第79話 錬金術

 マーガレットはビンセントが廊下を歩いているのを呼び止めた。

 冒険者ギルドに赴き、報酬を受け取って来たのだ。


「こんなに……! 良いんですか?」


 ビンセントはマーガレットの報酬から分け前を受け取ると、目を丸くした。

 彼は給料の殆どを実家に送金しており、小遣いは極々少額だという。


「殆どあなたがやったようなものですわ。全部あげても良いくらい」


「そ、それはさすがに……」


 ビンセントは鼻の頭を掻いた。

 彼の喜ぶ顔を見たマーガレットも上機嫌であった。

 こんな少額の小遣いで喜ぶさまは、見ていて清々しくもある。

 彼とは、今後も楽しくやって行けそうだ。

 あのイザベラの横槍が無ければ、の話だが。


「これはオマケですわ」


 ビンセントに小さな包みを渡す。


「後で一人で開けて。一人で食べることですわ。よろしくて?」


「はぁ、ありがとうございます……?」


 ビンセントは平民だ。貴族ではない。

 プレゼントに選んだ物の意味など知らないだろう。

 だが、それで良かった。

 いつか意味を知った時に驚く顔を見る楽しみがあるし、知っているならそれはそれで構わない。


「また、お願いしてもよろしくて?」


 そう言うと、ビンセントは一気に真剣な顔をする。

 マーガレットの目をまっすぐに見つめた。

 普段のやる気のない目ではない。その目には、見るものを射抜く光がある。


「危険すぎます。もう、冒険者稼業は引退するべきかと。あれはもう、冒険というよりは暴徒やテロリストの鎮圧です。衛兵隊……いや、軍隊を出すレベルですよ」


「え……」


 ビンセントは続ける。


「今回は運良く助けが入りましたが、次に同じ相手と戦えば、俺は守りきれないと思います」


 一度に五人もの魔法使いを瞬殺し、その後も獅子奮迅の活躍を続け、村を救った男の言葉である。


「それはつまり……心配して頂いてる、という事ですの?」


「はい。物事には潮時というものがあります」


 ビンセントは視線を外さない。

 マーガレットの胸は高鳴り、耐えられずに目を逸らした。

 彼は現役の兵士だ。

 戦いというものを誰よりもわかっている。


 ……少なくとも、マーガレットよりは。


「あなたがそう言うなら、そうしますわ」


「良かった」


 ビンセントは表情を緩めると、胸を撫で下ろした。

 しかし、マーガレットとしては少し物足りないのも確かだ。


 部屋に戻るビンセントを、マーガレットは見送った。

 

 もしも……もしも。

 かつての婚約者であるエリックならば、どう言うだろう。


『俺に任せろ、誰であろうとお前に指一本触れさせやしない』


 彼ならそう言うだろう。

 しかし、自分にはもうその資格がない。


「…………」


 マーガレットは窓辺に肘を着いて、しばらく外を眺めていた。


「あ……」


 飛び回るスズメが、急に舞い降りたタカに捕らえられた。

 思わず目を背ける。

 

 わかっている。

 大自然の営みに、人間が干渉してはならないことくらいは。

 スズメは可哀想だが、スズメを助ければ食事を奪われるタカが可哀想だ。


 果たしてどちらがビンセントで、どちらがエリックなのか。

 ビンセントに会う前と後で、答えは違ってくる気がした。


 マーガレットは窓から離れ、部屋に戻ろうとした。


 そこで、思わぬ人物に出会う。

 エリックだ。


「マーガレット。今回はずいぶん軽率な事をしてくれたな」


「何のことですの? 心当たりがありませんわ」


 小柄なマーガレットよりも、頭二つ分以上は背の高いエリックが右手一本で逃げ道を塞ぐ。

 壁を背にしたマーガレットは動けない。

 不本意ながら、心臓が高鳴った。

 強引で乱暴な男であるが、何だかんだで顔は良いのだ。この元・婚約者は。


「わたくしは『村長の依頼で』、『モンスターを退治した』だけですの。ブルースに助けられて、ね」


 エリックは、残る左手でマーガレットの顎をクイ、と持ち上げた。


「ふざけんな」


 吐息のかかる距離。口臭など、もちろん無い。


「顔が近いですわ。人を呼びますわよ?」


「呼んでみな。口を塞いでやる」


 エリックの顔が近づく。

 顔を背けたいが、体が言うことを聞いてくれない。

 ビンセントもこの位強引であったなら、とマーガレットは心の中で舌打ちした。


「おー、すっげー! 壁ドンだー」


 子供の声。視線を向けると、セーラである。

 イザベラの使用人。

 主人がアレためか教育がなっておらず、尊大で口が悪い。しかし、可愛い子だ。


「初めて見たぞー。その後どうするんだー?」


 三白眼を輝かせ、抱えている菓子の袋に手を突っ込んだ。

 ポリポリと咀嚼音が響く。 


「どうしたんだー、モグモグ、続けないのかー? ポリポリ……」


 口の中に菓子を入れたまま、セーラは話す。

 僅かな破片が飛び散った。

 セーラは再び袋に手を入れると、新たな菓子を口に運ぶ。

 再び響く咀嚼音。


「今でこそ、そういうのが壁ドンって言われてるけどなー、元々は隣の部屋でカップルがおっ始めた所を、隣の独身男が『うるせえぞ!』って壁を叩いたのが語源らしいぞー。諸説あるけどなー」


