる。


「……お願い」


 イザベラは納得がいかない様子だったが、踵を返しエレベーターに戻った。


「あなたたちはイザベラとここで待ってて。動いてはいけませんわ」


 子供たちをソファに座らせ、マーガレットは廊下を進む。

 使用人部屋。ルシアはここにいるはずだ。

 エリックの部屋の向かいである。


 マーガレットはドアをノックする。


「んもう……誰よぉ……」


 目をこすりながらルシアが出てきた。

 思ったとおり、下着姿だ。

 それも妙に華美でアダルトなデザイン。


「服を着なさい。会わせたい人がいますわ」


「だから誰よ、もう……」


 その名を告げると、ルシアは顔面蒼白になった。


「お邪魔しますわ。最上階とはいえ、逃げだされてはたまりませんものね、おほほほ……」


 顔まで笑えているかどうかはわからない。

 マーガレットはずけずけと部屋に入る。


 何よりも気になるのは、出しっぱなしのシャワーの音だ。

 ルシアが服を着終わる頃、シャワー室の扉が開いた。


「……なんでマーガレットがいるんだ?」


 出てきたのは、バスローブに身を包んだエリックだ。


「エリック様っ!」


 ルシアがエリックの胸に飛び込んだ。縋り付いてマーガレットを指差す。


「あの女が急に!」


「おいおい、俺に分かるように事情を――」


 パァン、と子気味よい音が響いた。


「この、泥棒猫ッ!!」


 マーガレットは自失していた。

 なぜルシアが痛そうに頬を押さえているのか、なぜ自分の口からこんな言葉が出たのか、さっぱりわからない。

 身体と口が勝手に動いた、としか言いようがない。


「あ……あれ……? わたくし、……どうして……?」


 床のじゅうたんにポツポツと浮かび上がる染みも、何なのかさっぱりわからない。

 なぜ自分の視界が歪んでいるのかも、まるで理由がわからない。

 自分の身体が、なぜこんなに震えているのかもわからない。

 どうしてこんなに、息苦しくて胸が痛いのかもわからない。


「――――!!」


 なぜドアを蹴破って廊下を走っているのかも、もちろんわからない。


 エリックのことなど、何とも思っていなかったはずなのに。

 家の都合で勝手に決められた婚約を破棄されて、清々していたはずなのに。

 イザベラと踊るエリックを見ても、何とも思わなかったはずなのに。


 今好きなのは、ビンセントのはずなのに。

 プロテインまで渡したのに。


 ぽよん、という柔らかな感触が顔面を包んだ。

 曲がり角でイザベラにぶつかったらしい。おっぱいが衝撃を吸収してくれたようだ。


「――――ッ!! ――――……」


「うん、うん」


「――――……。――――!?」


「うん、うん……」


 黙って聞いてくれるイザベラに、自分が何を言っているのかもわからない。


 イザベラの腕が優しくマーガレットを包み、細く、しなやかでも触り心地だけは固い指が、いつまでもマーガレットの髪を撫でていた。


「大丈夫よ、マーガレット。少し休みましょう? ね……」


 ◆ ◆ ◆


 イザベラは自室に戻ると、届いたばかりの新型、ハイテク満載の新しい制服に着替えた。


 従来のものとデザインのベースラインは同じだが、ディティールが若干異なっており、体の側面に白のラインが二本追加されていた。

 色も全体的に暗くなっており、若干ではあるが目立たなくなっている。


 目玉は防弾機能の強化だ。

 イザベラの身体にぴったりと合わせた胸甲が追加されており、新素材のアルミ合金や、錬金術だか化学だかを応用した新素材をサンドイッチ状に組み合わせたものだという。

 実験では三百メートルの距離で小銃弾を受け止めたというから、心強い。

 そのかわり魔法防御は犠牲になっているものの、現代の戦場においてはほとんど問題にならないという。


 そのまま廊下に出て、使用人室のドアを叩く。


「ブルース、居る? ……留守ね、勝手に借りるわ」


 ◇ ◇ ◇


 イザベラはエリックの部屋に行くと、ドアを優しくノックする。

 程なくしてエリックが顔を出した。


