第74話 モンスター その二

「さ、残りを片付けますわよブルース」


 マーガレットは立ち上がろうとするが、ビンセントの反応は芳しくない。


「あの、できればここに居ていただければ」


「どういうことですの? まさか、このわたくしを足手まといだと……」


 実際、その通りらしい。

 魔法使いと銃を持った平民が戦えば、まず平民が勝つ。

 どうやらこれが、新しい時代の常識のようだ。

 そして、この新しい常識をわきまえている指導者は、各国にどれだけいるのだろうか。


「彼らをお願いできたら、と」


「彼ら?」


 ビンセントはマーガレットの後ろを指さす。

 村に来た時に出会った女の子が泣いて震えているのを、兄が励ましていた。

 ビンセントは膝をつくと、二人を軽く抱き寄せ、優しく語りかける。


「大丈夫。このお姉さんの言うことをちゃんと聞いて、隠れているんだよ。あんな奴ら、俺がやっつけてやるからね」


「恰好つけ過ぎじゃあ、ありませんこと?」


 ビンセントは立ち上がると、恥ずかしそうに頭をかいた。


「『あの時』、誰も手を差し伸べてはくれませんでした。でも、この子たちに世界に絶望させたくない」


 そう言うと、ビンセントは柔らかく微笑んだ。


「あ……」


 思わず胸が高まる。

 エリックでも、こんな顔はしたことがない。

 穏やかで暖かな笑顔だった。


「たとえ、神様もカトー様も居なかったとしても、兵隊さんはいるんだ、って……言いたいじゃないですか」


 それだけ言うと、ビンセントは炎の中へと駆け出す。


「気をつけて! 兵隊さん!」


 子供たちがビンセントを見送った。

 恐怖と絶望の中で一すじの希望を見つけたような、そんな目だ。


「ブルース……あなたが……あなたがこの子たちのカトー様になろうとでも? ……生意気ですわ! わたくしは貴族ですのよ! ……貴族らしく、振る舞ってみせますわ!」


『あの時』とは、どの時だろうか。マーガレットは何も聞いていない。

 しかし、全てはこの兄妹を避難させてからだ。

 マーガレットは子供たちの手を取った。


 ◆ ◆ ◆


 マーガレットは士官養成コースではない上に、アリクアムに留学していたという。

 王立学院の学生は自動的に尉官の軍属になるとはいえ、実戦経験が無い。

 前時代の常識しか知らないというのであれば、はっきり言って逃げてもらった方が良いのだ。

 近代兵器は魔法を完全に過去の遺物に変えており、士官の魔法はもっぱら兵の逃走を阻止するためにのみ使われるのみだ。


 小銃の有効射程は魔法の数倍。

 それどころか、銃という厄介な武器は、教本が書かれた時代に比べて有効射程はおよそ六倍、弾の再装填速度は数十倍。

 将来的には機関銃並みの連射を可能にする『自動小銃』も開発中という話だ。


 前提が全く変わっているのだから、教本通りに事が進まなくて当然である。

 上手く行かない苛立ちは兵士にぶつけられるというのがお決まりのパターンだ。


「火炎放射器か……!」


 ビンセントには、思い出すもはばかられる悪行というものがある。


 ◇ ◇ ◇


 リーチェで両軍の塹壕を挟んだ無人地帯は、厳密には無人ではなく、未だ疎開していない住民の集落がいくつかあった。

 中には、逞しくもその中で畑を耕す者もいたのだ。


 しかし、そうした家屋は敵にとっては絶好の遮蔽物であり、破壊する必要があった。

 そのためには住民を強制的に疎開させなけらばならない。

 本来は工兵の任務だが、人手不足でビンセントたちが駆り出されていた。

 

