第84話 よだかの星 その三

「デブは歌が上手いって、本当だったのね……」


「シッ! 聞こえたらどうするの!」


 一年間に及ぶダイエットの結果、今でこそイザベラはモデル級のスタイルを持っている。

 しかし多くの同級生たちの認識は、まだまだ過去のイメージを引きずっているらしい。


 すなわち、百キロを優に超える、マーガレットとジャスミン以外に友達が居ない、気持ち悪い笑いを浮かべる、ホモ本大好きな腐女子、であった。

 なお、マーガレットが黙ってさえいれば、この事はビンセントやカーターは知らないはずである。



 おっとり刀で本来予定されていたバンドが到着し、本格的なダンス・パーティーはやっとスタートした。


 イザベラとマーガレットはステージのパフォーマンスが効いたのか、ローズほどではないがダンスの申し込みが殺到した。

 認識を改めた男子が手のひらを返したのだ。

 しかし、慣れないことをして疲れたから、とやんわりと断っていた。


 時計の針は頂点に近づく。もうすぐ閉会だ。


 正直に言って、あまり雰囲気の良い集まりではなかった。

 カーターの歓迎会のはずなのに、女子グループの話題はひたすら別のことだったのだ。


 マーガレットがメイドのマイラを解雇した事。

 マーガレットとエリックが密かに婚約関係だった事。

 それがエリックの方から一方的に破棄された事。

 にも関わらず、即座にイザベラに求婚した事。

『卑怯にも』銃を使ってそれを断った事。 

 超絶おデブだったイザベラの過去を考えれば、それは誰しもが予想だにしなかった事である。


 ステージの共演と、ククピタでの冒険にエリックを巻き込んだことが、ますます二人に対する風当たりを強いものにしていた。


 すべての事情は、当のマイラから漏洩していたという。

 イザベラもこの時に知ったのだが、何となく雰囲気を察してはいた。

 マーガレットはビンセントに口止めをしたそうだが、結局は無意味だったのだ。

 そして、そのビンセントの姿は見えない。


 ヒソ、ヒソ。


 ヒソ、ヒソ、ヒソ。


 二人はひたすら好奇の視線に晒された。

 それは、多分に嫉妬の感情を含むものだったのである。


 エリック・フィッツジェラルド侯爵。彼の人気はそれほどに高かった。

 公爵位の無いエイプル王国では、侯爵は王族に次ぐ最高位の家柄だ。

 彼が当主のフィッツジェラルド家は幾つもの大企業の筆頭株主で、国内有数の資産家でもある。

 それに魔法のスペシャリスト。

 魔法エリックの右に出るものは、エイプル王国はおろかオルス帝国、いや中央大陸には居ないだろう。

 単純な成績自体はそうでもないが、それは試験の採点法に問題があるからだ。

 その上スポーツ万能で、甘いマスクはブロマイドの密売で金貨が飛び交うほど。




 講堂の壁際に二人は並んで立っていた。


「彼、来ませんわね」


「……来るもん……」


 イザベラは力なく項垂れる。マーガレットは、優しくイザベラの肩を撫でた。


「きっと、何か用事があったのですわ」


「何よ、用事って……。ブルースはこの町に、知り合いなんていないはずよ……」


 こんな気分もビンセントのせいだ。

 もうすぐ卒業なのだ。こんなイベントはそうそうない。

 イザベラは、なけなしの勇気を振り絞ってビンセントを誘ったのである。


 しかし、彼は居ない。来てはくれなかったのだ。

 これではせっかくのダンス・パーティーも、じつに味気ない。


 女子のダンスの希望相手はエリックに集中していた。

 次点でジェフリーだが、彼もダンスは得意だ。


 カーターが完璧に踊れるのは、あまりにも意外だった。

 女子の中には極稀に、ああいった筋肉ダルマを好む者もいるらしい。

 時間の経過とともに、なぜかカーターと踊りたがる女子が増えていく。

 ちなみにダンスが始まってからは、いかにカーターとはいえ、さすがに空気を読んで服を着ていた。


 そして、次の曲で最後だ。


「この前は、悪かった」


「えっ?」


 エリックだった。


「お前が僅かな間にここまで変わるなんて、誰も思いやしねぇ」


 そう言うとエリックは姿勢を正し、うやうやしく頭を下げる。


「一曲、この私めと踊ってはいただけませんか? ご令嬢」


 周囲の視線が集まる。

 ここで断れば、さらに風当たりは強くなるだろう。

 横を見れば、とても嫌そうな顔をしながらもマーガレットがジェフリーと踊っていた。


 イザベラは恐る恐るエリックの手を取った。


