第83話 よだかの星 その二
カーターはシャンパンの入ったグラスを傾ける。
確かに美味い。高級品だ。
しかし、こういった雰囲気はやはり慣れない。
幼いころに父親から、一通りの社交マナーというものを一応は聞いていた。
しかし、その父も『一応念のためだ。万が一もあるかもしれないが多分無いだろう。それより身体を鍛えろ、筋肉こそが大切なのだ』と言っており、実際に使われる機会が来るとは思ってもみなかった。
晩年の父はフルメントムのごく普通の農家のおじさん、といった感じではあったが、死の直前まで筋トレを欠かさなかったのを覚えている。
「親父……か」
ある大嵐の晩、用水路の様子を見に行くと言って出ていった父は、そのまま帰らなかった。
鍛え上げた筋肉も、大自然の猛威の前には無力だったらしい。
翌朝、用水路で発見された父は、まるで眠っているようにしか見えなかった。
開閉装置が破損した水門を強引に閉めた後、力尽きて溺れたらしい。
父の活躍によって守られた農地と作物を考えれば、父でなくとも誰かがやらねばならなかっただろう。
その場合、もっと多くの犠牲者が出ていた可能性が高い。
水門は絶対に閉鎖する必要があったのだ。
その年は異常気象で、エイプル全土で食料が不足していたのである。
都会の者は父を愚かとバカにしたが、父はカーターの誇りだった。
そのバカにした者は、カーターの手で病院に送られた。
「よう」
「君の歓迎会だってね」
エリックとジェフリーも来ていた。
いきなり出鼻を挫かれた格好である。
「ま、本来オレが居る場所じゃねぇけどな!」
カーターは、この二人があまり好きではなかった。
エリックには圧倒的に筋肉が足りない。細マッチョなど、ただのガリだ。
ジェフリーなど論外、カテゴリからして違う。
立食形式で講堂を貸し切っており、学院の学生や使用人を合わせれば、ゆうに三百人は居ることだろう。
ダンスパーティーも行われる。
王立学院のキャンパスは王都にあるが、カスタネでも研修や授業が行われる場合があるそうだ。
ましてや、今は夏休み。
新年度を前に羽を伸ばそうと、保養所には多くの学生が訪れていた。
「大したもてなしは出来ないが、良ければ楽しんでいってくれ。紹介しよう」
サザーランド教授は学生を次々と紹介していく。
「まずは、レイラ・パーキン君」
赤毛の痩せた女だ。
「あなたが先生の恩人のご子息ですって? 気品が感じられないわね。ダッサ」
開口一番、毒舌が跳ぶ。
しかしカーターは動じない。
「コイツァ強そうだ! 胸に向かうエネルギーが口に行ってるな?」
「なっ! 失礼ねッ!」
サザーランドが諌める。次だ。
「ドリー・マクフェイル君だ」
大人しそうな印象を受ける。短めのツインテールが揺れた。
「あ、あのぅ……よろしくですぅ……」
しかしカーターは動じない。
「おう! 本性をさらけ出してもオッケーだぜ! 腹黒だろ?」
「ええっ? ドリー、腹黒じゃないもん……クソ脳筋野郎」
サザーランドが諌める。次だ。
「メイ・ハーパー君だ」
小柄で痩せ型、身長はカーターのみぞおちくらいしか無い。
「あなたが、ボールドウィンのお兄ちゃん? 大きいのね」
しかしカーターは動じない。
「おう! オレの周りにも同じくらいの女の子がいるぜ! おっと、そこにいるセーラちゃんは小学生だっけ」
「メイ、小学生じゃないもん!」
サザーランドが諌める。次だ。
「ノーラ・ギボン君だ」
ゆるふわパーマの妖艶な美女だ。露出が多く、セクシー。
「よ・ろ・し・く・ねェ。 カーター・さぁん」
しかしカーターは動じない。
「おう! 売店のコンドームを買い占めたのはあんたか!」
「あらぁ。私だって、そんなに持たないわぁ」
サザーランドが諌める。次だ。
「エミー・マキオン君だ」
おっとりした雰囲気で、ぼーっとしている。
「こんばん、わ~。よろしく~」
しかしカーターは動じない。
「おう! いきなり豹変して包丁はダメだぜ!」
「ええ~。そんなことしないよ~」
サザーランドが諌める。次だ。
「ローズ・クロイドン君だ」
プラチナブロンドに碧眼、かつ巨乳でスタイル満点。
「よろしくね」
しかしカーターは動じない。
「おう! 相棒の好みにドンピシャだ! でも変に誘惑すると怖い貴族が出てくるぜ!」
「誰よ、それ……?」
サザーランドが諌める。次だ。
「ドリス・ノーサム君だ」
いかにも気の強そうな、キツイ目つきだ。
「どこかで会った? ……そっか、駅に居た人ね」
しかしカーターは動じない。
「おう! 恋人の浮気に怒るのはわかるぜ! でも、アンタの将来にゃ良かったんじゃね? フツーが一番!」
「ア……アンタに何がわかるのさ!」
サザーランドが諌める。次だ。
「マーガレット・ウィンターソン君だ」
栗毛の縦ロールだ。口許を羽の扇子で隠している。
「おほほほほ、ごきげんよう」
しかしカーターは激怒した。
「アンタはとっととプロテインでも飲んで寝ろ! 今すぐに! さあ!」
出入口を指差すと、警備員がわずかに動揺の素振りを見せる。
「ちょっと! わたくしだけ何なんですの!」
サザーランドが首を傾げる。
「知り合いかね?」
「知らねぇな! こんな恋愛脳のドリルは! 相棒に散々迷惑かけやがって!」
カーターの燕尾服の肩がほつれ、ブチブチと音を立てた。
