第76話 ヒーロー

 土砂降りの雨がククピタ村だけに降っている。

 元々天気は良く、雨が降るような空模様ではなかった。

 エリックの魔法である。


 ビンセントは何度目かもわからない水汲みから戻ると、村内を見回ってもらったジェフリーも戻っていた。


「もう賊は居ないみたいだね。生き残りは針金で縛っておいたよ」


「そうですか、ありがとうございます」


 後でまとめてどこかに放り込んで置けばよい。


「しかしエリックも大概だね。天候操作がどれだけ高度な魔法か知ってるかい?」


「いいえ。ですが、助かります」


 全く想像がつかない。

 ビンセントの人生は、ほとんど魔法と無関係だった。

 興味を持ったことも無かったのだ。


 しかし、目を見張るのはやはりカーターである。


「ぬおおお! まだまだァ!」


 カーターが水を一杯にしたドラム缶を頭にのせてのっしのっしと歩いていた。

 筋肉様様だ。

 どう考えてもおかしい。

 ドラム缶は特注品でない限り、容量は二百リットルもある。

 缶自体も、物によるが平均二十キロくらいはあるのだ。


 マーガレットは魔法で氷を呼び出しては火に撃ち込んでいた。


「おほほほほ! わたくしの独壇場ですわ!」


「負けないッ!」


 イザベラも大きな木樽を抱えて火事場へ向かっていた。


「よいしょー、よいしょー」


 サラも一緒になってバケツでヨチヨチと水を運んでいる。


「うわー」


 しかし、躓いて転んでしまった。


「大丈夫ですか、サ……セーラちゃん」


 ビンセントはサラを助け起こそうとするが、サラはその手を払いのけ、一人で立ち上がってはバケツを抱えた。

 泥のついた顔でビンセントに笑顔を向けた。


「わたしだけ、何もしないわけにはいかないだろー?」


 思わず涙腺が緩みそうになる。

 やはり、この子は王の器だ。


「無理はしないでくださいね。それから、必ずイザベラさんかカーターの目の届く所で作業してください」


「わかってるよー」


 村人たちも懸命な消火作業に当たっており、火勢は弱くなっている。

 自分たちの家を守るため、誰もが必死になっていた。

 鎮火も時間の問題だろう。


 エリックが指をパチンと鳴らすと、雨は段々と小降りになっていく。


「ま、こんなもんだな。あとは村人に任せても良いだろう」


「ご協力、感謝します」


「せっかく助けに来たってのに、お前がほとんどやっちまったからな」


 エリックがやれやれと溜息をついた。

 魔法で大雨を降らせた男の言葉である。

 しかし、ビンセントにとってはまだ仕事は残っている。


「フィッツジェラルド様。お力を貸していただけるので?」


「なんだ、まだあるのか」


 ビンセントは山頂の一角を指差す。


「賊に村の娘さんが攫われたようです」


「フン。下衆どもの考えそうなことだ」


 エリックはポケットに手を突っ込んだまま、山頂の方向へ歩き出した。

 力を貸してくれるらしい。


「……ありがとうございます」


 ビンセントは小銃を手に後に続く。


「だったら私も行くわ!」


 イザベラが付いて来ようとするので少し困った。

 おそらく、見せたくない光景が繰り広げられているだろう。

 男所帯で女を攫う理由など、一つだけだ。


「お待ちなさい、イザベラ」


 幸いマーガレットが押さえてくれた。


「わたくしたちは留守番。賊の生き残りが他にも居たら、大変ですわ」


「……でも!」


「エリックが居るなら、どんな相手が来ても大丈夫。ですわね? エリック」


「ああ。お前らは消火を続けろよ」


 マーガレットも察してくれたらしい。

 ビンセントは心の中で感謝した。


「なぁ、相棒」


 カーターも付いて来たそうにしていたが、万が一のためにカーターには残っていてもらいたかった。

 ビンセントがサラに目をやると、彼は悔しそうに額に手をやる。


「……わーったよ、後は任せな! 行ってこい!」


 サラの魔法はとても心強いが、サラ自身に何かあっては本末転倒だ。

 この中で安心して背中を任せられる相手といえば、遺憾ではあるがカーターである。


 ◇ ◇ ◇


 月夜が行く手を照らしていた。トラックの轍を辿れば、追跡は難しくない。


「ここだな」


 ビンセントは無言で頷き、銃を握りしめた。


 自然の洞窟を利用しているらしい。

 見張りが一人。

 手近な岩に腰掛けて、悠々と煙草を吹かしていた。

 腰に下げた剣以外、武器は持っていない。

 なお、ある種の剣には魔石が埋め込まれ、杖と同様に魔力を増幅する効果があるらしい。


 ビンセントが狙いを定めるが、エリックはそれを押しとどめた。


「せめて、最後の一服くらいさせてやれ」


「……それも、そうですね」


 今まで戦うことだけに精一杯で、ビンセントにはそんな余裕はなかった。

 むしろ、油断している今こそ絶好の機会と思ったはずだ。

 これが、育ちの差だろうか。


 やがて男は煙草をもみ消し、大きく伸びをする。

 ビンセントが引き金を引くと銃声が轟き、男は声も無く倒れた。


「何だ! 何事だ!」


 洞窟の奥から残っていた賊が駆けだしてくる。

 今夜は月夜。

 狙撃にはじゅうぶんな明るさがあるし、洞窟内のかがり火が目標をわかりやすい影絵で照らしてくれる。

 もう一発。さらにもう一発。


