第71話 ザ・シェフ
「出ろ」
衛兵が牢の扉を開く。カーターは腹筋運動を取りやめた。
「遅かったじゃねぇか。やっとお前もオレ様の肉体美を認めたか?」
小刻みに震える衛兵の顔がみるみる赤くなり、額に青筋が立った。
「お前がそういうこと言わずに大人しくしていれば、もっと早く出られたんだ! 自業自得だ! バカ野郎!」
「あぁん?」
衛兵はポケットから銅貨数枚を取り出し、カーターに見せつける。
「コイツはもらっておくぜ。汚ねぇモノ見せつけやがった慰謝料でな!」
カーターが持っていた小銭である。
なお、この衛兵は小銭がパンツに入っていた事を知らないらしい。
「オレ様のちんこが汚いだとォ? 衛兵テメェ、顔覚えたからな! 後ろに気を付けやがれ!」
衛兵は何故か顔を青くして尻を押さえた。
「う、うるせぇ! 俺にそのケは無ぇよ! とっとと出ていけ!」
カーターは、一人で眠るときは必ず全裸になる。
他の人がいる時はパンツを履くが、ビンセントが出て行って以降、牢には誰も居なかったのだ。
◇ ◇ ◇
カーターは衛兵詰め所を出ると、両手を広げて深呼吸した。
「フィーッ! やっぱシャバの空気は美味いぜ!」
もちろん、牢にいる間もトレーニングは欠かしていない。
腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワット、やれることはいくらでもある。
「さ、まずはメシといくかな! 保養所の食堂は味気なくていけねぇ」
平民向けの食堂は、貴族向けと違って品質にかなり妥協がある。
カーターは適当に目についた食堂のドアを開いた。
「いらっしゃい」
「ツケきくか?」
「何をバカ言ってるんだ、金がないなら出ていけ」
店主は当然呆れる。
初めて来た店でいきなりツケ払いとは、豪胆な男であった。
当然、そんな話は通らない。しかし。
「……僕が持とう。掛けなよ」
「あン? あんた、確かエリックのヤツとつるんでたな」
ジェフリー・ロッドフォード。
イザベラの同級生で、例の縁談事件でエリックと一緒にいた優男だ。
もう食べ終わったのだろう、目の前の食器は空だ。
「また会ったね。カーター・ボールドウィン君」
カーターは出口のドアノブに手をかける。
「ケッ! テメェに奢られるほど、落ちぶれちゃいねぇっつーの! ガマンして保養所に財布取りに行く方がまだマシだぜ!」
金が無い訳ではない。ウィンドミルから当座の資金を受け取っている。
しかし、イザベラとエリックの戦いで外に出て以来、カーターは部屋に戻っていない。
財布は部屋にあるのだ。
小銭を少し持っていたが、先ほど衛兵に没収されて無一文である。
ジェフリーはニコニコとした笑顔を崩さない。
「カーター君。キレてるね」
『キレてる』とは、ボディビルで観客が使う煽りだ。
「ケッ! ま、どうしても奢らせてください、ってんなら考えてもいいぜ? オレはアンタに直接恨みは無ぇからよ!」
カーターはジェフリーの正面に掛ける。
タンパク質が豊富で脂肪の少なめな鶏肉料理を頼んだ。
「いっただっきまーすッ!!!!」
親子丼をかき込む。どうせジェフリーの奢りだ。気にすることはない。
丼は一瞬で空になった。
「美味いッ! お代わりッ!!」
ものすごい勢いで食べ続けるカーターに、ジェフリーは目を細める。
「親子丼のレシピ。『いただきます』という言葉。それに箸。僕らの世代は何の気なしに使っているけど……」
「おうっ! モグモグ……ジョージ王が、ガツガツ……考えたんだろ? ぷはぁ」
「もし、違うと言ったら?」
箸が止まった。
「どういうことだよ?」
「ジョージ王の功績とされるものが、じつは複数の人間によって行われたのだ、としたら……君ならどう思う?」
「知るか! オレには関係ねぇ! カツ丼も頼むぜ! いいな!?」
「うん、構わない。ところで君、平民の振りしてるけど……貴族だね?」
目の前に熱々のカツ丼が置かれる。カーターが蓋を取ると、堪らない香りが漂った。
「血筋だけはな! ガツガツ……だが、親父がポカやって田舎に左遷よ! モグモグ……おかげでお袋と出会ってオレが生まれた! お家取り潰し様様だな! ムシャムシャ……よってオレは平民! ……コイツも美味ぇ!」
