第72話 夜の帳
「……冷えますわね」
村長の家。二人は奥の間に通され、雑穀とスープの夕食を終えた所である。
陽はとうに落ち、暖炉の火がわずかに室内を照らすのみだ。
山間の夜は特に冷え込みが強い。
「これを」
ビンセントは自分のコートをマーガレットに掛けた。
布以前の糸の段階から防水性が考慮されたコートだ。エイプル王国兵士の標準的な装備である。
「……安っぽいですわね。でも、暖かいわ」
「安っぽいのではなく、安いんです」
「でも……暖かいわ」
ビンセントは暖炉に薪を追加で投げ入れた。
薪が小さく弾ける。マーガレットは俯いたままだ。
「バカみたいですわ。ドラゴンやリザードマンに胸が踊っていましたの。そんなものは、もう居ないというのに」
そんなマーガレットを、ビンセントは決してバカにすることはできなかった。
対ドラゴン戦を想定して、手榴弾や小銃擲弾も持って来ていたのだ。
本気で嫌だったのならイザベラあたりに頼んで断れたはずだった。それをしなかったのは、ビンセント自身ドラゴンに興味があったからだ。
「いえ……俺も、楽しみでした。俺、映画とか好きで。スクリーンの中を暴れまわるドラゴンとか、大好きだったんです。でも、『ドラゴンスレイヤーカトー』はダメでした」
やっとマーガレットが微笑んだ。
『ドラゴンスレイヤーカトー』とは、神々の住む世界『チキュー』から古代のエイプルに降り立たカトー様が、囚われの姫を助けて英雄になるお伽噺を映画にしたものだ。
魔神ヤマダとの戦いを描く続編は、結局作られていない。
映画自体がまだまだ新しい技術で、表現に限界があったのだ。リメイクの話もあったが、戦争で制作中止になっている。
「原作は本当に素晴らしいですわ。わたくし、子供のころから何度も読んでいますの」
「……あの監督は業界を干されたと聞きます」
「おほほほ……当然ですわ。あの出来では」
また、薪がはぜた。
「わたくし……エリックの武勇伝を聞いて、自分も負けじと意地を張ってしまいましたの。それが、この体たらく」
「武勇伝?」
「ええ……。エリックこそ、まさしく現代の勇者といっても過言ではありませんわ……」
マーガレットは訥々と語り始めた。
生まれて一年後には読み書きを覚え、三歳までに家中の魔術書を読破し、高度な魔法を使えるようになっていたという。
小学校入学頃には手慰みに冒険者をやっていたほどだ。
エイプルオークを倒したこともあるという。
「小学生がエイプルオークを、ですか?」
ビンセントはエイプルオークを見たのは一度しかないが、あれほどの屈強な魔物を倒せるとは想像がつかない。
「エリックは魔法の天才ですもの」
「だからと言って……!」
「幼少時から限界まで魔力を行使して回復させることを繰り返して、今では並みの魔法使いの数十倍の魔力容量を持っていますわ」
「俺は一切魔法使えないんでわからないんですけど、凄いんですよね? それ」
「凄いなんてものじゃありませんわ! ……なにせ、このわたくしに魔法を教えたのは、エリックですの」
「えっ?」
「わたくし、子供の頃は魔法を使えない落ちこぼれだったのですわ。普通の魔法使いは小学校に上がる頃には自分の属性がわかるものなのに、わたくしはてんでダメでしたの」
「…………」
「そんなわたくしを心配して、お父様が親友の息子のエリックを紹介しましたの。彼は教え方も上手かった。たったの二カ月でわたくしは魔法が使えるようになりましたわ。婚約が決まったのもその頃」
「なるほど、人に教えるにはよっぽど理解していないとできませんからね。でも、魔法というのは血筋で決まるんじゃ……?」
「バケツのお湯をただ撒くか、水鉄砲でお尻の穴にピンポイントで当てるかの差ですわ」
「はぁ。なんか画期的な新商品になりそうですが……?」
不思議と、エリックの話をするマーガレットの表情は明るいように見えた。
口では気にしていないと言いながら、何だかんだで結局エリックの事を嫌いになれないのだろう。