 セーラは、また菓子を口に運ぶ。


 ポリポリ、ポリポリ。


 ポリポリ、ポリポリ、ポリポリ……。


「チッ……見世物じゃねぇ」


 エリックは立ち去った。

 セーラの咀嚼音はまだまだ続く。

 彼女はマーガレットに手を差し出した。豆菓子が乗っている。


「豆、食べるかー?」



 ◆ ◆ ◆



 部屋には誰もいない。

 ビンセントはマーガレットからもらった包みを開けてみた。


「……なんだ、このプロテインは。もっと筋肉を付けろということか……?」


 しかし、筋肉など一朝一夕に付くものではない。

 カーターに聞くととんでもない事になるので、この事は黙っておくことにした。


 それよりも、銃の手入れをしなければならない。



「かべどーん、かべどーん、ただーしイケメンにかぎる~」


 作業が終わる頃、サラが妙な歌を歌いながらドアを開けた。

 どこかに出かける時は人を付けるようにしているが、イザベラの部屋くらいなら黙って出ていく事もある。

 

「おー、ブルースは鉄砲の手入れかー」


「はぁ。何ですかその歌は」


 ビンセントが銃を手入れするのを、サラは興味深そうに覗き込んだ。


「大事にしてるなー」


「ええ、まぁ……平民はこれが無いと、まともに戦えませんから」


「ふーん。知ってるかー? 火薬は昔、おトイレの土から作ってたんだー」


「ええ、そのくらいは」


 だから貴族は銃を嫌う。

 しかしその方法では生産量が限られてくるので、現在では硝石鉱山から産出されたものを使っているはずだ。


「……古いなー。お前までまだそんなこと言うのかー」


「えっ」


「今はパンと火薬を空気から作ってるんだぞー」


「ははは、冗談ならもう少し捻った方が良いですよ」


 しかし、サラはかぶりを振る。


「一千気圧で窒素と水素をなー、鉄を触媒に反応させてアンモニアを作ってだなー、そのアンモニアを――」


「はぁ、魔法の話ですか。俺にそんな話をされても……」


「……魔法じゃないんだなー、これがー」


 サラはビンセントにもわかりやすく説明してくれた。


 ジョージ王が残した遺産の一つで、一切の魔法を使わない『化学』の産物。

 元々は肥料を作るために考えられた方法だそうだ。

 大気中に無尽蔵に存在する窒素を主原料とする『化学肥料』は、食糧生産に革命をもたらした。

 従来の肥料に比べて農作物の収穫量が飛躍的に増大したのだ。

 新技術は瞬く間に世界中に拡散し、独自に改良され、各国で人口爆発の原因になったという。


 しかし、同時に燃料さえあれば火薬を無尽蔵に作り出せる事にも直結した。


「そんな……」


 にもかかわらず農業関係者以外で知っている者が少ないのは、学校教育で使われる教科書が予算不足で更新されないままだからだという。


「お金がないからやらないって、ほんとかなー? 平民があまり賢くなったら面倒くさい、と思ったのかもなー?」


 しかし、ピネプル共和国やアリクアム共和国では常識らしい。

 いずれにせよ、ビンセントは学校を途中で辞めている。辞めざるを得なかった。

 ビンセントにとっての問題はそこではない。


「空気からパンと火薬を……? それじゃまるで――」


 ビンセントは息を呑んだ。

 今まで疑問にすら思わなかったことだ。

 確かに、それなら戦場であり得ないほど大量に消費される弾薬を賄う事ができる。


「――まるで魔法じゃないですか!」


「そうだなー。もう平民の貴族も無いのかもなー」


 サラは何でもない事のように言い、ベッドに腰掛けて本を読み始めた。

 しかし、ビンセントは動揺が止まらない。

 平民と貴族を別の存在として分かつもの。


 それが魔法の有無だ。


 同じ人間であっても、働きアリと女王アリのように役割が違う。

 軍事的に魔法が陳腐化しても、すぐに社会が変わるわけではない。

 だから消耗品として使い捨てられる自分自身に、それなりに折り合いをつけて生きてきた。

 これが自分の役割なのだ、と。


「それじゃあ――」


 ――身分とは、何だ。

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