「カーター君。君に頼みたい事があるんだ」
「メシ代分くらいは聞いてやってもいいぜ? おっちゃん、ビールッ!」
目の前に置かれたビール瓶の栓を素手で毟るように外す。
そのままラッパ飲みだ。
「ぷはーっ! 美味いッ!! 最高だッ! ザンギと枝豆も頼むぜッ!」
「ククピタに行きたいんだ。でも、最近あそこは治安が悪くて……おいおい、枝豆のサヤなんか食べたら、お腹壊すよ」
「うるせぇ! 枝豆はサヤが美味いんだッ! ククピタなんか行ってどうする!?」
ジェフリーは軽く周囲を見回すと、身を乗り出した。
「……村長の持つマジックアイテムが見たいんだ」
「今時マジックアイテムだとぉ?」
科学文明の台頭で、一部の防具などを除きマジックアイテムの殆どは陳腐化している。
使用者に魔力がないと全く役に立たないのだ。同様の役割の機械に殆どが置き換わっている。
「そうさ……僕だけじゃ心細い。ククピタは今、荒れに荒れているからね。村長が冒険者ギルドに依頼を出したそうだけど、行く人なんていないだろう」
ジェフリーはポケットから一枚の写真を取り出した。
写真には、手のひらほどの黒い板のようなものが写っている。
「なんだこりゃ?」
「厳密にはマジックアイテムではないけど……似たようなものさ」
「ふぅん……? 話は変わるが、一ついいか?」
「何だい?」
カーターは爪楊枝を取ると、歯の隙間の食べかすを掃除し始める。
「ジェフリーとか言ったか? アンタ……なんで――」
◇ ◇ ◇
「……このことは黙ってくれると助かるな。見破ったのは君が初だよ」
「ま、お貴族様のことは半端者のオレにはよくわからねぇからな。言いふらしてもオレにはデメリットしかねぇ。ごちそうさん」
店を出て保養所に向かう途中、冒険者ギルドからイザベラが出てくるところに出くわした。
サラの手を引いている。
「ひどいですね、あの受付! ちょっとスタイル良いからって、受諾した冒険者に関するお問い合わせにはお答えしかねます、だなんて!」
「コジンジョーホーってやつだー、仕方ないだろー。あ、カーターだー」
なぜ二人がここにいるのか、合理的な説明ができない。
イザベラがカーターに詰め寄る。
嫌な予感がした。
「ねぇ、カーター。ククピタ行かない?」
「嫌っす」
イザベラの誘いに乗ると、だいたい碌な目に遭わない。
チェーンソー男と戦う羽目になったのは記憶に新しい。
「最近のブームみたいで、ククピタに行かないと流行に乗り遅れちゃうわ。私ってほら、ナウでヤングなモダンガールだから」
「だったらなんで、そんな何も無い村に!」
イザベラは目を逸らすと、髪を指先にクルクルと巻き付ける。
サラが分かりやすく解説してくれた。
「イザベラはねー、マーガレットにヤキモチ焼いて、様子を見に行きたいんだってー」
「あぁ? どういうことっすか」
「マーガレットがブルースを連れて、なんか冒険者ギルドの依頼受けたんだってー」
「なんでそんな事に!?」
カーターが牢屋にいるわずかな間にも、世の中は移り変わっていくらしい。
兵士三日会わずば刮目すべし。
誰かがカーターの肩を後ろから掴んだ。振り向くと、さっき別れたジェフリーだ。
「詳しく聞かせてもらおうかな。マーガレット、危ないかも」
ククピタは今、治安が悪い。
ついさっき、その話をしたばかりだ。
◇ ◇ ◇
話を聞くと、ジェフリーが溜息をつく。
「やれやれ……仕方ない。エリックを呼ぶか」
ジェフリーに付いていくと、近くの路地裏にある一軒の店に着いた。
入口で待て、と言ってジェフリーは中に入っていく。
「おいおい、エリックのヤロウ、こういう店が好きなのかよ……」
「意外だなー。こんど行こうよー」
カーターは呆気にとられた。サラも同様らしい。
「人間、色々な面があるものよ……でもほら、別にいかがわしい店じゃないし?」
イザベラは知っていたようだが、それでも納得した顔ではない。
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