乙女心は複雑怪奇。
理解できる気がしない。
エリックのことだって理解に苦しむ。
マーガレットはどこからどう見ても不細工には見えないし、貴族としてはそれほど酷い性格でもない。
むしろビンセントから見れば、相当な美人に見える。
歩いていてすれ違ったら、思わず振り返りたくなるだろう。
せっかく苦労して嫁探しをしなくても、マーガレットを宛がってもらえるのは素直にエリックが羨ましかった。
平民の嫁探しは困難を極める。
わざわざ婚約を破棄するなど、いかなる理由によるものか、ビンセントにとっては想像の外の出来事だ。
わざわざ縁談を持ち掛けたイザベラにあってマーガレットにないもの。それは何か。
「……なるほど、おっぱいか」
「えっ?」
「なんでもありません」
うっかり口に出てしまったが、マーガレットは構わずに続けた。
「でも、最初のうちはただ凄いと思っていたエリックも……時折見せる視線が、妙に怖かったものですわ」
「まぁ、子供でも結局男ですからね」
「うーん……それだけではないような……気がしますわ」
ビンセントはエリックと絡んだことは殆どない。
だから、マーガレットの言う視線がいかなるものか、わからない。
新しい薪を暖炉に放り込む。
「ねえ、ブルース。ドラゴンがいないと、いつ気付いたんですの?」
「村に入った時です。石油が浮いていたのと、車の轍で」
「賊が魔法使いだと分かったのは?」
「足跡です。兵卒用と士官用では靴底が違います。うろ覚えだったので確認させていただきました。また、兵隊の靴はサイズが数種類ですが、士官用はオーダーメイドですから、人数の割り出しも大雑把には」
マーガレットは溜息をつく。
「貴族ともあろう者が、情けないですわ。山賊の真似事なんて」
「不謹慎かもしれませんが、ちょっと残念でした。ドラゴンを見られたらいいなと、楽しみだったんです」
マーガレットは悲しそうな眼だった。たぶん、ビンセントも同じように見られていただろう。
「残念ですわね……明日、カスタネに戻って衛兵隊に連絡を入れますわ」
「その方が良いでしょう。彼らの本来の仕事です」
衛兵隊は平民の脱走者に対して厳しいが、貴族には甘い。
しかし、被害を出しているとなれば動かない訳には行かないだろう。
沈黙。薪の爆ぜる音だけが響く。
◇ ◇ ◇
それからしばらく経った深夜、マーガレットは自分のカバンをガサゴソと引っ掻き回していた。
「変ですわね……」
「どうしました?」
「わたくしの替えの下着が無いのですわ」
「ああ、それなら――」
言いかけたところで、不意に響く遠雷のような連続した爆音。
にわかに村内が騒がしくなる。
「な、何ですの!?」
マーガレットとビンセントは顔を見合わせる。
「トラックか何かのエンジン音です。消音機を外すとあんな感じですね。整備不良です」
「賊が来ちゃったってことですの?」
「ええ、早く帰るべきでした」
何を言っても、もう後の祭りだ。被害状況から言って戦闘は避けられそうにない。
略奪するべき物資は、まだ多少あるのだ。
部屋の扉が開き、村長が駈け込む。
「き……来ました……! お、お助けくだされ!」
村長がマーガレットに縋りつき、額を床に何度も擦り付ける。
「これ以上やられては、村は滅んでしまいます!」
「で、でもわたくしたちは……!」
マーガレットはビンセントの顔を見た。
不安げな顔で逡巡していたが、やがて目を閉じて深呼吸した。
覚悟を決めたようだ。
「ブルース。賊を……蹴散らしますわよ! 村長、住民の避難を!」
おそらく、マーガレットはエリックやイザベラの事を考えていたのだろう。
貴族は体面を重んじるものだ。彼らに逃げたとは言えまい。
いや、平民であっても村のこの惨状は見かねる。
村を守ることで償いになると思うのは、さすがに思い上がりだろうか。
「了解。戦闘準備はできています」
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