第四章 ククピタの灯
第67話 二人でお茶を
「こちらへおいでなすって!」
マーガレットに手を引かれ、広場に面した喫茶店の前に連れて行かれる。
ここに入るつもりらしい。
「…………」
以前、サラに指摘されたことがある。
ドアは開けろ、女性は奥側、椅子を引け、注文はまとめて自分で、会計は女性が席を外した時に……。
正直、面倒だ。しかし、いちおうサラは王女であるわけで、言うことを聞かない訳にはいかないだろう。
ビンセントはマーガレットの前に立つと、ドアを開けた。
「どうぞ」
「えっ?」
マーガレットは目を丸くしていた。
「入らないんですか?」
「は、入りますわ、おほほほほ……」
落ち着いた雰囲気で、コーヒーの香りが心地よい店だ。
観葉植物がいくつも置かれ、天井のシーリングファンが洒落ている。
口髭を蓄えたオールバックの中年男性が出迎えた。
「いらっしゃいませ」
「二名です」
「お好きな席へ」
ビンセントは窓際のテーブル席へ行くと、マーガレットが座りやすいように奥側の椅子を軽く引く。
「どうぞ」
「えっ?」
「どうかしましたか?」
「い、いいえ! なんでもありませんわ! おほほほ……!」
マーガレットが腰掛けると、ビンセントも向かいに座る。
メニューの値段表にちらりと目をやる。大丈夫。一番高いメニューを二人分頼んでも所持金は間に合うだろう。
「何にします? 俺はコーヒーにしますけど」
「えっ……ああ、そうですわね。ええと、ええと……」
マーガレットは随分悩んでいるようだ。
「紅茶などいかがでしょう。最近では珍しく、代用品でない本物の茶葉だそうです」
「そ、それにしますわ。おほほほほ」
ビンセントは手を上げるとコーヒーと紅茶を注文した。
ただし、例によってコーヒーは代用品だ。
「意外ですわね」
「何がですか?」
マーガレットはテーブルの上で手を組んだ。
「お上品ですこと」
「えっ?」
マーガレットは口許を押さえて笑いだした。
「おほほほ……面白いですわね。ここまで丁寧に扱われたのは久しぶりですわ。下手な貴族よりもお上品よ、あなた」
「はぁ。そうなんですか」
程なくしてテーブルに飲み物が並ぶ。
「エリックもジェフリーも、そこまで気を使ってはくれませんもの……いえ、くれませんでしたもの」
マーガレットはわざわざ過去形に言い直した。
廊下で婚約破棄はさすがに驚いたが、本人はもっと驚いただろう。
「優しいのね、ブルースは」
「……よく、わかりません」
マーガレットは小首を傾げた。ビンセントの顔をまじまじと見つめ、何かを考えている素振りだ。
「……まぁ、良いですわ」
「はぁ」
「一つ、お聞きしたいことがありますの。『兄貴とオレの優雅なる日々』、あれを読んでどう思いましたの? 正直に、思ったままを聞かせてもらいたいですわ」
頭を抱えたくなる本を、カーターから無理やり読破を強要されたのはトラウマだ。しかし、ふと視点を変えることでそれなりに読めなくもない。
それに気が付いたのは、カスタネが目前に迫ってからだ。
「ええと、まずキャラクターにモデルがいますね?」
「どうしてそう思いますの?」
マーガレットは身を乗り出した。
「主人公のサブですが、男としては些か言動におかしな点があります。おそらく、元々は女性だったキャラクターを無理矢理男性に置き換えたのではないか、と」
「…………それから?」
「これは言って良いのか……」
「話して」
ビンセントは生唾を飲む。
「おそらくモデルは、ジャスミンさんとその婚約者……ですね? ジャスミンさんの話とかなり符合するエピソードがあります。すなわち、この本はかなりの部分ノンフィクション、ということではないか、と」
もちろん全てを話してくれた訳ではないが、この仮説が正しければジャスミンの狂気じみた言動にも、ある程度納得がいく。
彼女の愛はそれほど深かった、ということだ。羨ましい限りである。
住む世界がまるで違う。
「正解ですわ。まさかあなたがジャスミンを知っていたなんてね。で、面白かったかしら?」
「ええ、とても。俺はホモに興味はありませんが、その事に気がついてからはスラスラと読めました。端的に言って、相当に面白いですよ」