 次々と男たちは倒れていく。


「……やるな。だが、俺は俺のやり方で行くぜ」


「ご随意に」


 エリックは悠々と洞窟へと足を進める。

 さほど深い洞窟ではないが、少なくとも十数名が拠点としていただけはあり、それなりの奥行だ。

 足元には食べ残しや空き缶、汚れ物などが散乱し異臭を放っている。


 ある横穴に無造作に積まれた木箱や麻袋があり、開けっ放しの口からは野菜や加工肉が見えた。


「……略奪した食料だな。お前、後で村に返してこい」


「はっ」


 しかし、それは後回しだ。物資輸送のプロに、プロらしい所を見せてもらおう。

 カーターであれば、なんの苦も無く運べる量だ。素手で。


 最奥部には、一人の男が椅子に座って待ち構えていた。

 後ろにはわざわざ付けたのか、半開きの扉がある。

 この男だけは髭を剃り、身なりも整えていた。

 ビンセントたちを見ても動じることはなく、得体の知れない殺気を醸し出している。

 少なくとも雑魚ではない。


「……お前が来ていたとはな。エリック」


 知り合いだろうか。男が組んだ足を解き、ゆっくりと立ち上がる。


「……俺が知っているお前はもう居ない。俺の目の前にいるのは、ただの強盗殺人犯だ。エリック・フィッツジェラルドの名において、断罪する」


「でかい口を叩くようになったな、小僧!」


 男が腰からサーベルを抜く。

 この二人にいかなる因縁があるのか、ビンセントには知る由もない。

 エリックは足元に転がっていた木の枝を足で器用に拾うと、剣のように構える。


「そんな棒きれで俺と戦うつもりか? 舐められたものだな」


 男は左手を突き出し、魔法陣を――


「!?」

 

 瞬きをする間の一瞬だった。

 何が起こったのか、ビンセントにはさっぱりわからない。

 気が付けば男は、エリックの足元に倒れ伏し、完全に気絶していた。


「ふん。ルクレシオンの恥さらしが」


 エリックはビンセントに向き直ると気だるそうに呟き、棒切れを放り投げる。

 

「ビンセント。そいつが目覚めると面倒だ。縛っておけ」


「は、はぁ……」


 言われた通り男の手足を針金で縛る。後の事は衛兵隊に任せれば良いだろう。

 エリックは最強の魔法使いだと聞いているし、イザベラとの戦いも目の前で見た。

 しかし、剣術? 的な何かも規格外だ。


 イザベラとの勝負は本当に興がそがれて止めたのだろう。本気でやれば、どう考えてもイザベラに勝てる見込みは無さそうだ。

 ジェフリーの言ったとおり、銃相手でも勝てるかもしれない。


 エリックは扉を勢いよく開いた。


「誰……?」


 奥にいたのは、粗末で薄汚れた服を着せられ、首輪を鎖で繋がれた女性だった。

 目は真っ赤に腫れ、口の横には目を背けたくなる青痣ができている。


「もう大丈夫だ。ククピタに帰るぞ。歩けるか?」


 エリックは上着を脱ぐと、女に羽織らせた。女の顔に光が差す。


「助けて……くれるの?」


「ああ」


 ビンセントは倒れた男の腰に下げられた鍵束を取った。しかし。


「いらねぇよ」


「しかし――」


 頑丈そうな鎖を、エリックは一瞬で引きちぎった。

 体格はビンセントと大して変わらないのに、どこにそんな力があるのか……と一瞬考えてしまったが、エリックのことだ。

 何らかの魔法で引きちぎったのだろう。

 切れた鎖の断面が溶けたように丸く変形していた。力任せに引きちぎったのでは、こうなる事はあり得ない。


「う……うあぁああぁん! もう、ダメかと……!」


 女性はエリックの胸に顔を埋めると、堰を切ったように涙を流し始めた。

 エリックは穏やかな笑顔で彼女の髪を撫でている。


「さ、帰ろうぜ。村のみんなが待っている」


 ◇ ◇ ◇


 どうやらこれで、依頼は達成のようだ。

 三人で村へと戻ると、歓声とともに迎えられた。

 生き残った賊は縛り上げられ、村長の家の倉庫に放り込んであるそうだ。


 誰もが煤に汚れ、疲労の色を隠さない。しかし、喜びがその疲れを吹き飛ばしたようだ。

 その中にはあの兄妹もいる。

 二人の笑顔を確認すると、ビンセントもやっと胸を撫でおろした。


 助けた女がエリックに跪く。


「私を……いえ、村を救っていただき、本当にありがとうございました! 私、ルシア・ブラウンと申します! あの、ぜひお名前を……」


「俺は大したことはしていないぜ」


「お名前だけでも……!」


 エリックは笑顔を返す。


「エリックだ。エリック・フィッツジェラルド。エリックと呼んでくれ」


「エリック……様……!」


 ルシアは頬を染め、愛おしそうにその名を繰り返した。


「エリック様、ばんざーい!」


 村人の一人が賞賛の声を上げると、歓声は村全体に広がっていく。


「村の英雄だ! エリック様!」


「さぁ、宴だ! 大したものは出せませんが、こちらへどうぞ、エリック様! ジェフリー様もご一緒に!」


 焼け残った家で宴会の準備をしていたそうだ。


「な、何ですの?」


「え? 私も?」


 エリックどころか、ジェフリーとイザベラ、マーガレットまで村人に連れていかれてしまった。


「イケメンってすごいなー」


 サラは感心したように言うが、やはり不満そうだった。

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