第80話 お兄様へ……

 ベッドに腰掛けるサラが開いている本は、図書館から借りたらしいカトー様が主役の冒険小説だ。

 読書の邪魔は悪いとは思ったが、この際だから聞いておくことがある。


「サラさん。『ルクレシオン』って、知ってますか?」


「んー?」


「ククピタを荒らしていた賊の親玉を倒したフィッツジェラルド様が、『ルクレシオンの恥さらし』と」


 サラは本から目を上げると、ビンセントに向き直る。

 しかし、お行儀悪くあぐらをかき、太ももをボリボリと掻く姿はあまり人に見せる訳には行かないだろう。


「エイプルを実質的に支配する秘密結社……って言ったら、わかりやすいかなー」


「秘密結社……?」


 何やら穏やかでない響きである。

 ビンセントが子供の頃に読んだ子供向けの絵物語に出ていたのを覚えている。

 不謹慎だが、胸が踊ってしまった。


「もしかして、世界征服を企んでたりとか?」


「いや、ぜーんぜん。元々はそんな大したものじゃなかったんだー。王立学院の学生とか、卒業生向けの同好会組織、みたいなー? 今は知らないけど、前の首魁はニコラスだし、イザベラも入ってるよー」


 ニコラス・ケラーは、エイプル王国の前総理だ。

 王城の一角にある首相官邸で勤務中に襲撃を受けて拘束され、新聞報道によれば総辞職したという。

 その後の消息は定かではない。


「イザベラさんも……?」


「あいつ実際に参加した形跡ないけどなー。親の意向で名前だけらしいなー」


「はぁ。で、どういった組織なんですか?」


 サラは腕組みすると体を揺する。


「父様が来て科学が発達してー、平民もべんりな暮らしができるようになったけどさー、むかしは貴族だけがべんりだっただろー?」


「ええ、まぁ」


 ビンセントが手入れしていた小銃も、そんな科学的な改良の産物だ。

 かつて銃は黒色火薬を火縄や火打石で着火するもので、連射はできず雨の日は使えなかった。

 たった今知ったことだが、全ての農産物も同様だ。


「マジックアイテムとかもちよって、それ懐かしむノスタルジーのサークルだったんだけどさー。いつの間にかそれに入るのがステータスになったんだよなー。領地もってる貴族とか、会社経営してる貴族とかはだいたい入ってるよー」


「ようはお金持ちの社交パーティーみたいなものですか?」


「そうだよー」


 エリックが何やら思わせぶりな態度を取っていたが、蓋を開けてみれば何ということはない。

 生活に余裕のある貴族は、平民と異なる様々な文化を持つ。


「なぁんだ……」


 サラは本を閉じると、若干姿勢を正してビンセントを見据えた。


「ステータスだからなー、年会費払えば貴族なら誰でも入れるんだー。ノスタルジーとか興味ないやつもなー。人が増えれば色々なやつがいるんだよー。色々な派閥ができてー、ちょっとやばいのがマイオリス――」


 しかし、会話は乱暴なノックの音で打ち切られる。


「入るわよ!」


 ドアを開けて入ってきたのは、ルシア。

 ククピタでエリックに救出されて以来、彼に仕えることを決めた女性だ。

 白いエプロンを付けた、コスプレではない本来の意味でのメイド服姿である。

 手には何やら封筒を持っていた。


「……まったくもう、私はエリック様のために村を出たのに、学院の人たちったら何か勘違いしてるわね!」


 何やらおかんむりである。

 彼女はビンセントに封筒を放り投げた。


「あの筋肉の部屋はここね? 確かに渡したから。じゃあね!」


 そのまま乱暴に扉を閉めると、足早に立ち去る足音が響く。


「何なんでしょう……?」


「知らなーい」


 封筒に目をやると、確かに宛先はカーターだ。

 切手にはフルメントムの消印が押してある。

 ひっくり返すと、差出人はエミリー・ホイットマン。 

 フルメントムの教会でカーターの帰りを待つ義妹である。



 ◇ ◇ ◇



「くっそー、売店のプロテインが売り切れだぜ! 誰だよ買い占めやがったバカは! ……あぁん? オレ宛て?」


 トレーニングで爽やかな汗を流しつつ帰ってきたカーターに封筒を渡すと、彼は封筒の口をきれいに引きちぎった。

 普段であれば乱暴にちぎって中身まで破ってしまい、慌てることも珍しくはない。

 さすがにエミリーの手紙は別らしい。


「ええと、なになに……?」



『お兄様へ


 カーター兄さん、お元気ですか?


 わざわざ電報でお手紙の送り先を教えてくれてありがとう。


 私は元気です。

 エドガーも、グレンも、サムも、ローラも元気で暮らしています。


 教会の復旧工事も始まって、日に日に元の姿を取り戻しつつあります。


 近々神父様もお戻りになるそうで、あとは兄さんが戻れば家族が全員揃うことになりそうです。

 

 兄さんが旅立たれてから、私は毎日毎日兄さんが帰ってくる夢を見てしまいます。

 兄さんとの暮らしがどんなに大切なものだったか。

 兄さんがいかに頼れる人だったか。

 居なくなって初めて気づくこともあります。


 私はどうやら、いつの間にか兄さんが心の一部になってしまっているみたいです。

 兄さんの居ない人生なんて、もう考えられないほどです。


 だってそうでしょう?

 子供の頃からずっと一緒だったんだから、残りの人生も一緒に過ごすのは、とても自然な事だと思います。


 一日も早く帰ってきてほしい。

 でも、兄さんにはこの国のために大切なお仕事がある。


 そんな二つの心のせめぎあいに、ついつい溜息が出てしまいます。


 寂しいです。会いたいです。

 世界中の誰よりも大切な兄さん。


 でも、それは私のわがままですね。

 兄さんを笑顔で見送るって決めたのに、情けないです。


 必ず無事で帰ってきてください。

 私は兄さんの帰る日を、いつまでもいつまでも待っています。

 

 愛を込めて。


 エミリー・ホイットマン』



 読み終えると、カーターは手紙を畳んで封筒に戻した。

 普段であれば、読み終えた手紙――おもに軍からの事務関係書類だが――は、読み終えたら丸めてゴミ箱にポイ、だ。

 寒い時期なら鼻をかむこともある。

 

「なんだあいつは! トイレに一人で行けないガキじゃあるまいし! 帰ったら説教してやる! 説教!」


 そうは言っても、その表情は決して厳しいものではない。

 穏やかで、どことなく嬉しそうである。


 カーターはタオルと替えの下着を持って部屋を出ていく。

 彼を見送るビンセントは、シャワーを浴びる前に呼び止めてしまった事を軽く後悔していた。

 正直、汗臭かったのだ。


「おい、ブルースー!」


「はぁ」


 サラはなぜか頬を染め、ピョンピョンと小躍りしている。


「あれ、どう考えてもラブレターだよなー!?」


「はぁ。よく、……わかりません」


 ビンセントはラブレターなど書いたこともないし、当然受け取ったこともない。

 そんなものは、遠い遠い世界の出来事だったのだ。


 ビンセントは胸に手を当て、深く深呼吸すると自分に言い聞かせる。


 カーターだって、元々は貴族なのだ。

 今は戦時だし、平民の兵隊である自分には関係ない。関係ないのだ。


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