第66話 炎を揺らす風 その三
暫くの間、二人は睨み合った。
「……興ざめだ。情けない姿晒しやがって」
エリックは踵を返し歩き出した。
「おいおい、エリック。君なら――」
ジェフリーも後に続き、気になることを言った。
「――銃相手でも勝てただろう?」
二人の姿が見えなくなると、イザベラはへたり込んだ。
「あ……危なかった……!」
頬を汗が伝う。
胸に手を当て、呼吸は荒い。
あらためてみれば服はボロボロ。
大事な所をかろうじて隠している、ただの布切れに成り果てていた。
眼福と思いつつもビンセントはイザベラに自分のジャケットを羽織らせる。
「あ、ありがとう」
「本当に危ない所ですよ。見てください」
ビンセントは銃の小さなレバーを指差した。
「安全装置です。これだと引き金を引けません」
「ひえっ! 本当の本当に危なかったの!?」
イザベラの顔から血の気が引いていくのがよく分かった。
「あと、さっきの構え方だと鎖骨が折れますよ」
「あわわ……」
「まったく、情けないですわね。貴族のくせに銃に頼るなんて、恥もいい所ですわ。……でも、確かにあなたが勝つ可能性はそれだけですものね」
いつの間にかマーガレットが来ていた。
顔だけは真剣だが、サラを抱きしめて頭を撫でている。サラは恥ずかしそうに頬を染めていた。
「そんな事は……いや、あるわね」
イザベラは肩を落とす。
「何故ですか? イザベラさんは魔法と剣術は実力で主席だったと聞いています」
「はは……それはあくまでも試験の成績。点を取るため『だけ』に特化した勉強をしたから。エリックは実力の半分も出していなかった。私は全力だったのに」
「えっ? それは一体……」
「魔法の試験の採点方法に問題があるのよ。エリックは私と違って、すべての属性魔法を扱えるの。無属性も含めてね」
「ちなみにわたくしは水属性が得意ですわ。でも、普通扱う属性が増えれば、一つの属性の威力は下がっていきますの」
マーガレットが横槍を入れるが、イザベラは続けた。
ビンセントは魔法を使えず、当然魔法の試験の内容も知らない。
「だったら、良いのでは? フィッツジェラルド様がよほど剣が得意でなければ……」
イザベラは溜息をついた。
「エリックは天才だと言ったでしょう。火、水、風、土、光、闇、無属性、全部使えるんだから。あとは足し算ね」
「無茶苦茶ですね」
「厄介なのは複数の属性を組み合わせた攻撃よ。例えば、風の力で火の球の射程を伸ばしたり、応用範囲は計り知ないわ。端的に言って、当代随一の魔法使いでしょうね。はっきり言って最強。学校の成績評価はそんなに良くないけど、それはあんな規格外の魔法使いを想定していないから」
「イザベラは足し算と言ったけど、組み合わせは無限大だから実戦では掛け算ですわ。まったく……そんな人と決闘なんて狂気の沙汰ですわ」
マーガレットが溜息をつく。
「避けられない戦いもあるわ。最初からいざとなれば銃を使うつもりだったもの。エリックと結婚するよりも、はるかにマシよ。とにかく私は、ブルースの銃で勝ったの。二人の勝利ね」
樹に左手を添えてイザベラは立ち上がる。
「俺は何もしていませんが?」
イザベラはニッコリと微笑むと、ビンセントにウィンクした。
「いいえ。『銃を持ってそこに居てくれた』でしょ?」
イザベラは右手で天高く小銃を掲げると、叫んだ。
「皆さーん! この縁談は破談でーす!!」
周囲から拍手が巻き起こる。
周囲の視線にビンセントもさすがに気が付かない訳ではない。
イザベラはあられもない姿である。
今さらになって彼女は頬を染めた。
「き、着替えてくるわ。ここに居てね、ブルース。すぐに来るから。どこか行っちゃだめよ」
「イザベラ」
答えたのはマーガレットだ。コンパクトを取り出すと、イザベラに向ける。
すぐに表情が変わった。
「うわっ、泥だらけ! 髪もボサボサ……」
「温泉にでも入る事ね。見ているわたくしが恥ずかしいですわ」
「うう、そうする……」
マーガレットが促すと、イザベラはこの場を去った。サラも続く。
「わたしも行こうーっと。おじょうさまの湯浴みとか、もろにメイドの仕事だもんねー」
「じゃあな、相棒! オレ、メシ途中だったんだ。後でな」