マーガレットは満面の笑みを浮かべた。
「でしょう? でしょう? イザベラは面白くないと言ってましたわ。でもわかる人にはわかってもらえるのですわ!」
「はぁ、恐縮です。ただ……」
「ただ?」
「俺は女の子同士がキャッキャウフフしている作品が好きなんですが」
「却下ですわ。フィクションの世界は男だけで良いの」
「…………」
わかってくれない。しかし、彼女を責めるわけにもいかないし、責めようとも思わない。
マーガレットは巻き毛の髪を手で掬った。
「……ちょっと失礼」
マーガレットは立ち上がるとトイレに入った。
ビンセントはその間に会計を済ます。
ウィンドミルからある程度の現金を受け取っているので金額的には問題ない。
それにこの店は平民も多く利用するらしく、カスタネでは比較的安い方に入る。
しばらくしてマーガレットが帰ってきた。
「お待たせ。ところで、書きたい話がありますの」
「それはどんな……」
「冒険モノですわ。取材に付き合っていただけるかしら? 近くにおあつらえ向きの場所がありますの」
「……わかりました」
冒険ものであることに安堵した。
基本的に、平民に貴族の命令を拒否する権利はない。
だから、多くの場合平民は極力貴族に関わろうとはしないものだ。
目を付けられれば、それはとても運の悪い事である。
マーガレットが書いている作品の内容を実演しろ、などと言われた場合には、亡命がまず選択肢に入る。
アリクアム国境までは徒歩でも一日ほどだ。
「えっ?」
「えっ」
マーガレットは目を丸くして固まった。
「あの、何か」
マーガレットは身を乗り出し、ビンセントに顔を近づける。近い。とても近い。
「本当によろしくて? 嫌なら断っても良いんですのよ?」
「拒否権を頂けるのですか? なら、嫌です」
即答するとマーガレットは背もたれに身を戻し、自分の額に手を当てた。
ノースリーブの脇に目が行く。
おそらく、マーガレットは男にとって脇が興奮材料であるという認識がない。
『兄貴とオレの優雅なる日々』において、「脇」という言葉が殆ど登場しなかったことからも、それは伺えた。
「そうですわよね……。わかっていますわ……」
あからさまに落胆した声だ。同一人物とは思えない、今にも死にそうな声だった。
さすがになんだか可哀想な気がする。
ついには泣き始めた。
「ぐすっ……わかっていますの……無茶を言っている事くらい……わたくしがいけないのですわ……もういいわ……どうせわたくしなんて、何の価値もない女ですもの……ごめんなさい……ごめんなさい」
「あ、あの……」
「おお、よよよょ……」
マーガレットはハンカチを噛み締めてさめざめと泣く。
「あ、あの、少しなら良いですよ?」
それが失言だった。
マーガレットは一転して満面の笑みを全身で表したのだ。
「良い人ね! ブルース!」
この世は悪が栄える。
まんまと、拒否権を与えられた上で放棄せざるを得ない状況に持ち込まれてしまった。
脇を凝視していたという負い目もあるのだ。
◇ ◇ ◇
後悔しつつもビンセントが喫茶店のドアを開けた時、五丁の銃口がビンセントに突き付けられる。
「ブルース・ビンセント一等兵だな。脱走の罪で逮捕する」
ビンセントにとってお馴染みの九八式小銃は、衛兵隊でも使われている標準品だ。
指揮官は貴族で、魔法を使うため銃を必要としない。この編成は軍隊も衛兵隊も変わらない。
エイプル衛兵隊は、脱走兵に厳しいことで有名だ。
「ちょっと、どういうことですの?」
マーガレットがしゃしゃり出てきた。
衛兵隊の隊長はもみ手をしてマーガレットに頭を垂れる。
「これはこれは、マーガレットお嬢様。脱走兵の捕縛も我々の仕事ですので、なにとぞお構いなく」
相手は六人。銃を持っているし、逃げても無駄だろう。
こちらも銃を持っているが、魔法使いよりも部下の平民が脅威だ。
同じ装備であれば人数が多い敵には勝ち目がない。
「来るべき時が来た、というだけです。お元気で」
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