 それだけなら、まだ良かった。


『で、助かる見込みは無いんだな』


『はっ。本来であれば隔離が必要でしたが、田舎ゆえか周知が至らず。病状は末期で、回復の見込みは無いと思われます』


 リーチェ時代のトラバース隊長が、衛生兵からの報告を聞いていた。


『やむを得ん。やれ』


『し、しかし!』


『病原体は未知、治療法も無し。感染者を増やす訳にはいかん』


 住民を立ち退かせるために訪れた家に、病人がいたのだ。

 しかも、患者は伝染性が非常に強い未知の病原体に侵されていた。

 このまま下手に連れ帰れば、爆発的に感染が拡大する恐れがあった。


『……終わりました』


 唇を噛み締め、衛生兵が家から出てくる。手には、モルヒネの注射器。


『やれ!』


 ビンセントは言われるがまま火炎放射器のトリガーを引く。

 ドラゴンの炎のように、火炎が家々を、人々の暮らしと一緒に灰にしていった。


『――――!!』


 難を逃れた子供たちの視線が、非難の声が突き刺さる。

 この集落で、何世代にも渡って繰り返された喜びも悲しみも、全てが灰に変わっていく。


 彼らの家族を、帰る場所を奪っている。

 他ならぬ自分自身がだ。彼らに絶望を与えている。


 命があればまたやり直せると、励ます者がいた。しかし、帰る場所を失うという事は、幼い心に一体どれほどの負担を強いることだろう。


 全身に石灰を振りかけられながらも、彼らの声が耳を離れない。


 今にして思えば、トラバースが荒れ始めたのは、その頃からだった。

 彼なりに良心の呵責があったのかもしれない。

 元々不安定な性格だったが、急に激高することが明らかに増えた。

 唯一の救いは、子供たちの身体から発見された抗体により、ワクチンが開発された事だ。


 この件は更なる疑惑を生む。

 ノミやネズミに意図的に病原体を感染させ、生物兵器として送り込まれた可能性だ。

 国際会議でエイプル王国はクレイシク王国を非難したが、当然認めるはずがない。

 よしんば事実だとして、クレイシクは永久に認めないだろう。

 そのあたりは、一介の兵士があずかり知らぬ所であり、真偽のほどは明らかではない。


 ジョージ王は天才だった。

 病気の原因が悪魔や呪いではなく、目には見えない微小な細菌やウィルスであることを証明したのだ。

 病原体を培養することで、様々な病気の治療法が確立されたのは人類にとって福音であったはずだ。

 しかし、愚かな人類はジョージの死後、それを兵器に転用してしまったらしい。


 以前は、それほど思い出すことは無かったはずだ。

 住人を殺したのはビンセントではないし、家を燃やしたのも命令に従っただけだ。

 だが、何故だろうか。

 イザベラやサラと出会ってから、ビンセントの中で何かが変わっていったのかもしれない。


 ◇ ◇ ◇



「もう、あんなのは……ごめんだ!」


 かつてクラスで孤立していた時も、誰も助けてはくれなかった。

 泣いても叫んでも誰も助けてくれない心細さは、世界に絶望するためにはじゅうぶんすぎる。

 ビンセント自身、そんな絶望をいつの間にか与える側になっていた事を、あの兄妹が否応なしに思い出させてくれた。



 具体的な戦術などない。

 魔法の射程外から、魔法以上の威力の攻撃を撃ち込む。それだけだ。

 ビンセントは銃に小銃てき弾用のアダプターをセットした。

 手榴弾ほどの威力を持つ榴弾を銃の力で撃ち出す、簡易グレネードである。


「……よし」


 マーガレットには子供たちの避難を頼んだことだし、もう自分一人だけだ。

 ビンセントは小銃を手に、炎に照らされた村を駆ける。


「あの子たちが俺くらいの歳になる頃には、きっと世の中も平和になってるはずだ」


 だから、支配層のマーガレットは生き残ってもらわないとならない。

 マーガレット個人には恨みはないが、貴族連中には責任を取ってもらう。


 敵がどれだけ残っているのかはわからないが、歩兵のいないことを祈るしかない。

 彼らが脱走した士官であるならまだやりようがある。

 

 火薬の材料がかつては便所の土だったからか、貴族が銃を使う事は稀である。

 石油系の燃料を使う火炎放射器は、その分抵抗が薄いのだろう。

 便利な道具は使いつつも、魔法に絶対の自信を持っているのだ。


 士官用の戦闘教本でもそうなっているらしい。

 そこが狙い目なのだが、もちろん一度でも実戦を経験した相手には通用しない。

 サカルマで戦ったハンゲイトのように、プライドをかなぐり捨てて銃を使う魔法使いは最高に厄介だ。


「やめてェー! お願い! 持って行かないで! これから冬が来るの! 家にはまだ小さな子が!」


「黙れ! お前はちゃんと税金を払っているのか!? 物納で勘弁してやろうと言ってるんだ、ありがたく思え!」


 燻製肉の塊を持った士官……いや、賊が主婦を蹴り上げ、魔法で作り出した土塊を主婦にぶつける。

 主婦はもがいているので、どうやら生きているようだ。


「ったく、ただの平民のくせに、貴族に逆らうから痛い目を見るんだ」


 男は肉に噛り付きながらこちらの方へ歩いてくるが、やがてビンセントに気が付いた。


「――なんだ、お前は」


 ビンセントは無言で小銃擲弾を撃ち込むと、男は紙屑のように宙を舞った。



「……ただの、平民だッ!!」



 一見して土属性魔法は塹壕の構築に最適のように思えるが、魔力と時間を天秤にかければ人を大量に動員して手で掘ったほうが効率が良い。

 ブルドーザーやトラクターはまだまだ数が少ないうえに信頼性が低く、戦場では役に立たないのだ。


 ビンセントは埋まっている主婦を引きずり出す。


「大丈夫ですか」


「あ、ありがとう……でも、娘が……」


 主婦は山頂近くの一角を指差す。

 奴らに攫われたのだろう。


「大丈夫。とにかく今は、逃げてください」

 

 次弾装填。小銃擲弾はこれで終わりだ。


 罪滅ぼしになるとは思わない。

 しかし、苦しい時、悲しい時、誰も助けてくれない辛さは自分自身がよくわかっている。


「あいつらを片付けたら、すぐに助けに行きますからね」


 ビンセントは再び炎に照らされた方へと駆け出す。

 火の粉が爆ぜ、顔にぶつかった。

 熱かったが、それでも足を止めることはない。


 本当に戦っている相手は、山賊と化した士官か。あるいは過去の自分自身か。

 ビンセント自身にもよくわからない。

 それでも、この村のためにできるのは戦うことだけだ。

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