カーターも戻っていく。相変わらずパンツ一丁である。
群衆は解散をはじめ、この場にはビンセントとマーガレットが残された。
「ちょっと、アリさん」
「はい」
「イザベラに話したんですの? あの事」
図らずも立ち聞きした婚約破棄の件だろう。
「いいえ、全く触れておりません。ですが、結果的にウィンターソン様の仇を討つ形になったかと」
「確かに、胸がスッとしましたわね。エリックは余裕そうにしてましたけど、事実上逃げたのと同じですわ」
「……きっと、マーガレットさんの様子に気が付いて、居ても立っても居られなくなったのではないでしょうか」
「……かもしれませんわ」
ビンセントは根本的な疑問を口にする。
「しかし、そもそもなぜフィッツジェラルド様は婚約破棄の翌日に別の女性に求婚していたんですか?」
「さあ? 女性関係の整理かしらね」
淡々とした口調だった。
まるで、他人事のような。
話したくないことがあるのかもしれない。
マーガレットは手を後ろに組み、背を向けたまま話題を変えた。
「昨日のわたくしとイザベラとの騒ぎのきっかけ、覚えてますの?」
「どちらが受けか攻めかでしたか」
「ええ。大事な事ですわ」
「そうなんですか」
正直を言えば、どうでもよかった。
「あなた、ずいぶん飄々としていますわね。わたくしたちを気持ち悪いと思いませんの?」
数秒の間、ビンセントは考える。
確かに一般受けする趣味ではないし、本音を言えば少し気持ち悪い。
だが、ただ単に不快である、それだけで悪と決めつけるのは如何なものか。
ビンセントの半身を覆う火傷の跡は、とても女性や子供に見せられないグロテスクなもの。見る人によっては不快なものだ。
「そうですね……確かに、そういう本は好きじゃないです」
「…………」
不快な表現や過激な表現を規制しようという運動がある。
ビンセント自身には関係ないが、ホモ本を規制されれば次は百合本が規制されるかもしれない。
こういった流れは勢いが付くとなかなか止められないものだ。
最終的には時の権力者にとって都合の悪いものを規制するようになるかもしれない。
ましてや、その最高権力者……サラの立場は、現在非常に不安定だ。
マーガレットやイザベラと同じ趣味を持つ者の兄として、ある程度は共存の道を探らねばならない。
トラバースの顔が脳裏をよぎる。人格の否定ほど嫌なものはない。
「あの二人が同性愛の関係ということは、現実的には無いと思います」
「そうですわね」
「小説にせよ漫画にせよ、現実に有り得ない事を空想の中で疑似体験して楽しむもの……俺はそう思っています」
「……それで?」
「作品の内容が理解できないからといって、それは作者の人格とは無関係でしょう? 何かを生み出すということは、とても尊い事だと俺は思います。ウィンターソン『先生』」
「もしかして、お読みですの?」
マーガレット・ウィンターソン。『兄貴とオレの優雅なる日々』の著者その人である。
ビンセントは鼻の頭をこする。
「……熱心なファンから勧められまして」
気分が悪くなって読むのをやめたかったが、カーターに強要されて一応読破している。
もっとも、そのカーター自身がアンチに回ってしまったが、それをわざわざ著者本人に言う必要はない。
マーガレットは、しばしの間そのままの姿勢で動かなかった。
「あの、俺何かまずいことを……?」
踵を軸にくるり、とロールした髪を揺らし、マーガレットは振り返った。
全身で笑顔を表している。
「いいえ。……いいえ! あなたの言う通りですわ!」
「そ、そうですか」
「わたくしのことは、マーガレット、と呼んでくださいな。あなた、お名前は何だったかしら? ごめんなさい、一度聞いたはずなのに」
ビンセントは踵を鳴らし、敬礼で応えた。
「ブルース・ビンセント一等兵です」
「よろしくお願いしますわ、ブルース!」
マーガレットはビンセントの右手を掴むと振り回し、強制的に握手の形となった。
やがて、マーガレットは満開の笑顔で手を叩く。
「そうですわ! ちょっと付き合ってくださらない?」
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