「それは反省してますわ! でも、その言いようは酷いじゃありませんの!」
サザーランドが諌める。しかしカーターの機嫌は直らない。
背中からもブチブチと音がしだした。
せっかくの燕尾服が分解するかもしれない。
「あまり言っちゃかわいそうよ。マーガレットも反省しているわ」
イザベラだ。白を基調とした夜会服の着こなしも完璧である。
フリルが多用されたデザインは着る者を選ぶが、意外にも似合っていた。
「おいしー」
ドレス姿のサラを連れているが、彼女はお構いなしに皿の料理を食べ続けている。
口の周りがベタベタだ。
「いいや! コイツはまたやるね! 変なトラブルに首突っ込んで、危ない所を男に助けられて、その度に『きゅんっ』とか言って揺れる乙女心がどーたら言い出すに決まってる! 筋トレしろ、筋トレ! だいたいそれで解決だ! イザベラさんもそう思うだろ!?」
イザベラは目を丸くして何かを言いかけたが、やがて眉を吊り上げるとマーガレットに向き直った。
「そうよ! マーガレットはもっと反省しなさい!」
自信満々のイザベラをマーガレットは扇子で叩いた。
◇ ◇ ◇
こうしている間にも人はどんどん増えていく。
「……なに、そうか、困ったな」
見慣れた警備員が耳打ちすると、サザーランドは腕を組んだ。
「フィッツジェラルド君」
「何です? 先生」
サザーランドはエリックに何やら耳打ちする。
エリックは自信のこもった視線をカーターに向けた。
「なるほど。ちょっとした余興、ってやつか。……おい筋肉、さっそく出番だぜ」
「あぁん?」
◆ ◆ ◆
ステージにスポットライトが当たり、会場全体が歓声に包まれた。
その中心では、イザベラがマイクを手にウサギのように震えている。
顔面は蒼白で視線は定まらず、冷や汗が止まらないようだ。
「み、みなひゃん……ッ! あ、あ、あの、呼んでいたバンドがその、と、到着がおくれていみゃふ! な、なので、その、あの……」
「イザベラ。……落ち着きなさい。大丈夫ですわ」
イザベラはすがるような視線をマーガレットに向ける。
「あ……あ……マ、マギー……」
「…………大丈夫」
マーガレットの一言で、イザベラはどうやら落ち着きを取り戻したようだ。
深呼吸して姿勢を正すと、きっ、とした視線を会場に向けた。
「皆さん! 今回演奏する予定のバンドの到着が遅れています! 蓄音機でお茶を濁そうという話もありましたが、それでは面白くないでしょう? 私たち最上級生にとって、こんなイベントはもうありません!」
ステージ全体に光が広がり、その最奥にはカーターのパンツ一丁の肢体がドラムセットと一体化するように鎮座していた。
なぜかパンツには『01』と書いた丸いバッジ。
「今回はスペシャルゲスト! カーター・ボールドウィンさんがお越しです!」
カーターは立ち上がり、ボディビルの『基本ポーズ』を順番に披露していく。
会場がどよめいた。
「すげぇ……!」
「気色悪っ!」
観客はまさしく賛否両論という言葉そのものだ。
しかし観客のジェフリーが「キレてるよ!」と叫ぶと、雰囲気は若干肯定的なものに傾いた。
ポーズを変えるたびに一部から歓声が上がる。
「バリバリー!」
「板チョコ!」
応えるように、カーターの全身の筋肉がピクピクと動き、白い歯が煌いた。
どうやら時間稼ぎにはなっているようだ。
一通りポージングを終えると、やがてカーターはドラムセットに戻った。
イザベラが人差し指を天高く掲げる。
「たった今! ここで結成した『カスタネ・マッスルズ』、最初で最後のステージです! お聞きくださいッ!!」
カーターがスティックを持った両手を振り上げると、カッカッカッとリズミカルに打ち鳴らし始める。
「オゥケィ! レッツッ! ダンスゥアッー!!」
カーターがその外見に相応しいドラムワークを力強く奏でると、エリックのギターが踊るように、寄り添うようにローズのベースがそれに続く。
マーガレットがピアノの上で指を滑らせると、会場中にイザベラの歌声が響いた。
透き通るような、それでいて力強い歌声が奏でるのは、少し懐かしい流行歌。
ある者は乳母車の上で、またある者は若き日の妻と書斎で。
待ち合わせた喫茶店のBGMで、あるいはコンサートに行って生で聞いた者もいた。
誰もがどこかで聞いたことがある。
懐かしくも激しい、魂を揺さぶる曲だった。
この曲が出たのは、かつて世界が平和だった頃。大陸戦争の開戦前。
誰もがステージに目を向け、様々な記憶を蘇らせた。
喜び。悲しみ。成功。挫折。
ある者はその場で、ある者はステージ前の人だかりで。
ある者ははしゃぎ、ある者は静かに耳を傾けた。
歌は時代を映す鏡だ。
好むと好まざるに関わらず、古い曲は否応なしにその時の記憶を思い起こさせる。
それは入口で会場の出入りを見張る、名もない警備員も同じだったようだ。
黒髪の少女が心配そうに警備員を見上げていた。
「泣いてるのかー? 警備員さーん」
「……いいえ、そういう訳ではありません。お戻りください、お嬢様」
少女を見送った警備員が呟いた名前は、喧噪にかき消されて誰の耳にも届くことはなかった。
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