「ありがとう」


「勘違いしないで」


 イザベラは視線を伏せる。


「下ばかり見てちゃ、姿勢が崩れる。前を見な」


「くっ……」


 気に食わないのは確かだが、エリックの顔を見据える。


「そうだ。それでいい」


 エリックもまたイザベラを見つめ返した。その瞳は、優しかった。


 エリックのエスコートは完璧だった。何も考えずとも、自然に体が動く。

 段々と早くなるリズムに乗って。


 右へ。左へ。


 前へ。後ろへ。


 裾や相手の足を踏むこともなく。


 やがて、会場の視線はイザベラとエリックに集まっていた。

 誰もが見とれ、足を止める。

 照明係も気を利かせたのか、二人にひときわ強くスポットライトを当てた。


 最後の曲が終わると、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。

 その中心は無論、イザベラとエリックだ。

 イザベラがこれほどまでの喝采を浴びたことは、無い。


「楽しかったぜ。じゃあな」


 エリックたちは二次会に向かった。

 女たちがぞろぞろと続く。


「俺らも、帰りましょうや」


 と、カーター。


「そう……ね……プロテイン、無駄になっちゃったかな……」


 これ以上ビンセントを待っても仕方がない。すでに一部では片付けが始まっている。


「プロテインですって? 彼に渡したんですの?」


「うん……」


 プロテインはタンパク質の意味だが、古代文明の言葉「プロティオス」が語源だ。

 プロティオスの意味は、『一番大切なもの』。

 精一杯の気持ちだった。

 プロテインを渡して愛の告白をするというのが、貴族の若い世代で近年流行り始めたのは最近のことである。

 一説にはカーターの父、ボールドウィン卿が発祥との説があるが定かではない。


「あなたまさか、ただの平民に本気になってたなんて……!」


 マーガレットが頭を抱える。


「どうしたの?」


「おほほほ……まぁその、わたくしも……ね?」


 マーガレットもビンセントにプロテインを渡したという。

 平民の嫁探しは大変なので、余裕で落とせると思ったらしい。

 イザベラは開いた口が塞がらない。

 

「でもでもほら! その、彼おっぱい大きい方が好きらしいし?」


「……へぇ……そうですの。だったら去年の姿に戻れば良いのですわ、おほほ……」


 おほほなどと言ってはいるが、まるで笑っているように聞こえない。

 事実、顔は全く笑っていないのだ。


 イザベラはふと疑問に思った。


「ねぇ、もしかして平民には恋人にプロテインを贈る習慣って、無いんじゃ……?」


 カーターに視線を向けると、彼は全身で『ダメだこりゃ!』を表現していた。


「あるわけ無ぇだろッ! バカか、あんたら! プロテインはオレ様みたいなアスリートが使うものだぜ!」


「あはは……」


「おほほ……」


 二人の笑いはどこか引きつっていた。

 どんな想いも、通じなければ無いのと同じだ。


 今日は来てくれなかったが、明日がある。

 明日になれば、新しい服が届くのだ。ハイテク満載、新型の近衛騎士団の制服。

 彼に見せびらかして、褒められたい。


 カーターたちと連れ立って講堂を後にする。


「やっと行くのかー。眠かったんだー」


 ひたすら料理を食べ続けていたサラも一緒だ。目を擦りながら付いてくる。

 出口近くに立つ警備員の前で、カーターは立ち止まった。

 警備員が挙手の敬礼を取る。


 学院の警備員は軍や衛兵から派遣されており、夜会などの時は追加で近隣の基地から駆り出される事になっている。

 夜会では警備用の独自の制服を着用するのが決まりだ。

 普段とはまた違う、赤を基調とした華やかなデザインである。

 カーターは警備員に話しかけた。


「帰り、遅いのか?」


 妙に親しげだ。

 制帽を目深に被った警備員は答える。


「全員帰らないと終わらない。先に寝てくれ」


「わかった」


 そのままカーターは歩きだす。


「ええっ?」


 イザベラとマーガレットは顔を見合わせる。

 慣れ親しんだ声であった。

 二人にも警備員は敬礼をした。

 

「異常ありません。お気をつけてお帰りください」


 ビンセントは最初から最後まで会場に居たようである。


「――こういう時の警備も、俺たちの仕事らしいです」

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