「イザベラか。どうしたんだ? とにかく入れよ」


「お邪魔するわね」


 イザベラは促されるまま室内に入る。

 きれいに整頓されており、香水の匂いがわずかに漂っている。


 ただし、ドアは開けたままだ。


「ま、掛けな」


 部屋の奥にあるソファに掛けたエリックは、入口近くで立ったままのイザベラを促す。

 イザベラは両手を広げて見せた。


「昨日はありがとう。新しい制服が届いたから、エリックに見てほしくて。似合うかしら?」


「ああ、よく似合ってる。すごく綺麗だぜ」


 エリックは爽やかな笑みを浮かべた。

 イザベラもとびきりの笑顔を返す。


「ありがと。嬉しいわ。今、ひとり? 部屋には誰も居ない?」


「ああ」


「二人っきりね、エリック……良かったわ」


 イザベラは満面の笑みを浮かべて手榴弾のピンを抜くと、ひと呼吸置いてエリックに投げつけ、そのまま部屋を飛び出した。

 爆風が半開きのドアを破り、細かな破片が宙を舞う。


「ザマーミロッ! 女の敵めッ!!」


 油断はできない。

 隠しておいた小銃を拾って構えるが、壊れたドアからエリックは悠々と出てきた。

 傷どころか、汚れ一つない。


「やれやれ、乱暴な奴だな」


「死ね!」


 イザベラは小銃を腰だめで乱射する。

 魔法だけではエリックに絶対に敵わない。しかし、火薬を使った新しい武器は攻撃魔法を凌駕する。

 貴族のプライドも、マーガレットとの友情の前には何の価値もなかった。

 しかし、エリックは着弾地点にピンポイントで魔法陣を展開し、全てを受け切った。

 弾倉の五発を撃ち尽くすと、もう一個手榴弾を投げつけ、曲がり角に飛び込む。

 手榴弾は爆発。

 その間にクリップを使って次弾装填。

 使い方はビンセントを四六時中見ていたら覚えた。

 

 イザベラが再び銃を構えると、煙を突っ切るようにエリックも接近しており、イザベラの眼前で魔法陣を展開していた。


「一緒に死のう、ってのはちょっと勘弁だな」


 エリックの口端が歪んだ。

 貫くような視線をイザベラに向ける。


「!!」


 イザベラの銃は銃口から凍り付き始め、やがて触れなくなるほど冷えた。

 思わず落とすと、銃にくっついた手袋が脱げて一緒に落ちた。

 素手であれば手の皮膚が同じことになっていただろう。

 落ちた銃はガラスのように砕け散った。

 

 エリックは右手を壁に当て、イザベラの動きを封じた。


「俺に勝てるとでも思ったか?」


「くっ、殺せ!!」


 エリックの左手がイザベラの顎をクイ、と持ち上げた。


「駄目だな」


「ならせめて銃を弁償しろッ! ブルースに嫌われたらどうするんだっ!」


 エリックが首を傾げた。理解不能、といった表情だ。

 睨み合いは十秒ほど続いたが、廊下の奥から響く足音に沈黙は破られた。


「そこまでよ、イザベラ」


「!?」


 ヒールの音も高く、全身に怒りを纏わせて現れたのはローズだ。

 怒りのあまりプラチナブロンドの髪が逆立っている。


「これ以上、私のエリックを傷つけようとするなら殺すわ」


「私のエリック、だと?」


 ローズの両手には魔法陣が召喚されている。彼女の魔法属性をイザベラは知らない。

 ローズと在学中に絡むことは殆どなかったのだ。


「おいおいローズ、あんまり物騒なこと言うもんじゃないぜ」


「だってぇ……」


 ローズに気を取られたのか、エリックの手が緩む。

 その隙にイザベラは身体を丸めてエリックを振りほどき、近くの窓に飛び込んだ。

 なお、ここは最上階。六階である。


「ちっくしょおおおおああああぁぁぁッ!!」


 ガラスの破片と共に降り立ったのは講堂の屋根。

 講堂の高さは三階建ての建物と同じくらいなので、都合三階ぶん落下したことになる。

 イザベラは身体を回転させて衝撃を和らげると、そのまま走り出した。

 これはもう、理解の範疇を超えている。


「いったい何人の女と付き合ってるんだ、エリックは!?」


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