第81話 仔猫のお部屋

「何やってるの?」


 保養所の出入口から出てきた所を、こちらに気付いたジェフリーが覗き込んだ。


「わたくしの趣味ですわ」


「ああ、写真か」


 マーガレットの一言で納得したらしい。


 なぜマーガレットが急に記念写真を撮ろうと言い出したのかはわからないが、ビンセントは当然写真館に行くものだと思っていた。

 驚きの自前である。


 ジェフリーはそのままチラチラとこちらに視線を送ってくる。

 ビンセントはマーガレットに耳打ちした。


「あの……入れてやってはどうですか?」


「ええ~? ……でもまぁ、あなたが言うなら仕方ありませんわね。ジェフリー、一緒に撮りましょ」


「へへへ、ありがと」


 ジェフリーもその場に混じる事になる。


「それはいいけど。さっきサザーランド教授に呼ばれていたの、もうよろしくて?」


「えっ? ……ああ、それならいいんだ」


 サラを中心として、両隣にイザベラとビンセント、それを挟むようにカーターとジェフリーが並んだ。

 ジェフリーはビンセントの隣だ。


 ビンセントやカーターは写真館で証明写真しか撮ったことがないので、当然無表情である。

 しかし、マーガレットはそれでは気に入らなかったらしい。


「もっと笑って! 筋肉はポージングしてもいいから!」


「オウケイ!」


 カーターはすぐに『スナップ写真』とやらに馴染んだようだが、ビンセントはやはり緊張してしまった。

 嬉しくもないのに笑うなど、そうそう出来ることではない。


「撮りますわ! はい、チーズ!」


 セルフタイマーのゼンマイがジーと音を立てる。

 小走りにマーガレットがサラの後ろに収まる。

 やがて、シャッターの切れる音が微かに響いた。


「……なんでチーズなんですかねぇ?」


「さあ? ジョージ王が写真機を発明した時から、伝統的にチーズですわ」


 マーガレットは三脚に固定されたカメラを取り外す。

 蛇腹の先にレンズを取り付けた大型のもので、かなりの重さがあるだろう。

 薄いフィルムに感光材を塗った小型のものが研究中らしいが、完成はまだまだ先になるという。

 イザベラがマーガレットに詰め寄った。


「ね、ねぇマーガレット! 早く現像! 現像しましょうよ!」


「はいはい、だったらこのクソ重い三脚を担ぐことね。あなたなら余裕でしょう?」


「バカにしないで! 指一本で持てるわ!」


「前はあんなに嫌がったのに、変われば変わるものですわね、おほほほ……」


 ビンセントとカーターも手伝いを申し出ようかと思ってはいたのだが、あのカメラ一台で地方都市なら家が買えてしまうお値段だ。

 さすがに尻込みする。


「じゃあ、オレはトレーニングするから」


 カーターはサラを肩車して走って行った。


「おー、高いぞー?」


 サラは大はしゃぎだ。

 やはり肩車なら背が高いほど楽しいのだろう。


「じゃ、写真出来たら見せてね」


 ジェフリーも去っていく。


 ◇ ◇ ◇


 一人残されたビンセントは広場のベンチに腰を下ろすと、がっくりと力が抜ける。

 ここしばらく、いろいろな事が起こりすぎる。


「ふぁ……」


 少し疲れていたのかもしれない。

 ウトウトして、気がつけば三十分ほど経過していた。


「……おっと、いけね。寝ちまったか」


 近くの立ち木に背を預けて、一人の少女が本を読んでいるのが目に留まった。

 ビンセントたちより少しばかり年下で、平民のようだが服装や髪は小綺麗にしており、美少女といって差し支えないだろう。


「――――!!」


「――――……」


 同年代の少年が息を切らしながら駆け寄り、何やら謝っているようだ。

 彼も平民らしかった。

 そっぽを向いていた少女は、やがて笑顔になり、少年と手を繋いで歩き去った。

 とても仲睦まじいようで、二人の世界には誰も入り込めない。

 少女は少年の腕に抱き着くようにしてくっつき、キョロキョロと周囲を一瞥すると、少年の頬に口付けをした。


 彼らはどうやら平民だ。貴族ではない。

 ビンセントもまた、平民だ。


 イザベラとエリックが決闘する直前に貴族向けの食堂に呼ばれた時、彼らの話が理解できなかった。

 色恋沙汰など、生活に余裕がある富裕層がすることではなかったか。


 胸に、得体の知れない感情が息巻いた。間違いなく良いものではない。


 なぜ、あの二人は出会えたのだろうか?

