第75話 モンスター その三

「ッ――!?」


 不意に曲がり角から現れたのはトラック。

 荷台には男が二人。

 一人は剣を構え、一人は火炎放射器を構えている。


「もう一丁あったのか!」


 魔法どころか、きわめて短いはずの火炎放射器の射程に入っている。

 荷台の男が叫んだ。


「死ねッ! ドブネズミ!!」


 火炎放射器の男が引き金を引くのがゆっくりに見えた。

 視界は狭まり、世界から色が消え、身体が言う事をきかない。

 トラックのドアの傷に視線が行く。

 型から見ても、ビンセントがサラやイザベラと出会ったときに乗り捨てたものだと思われた。

 それがなぜここにあるのかはわからない。

 それらの思考も、時間にすれば一瞬の事。


「――?」


 目の前に白い塊が浮かび、大きくなっていく。一瞬で直径が一メートルほどに拡大した。


「……氷?」


 炎が氷とぶつかり合い、大量の湯気が辺りを包む。

 煙幕のように周りを覆いつくした。


「ブルースッ! 下がりなさいッ!」


「マーガレットさん!?」


 いつの間にか背後に付いて来ていたマーガレットに手を引かれ、積んであった肥料袋の影に転がり込む。


「子供たちは安全な所に隠しましたわ! こっちに早く!」


 はっきり言って、逃げだすと思っていた。

 マーガレットを侮っていたのだ。おかげで助けられた。


 路地に駆け込んで体勢を立て直すしかない。

 

 不意に向かい風の突風が吹き、二人の足を僅かに鈍らせる。

 風は湯気の煙幕を一瞬で晴らした。

 火災現場では突風が吹くことがある。しかし、こうも都合よく吹くものではない。

 おそらく魔法だ。


 二人の後ろから、空気を切り裂く音とともに透明な塊がビンセントの横顔を掠めた。

 透明な塊は意志を持つかのように変形し、マーガレットの頭部を、上半身を包み込む。


「これは!?」


「うぐぐ……っ!」


「マーガレットさん!」


 いくらもがいても全く取れる気配がない。

 水の魔法だ。

 水の塊が、マーガレットの上半身を完全に覆っている。これでは呼吸ができない。

 マーガレットは空気の泡を吐いてもがいているが、離れる気配は微塵も無かった。


 ビンセントは振り返り、引き金を引く。

 射角を調整する余裕もない。直接照準で小銃てき弾を飛ばす。

 破片から身を守るため、マーガレットに覆いかぶさった。


 爆発とともに敵の魔法使いは吹き飛んだと思われるが、確認する余裕はない。


「しっかりしてください!」


 不意に後ろでもう一度爆発が起こり、複数の悲鳴がこだました。


「今度はなんだ!?」



 ◆ ◆ ◆



 途中で日が暮れてしまったが、遠くから聞こえるエンジンの爆音と、炎の灯りを目印に山道を駆け、村に辿り着いた頃にはすでに戦闘が始まっていた。


「ホゥ、ハヘハァー!」


 馬車を引くエクスペンダブル号が、村の入口で悲鳴を上げて立ち止まる。

 もうだめだ、と聞こえたような気もするが、気のせいだ。

 確かにご老体にはオーバーワークであった。


「よーし、よく頑張った。後でご褒美だぜ!」


「アヒヒィ!」


 目に映ったのはたった一人孤軍奮闘するビンセントと、その後を追うマーガレットである。


「ジェフリーさんよぉ、治安が悪いとはいっても、ここまでとは聞いてなかったぜ?」


「僕もここまでとは……。君たちに頼るしかないようだね」


 ジェフリーは戦闘向きの魔法をほとんど使えないという。

 ビンセントたちは火炎放射器と魔法に狙われ、絶体の危機であることは間違いなかった。


「やべぇな! 今助けて……」


 しかし、対魔ライフルを構えようとするカーターを押しのけてイザベラが魔法を放った。

 結果、トラックは爆発、炎上。


 トラックは戦闘を前提したものではなく、徴発した民生品だったらしい。

 通常の側面に燃料タンクが剥き出しのモデルだったため、効果は絶大であった。

 

 ましてや、燃料は引火性の高いガソリンである。

 軽油を燃料にした燃えにくい車両も研究中ということだが、未だ実験室レベルであり、実用化には程遠いということだ。


「見た? カーター! 私が! 私の魔法が! このイザベラ・チェンバレンが! ブルースの絶対の危機を救ったの! こ、これでいつしか二人は……フヒ、……フヒヒヒヒ!!」