 どのくらい一緒にいるのだろうか?

 あれくらいの年齢の頃、自分はどうだったのか?


『もう平民も貴族もないのかもなー』


 サラの言葉が脳裏をよぎる。ビンセントはかぶりを振った。

 これ以上考えるべきではない。

 兵隊は考えない。


「…………」


 目の前を猫が横切る。虎縞の子猫だ。

 ビンセントと視線が合うと、子猫はビクリと身体を震わせ、金縛りにあったように動きを止めた。


「……おいで」


 ビンセントは手を差し出す。


「シャーーーーッ!」


 子猫は毛を逆立て、牙を剥いて威嚇してくる。


「やれやれ、嫌われたか」


 館内へ戻るべくビンセントが立ち上がると、子猫は脱兎のごとく逃げ出した。

 そのまま樹を駆け上り、枝の上でさらにこちらを威嚇する。

 猫同士の場合、位置が高いほうが優位に立てるらしい。


「取って食いやしないってのにさ……」


 ビンセントは踵を返すが、数歩歩いて立ち止まった。

 枝の高さは三メートル近い。


「お前、降りられるのか?」


「……?」


 子猫はやっと自分の置かれた状況に気づいたらしい。

 今更のように周りを見回すと、枝の上で縮こまる。


「ニヒャァァ……」


 言葉は分からないが、明らかに困っている。


「やれやれだ」


 ビンセントは幹に手をかける。しかし。


「シャーーーーーーッ!!」


 再び威嚇されてしまう。無理に登っても、パニックを起こして飛び降りる恐れがある。

 そうなれば、怪我をするかもしれない。


「どうしろと……」


「何を一人でブツブツ言ってるんだ、お前は」


 後ろから声を掛けてきたのは、エリックだ。

 ビンセントの樹上を見上げる視線を追うと、エリックはすぐに子猫に気付いた。


「降りられなくなったのか。よし」


 エリックは両足に魔法陣を出現させると、音もなく飛び上がった。


「すげぇ……」


 思わず感嘆してしまう。そのままエリックはふわりと枝に降り立った。


「にゃ~ん。ごろごろごろ……」


「よしよし、あんまり無茶するなよ」


 子猫は甘えた声を出す。

 あまりにも露骨な反応の違いである。動物は正直だ。


 エリックは子猫を抱えると、ゆっくりと飛び降りた。もちろん魔法で落下速度を抑えてある。

 地面に降り立った子猫は、喉を鳴らしながらエリックの脚に身体をこすりつけた。


「あの……飼ってらっしゃるんですか?」


「いいや、コイツとは初めて会うな」


「そうですか……」


 エリックはしばし何か考えると、ビンセントに向き直る。


「そんな質問をするということは、お前の猫でもないのか。よし、飼い主を探すぞ。お前も来い」


「はぁ」


 ◇ ◇ ◇


 エリックに連れられて訪れた路地裏の店には、『仔猫のお部屋』という看板がかかっている。

 丁寧なことに、猫耳の女の子のイラスト付きである。


 あからさまな娼館だ。しかも、ニッチな需要を見込んだお店。

 さすが温泉街である。もっとスッキリしたい人も多いのだ。


「あの、俺、こういうのはあんまり……」


 少し強がった。正確には『あんまり』ではなく、『全く』である。

 ちんこ未使用はともかく、半身を覆う傷跡を女性に見せたくない。

 ……というのは建前で、ようするに勇気がなかった。

『お金を払わないと相手にしてもらえない』という事実を認めることになりそうで、怖かったのだ。


「なんだ? アレルギーか?」


「は?」


「違うなら来い」


 結局、エリックに手を引かれて入ってしまった。




「にゃーん」


 出迎えたのは、本当に猫だ。

 店内には数匹の猫が放し飼いにされ、自由奔放に遊び回っている。

 人間の店員は少し太めの中年の女性だ。


「いらっしゃいませ。あら、エリック様! いつもありがとうございます。この子は……?」


「木から降りられなくなっていたところを保護してな。ここでなら飼い主がわかるかと思ったんだが」