 もしもこの場にカメラがあったら、ぜひとも写真に収めたい。

 はっきり言って酷いとしか言いようがない。

 燃え盛る炎が空気を揺らし、亜麻色の髪が揺れる。


 しかし、イザベラが魔法を放ったその時、すでに敵の水魔法がマーガレットを溺れさせていた。

 水魔法を放った男も爆発に巻き込まれたようだが、もう一瞬早ければと悔やまれる。

 マーガレットが動かない。ビンセントが駆け寄るのが見えた。


「おっと、こうしてる場合じゃねぇ」


 イザベラの相手をしている暇は無い。


「大丈夫か、相棒!」


「カーターか! 手伝ってくれ! 溺死系の水魔法を食らった!」


 ビンセントはマーガレットを抱き起し、必死に頬を叩いてはいるが反応は無い。


 上半身、特に頭部をまるごと覆う水の塊で、敵の溺死を狙う。

 おぞましい魔法であるが、弱点が無いではない。

 この手の魔法の常として、一度に使える相手は一人だけだ。

 先に術者を倒してしまえば、それで即座に魔法は解ける。

 術者は小銃擲弾の一撃で吹き飛んでいた。


 手当が早ければ、助ける方法もある。

 カーターとビンセントは目を合わせると、無言で頷いた。

 

 マーガレットを仰向けに寝かせ、カーターは掌で強く胸を繰り返し押す。ペースは毎分百回。

 ビンセントは鼻を摘み、顎を持ち上げて気道を確保し、息を吹き込む。

 繰り返すことしばし。


「ゴホッ……ゴホッ……」


 マーガレットは肺の中の水を吐き出した。

 カーターとビンセントは視線を合わせると、ほっと一息ついた。

 マーガレットを抱き起すと、ふらふらと覚束ない足取りでイザベラが歩いてくる。


「なんで……おま……キス……れ……だ……」


 ぶつぶつと何か呟いているが、よく聞こえない。眼が座っている。……とても恐ろしい表情をしていた。


「イザベラ……助けに来てくれたんです……のッ……んんっ?」


 イザベラの唇がマーガレットのそれを塞いでいた。


「ぷはあっ! わ、わたくし、そ、そんな趣味は……!」


「うるさいっ! ジュースの回し飲みと同じよッ!」


 例え無理をしても、この夜ほどカメラがあればと思った事はない。

 向こう数年分の給料を全てつぎ込んで月賦を組んでも良いとさえ、カーターは思った。

 正直、面白かった。マーガレットが助かったからこそ言える結果論ではある。

 しかし……


「サラさん、見ちゃいけませんぜ」


 サラの目を塞ぐ。

 とても子供に見せられる光景ではない。教育上、かなりよろしくない。

 サラをカスタネに置いておく訳には行かないし、何よりもサラ自身が申し出たのだ。

 もちろんエリックとジェフリーには『セーラ』で通してある。


「もう見たもんねー。ブルースとか百合大好きだろー? 良かったなー」


 ビンセントは苦笑いしながら鼻の下をこすっていた。

 どうせ涼しい顔をして心の中では大喜びしていることだろう。


 突如、サラがクンクンと匂いを嗅ぐ仕草を見せ、カーターの手を振りほどいて指を差す。


「わるいひとだー!」


 間髪入れずにビンセントが発砲する。


「ぐっ……」


 ジェフリーのすぐ後ろに音もなく迫っていた賊が、苦悶の声を上げた。

 手には高価そうな宝石の埋め込まれた、しかしろくに手入れされていない錆びたブロードソード。

 服も靴も上等だが、これもまた全く手入れされておらず、異臭がする。

 顔は黒ずんで、無精ひげが伸び放題だ。


 賊は声も無く倒れ、剣は地面に突き刺さった。


「お怪我はありませんか? ロッドフォード様」


「……無事だよ」


「そうですか、良かった」


 エリックが差し伸べた手を取って、ジェフリーは立ち上がる。


「……これが、現実か。情けない事だね」


 賊はビンセントが殆ど掃討したようだ。

 負傷しつつも生き残った賊がうめき声を上げている他は、動くものはなかった。


 しかし、ビンセントは銃のボルトを操作し、新しい弾を込め始めた。



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