「そうでしたの……そういうことなら、預かります。もしも飼い主が現れなければ、私たちで引き取りますね」


 ビンセントたちは別の店員に促され、テーブルに付く。

 周りを見れば、店内には数名の客がお茶を飲みながら猫を愛でていた。


「ここは、一体……?」


「ここは『猫カフェ』といってな。猫が好きで遊びたいが、様々な理由で飼えない者が来る店だ」


「斬新な商売ですね……」


 エリックの膝に、白い猫が飛び乗った。


「にゃーん」


 エリックは穏やかな目で猫を撫でると、猫はゴロゴロと喉を鳴らした。


「なんでも、ジョージ王が考えたアイデアらしいぜ。俺も最初は看板のせいでマニアックな娼館かと思ったが……。こいつらには人間にはない『癒やし』ってもんがある。ハマっちまったよ」


「へぇ……」


 エリックは穏やかな笑みを浮かべ、猫を優しく撫で続ける。


「もともとは、野良猫や捨て猫を善意で保護していたどこかの貴族が、増えすぎた猫をどうしようか、ってジョージ王に相談して始めたって話だ。最終的には農林大臣になったって聞くぜ」


「ジョージ王も、猫が好きだったんですね」


「らしいな。お前も遊んでもらえ」


 ビンセントは手近な猫に手を伸ばした。暗い色の虎縞だ。


「おいで」


「シャーーーーッ!!」


 猫は牙を向き、ビンセントに噛み付いた。


「つつ……っ!」


 思わず跳ね除けたくなる。しかし、ビンセントは必死に堪えた。


「……取って食いは……しないよ」


「…………」


 しばらく、そのままだった。

 やがて猫は牙を離し、……しばらく躊躇した後、傷口を舐めた。


「……脅かしちゃったか。ごめんな」


「にゃー……」


 猫は、一度だけ頭を撫でさせてくれた。

 やがてエリックの隣へ移動し、丸くなって寝息を立て始める。


「ふん。平民の割には、けっこうやるじゃねぇか。気に入った。ここは奢ってやるぜ」


「はぁ、ありがとうございます」


 エリックが組んだ手の上に顎を乗せた。


「そもそも、お前の目。まるで、他人のような気がしなくてな……」


 妙なことを言う。侯爵が平民にシンパシーを覚えるなど、考えられない。


「……お戯れを」


「いやなに。昔の話だ。ずっと、ずっと……な」


 そう言うと、エリックはビンセントの目を真っ直ぐに見つめる。


「お前、『人生やり直したい』って、思ってるだろ」


「…………!」


 確かに、クソみたいな人生だ。

 ビンセントの人生は、暴力と悪意に常に晒されてきた。

 エリート中のエリートであるエリックに、それを指摘されてしまった。


「自分は本来こんな人間じゃない。でも、そもそもチャンスがないし、環境が悪かったんだ、……そう思ってないか?」


 ごく自然に胸をえぐる言葉の数々。全くもってその通りだ。

 イザベラやカーターと教室で机を並べる夢を、何度見たかわからない。

 最近は、そこにマーガレットも加わってイザベラと騒ぎだして。

 なぜかそこにはサラもいて、授業でわからないところを聞いたりするのだ。

 一緒に本を読んだり、スポーツをしたり。

 街に出て、映画を見たりボウリングで遊んだり。

 ……もしかしたら、誰かと特別な関係に。


 あるいは、こんな未来もあったかもしれない。

 しかし、目が覚めれば現実があるばかり。

 そんなことは、絶対に無いのだ。

 ビンセントは彼女らとは違う平民で、それでいて両手を血に染めた兵士なのだから。


 何よりもウィンドミルがカスタネに来れば、みんなとはもうお別れだ。

 マーガレットが記念写真を撮ったのも、そのためかもしれない。


「すまん、変な事聞いたな。忘れてくれ」


 エリックは支払いを済ませ、店を出ていった。


「…………」


 ビンセントは、テーブルに突っ伏した。

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