第65話 炎を揺らす風 その二

 ビンセントは震える指でコインをはじいた。

 兵士の一カ月の給料は、額面で金貨一枚と銀貨五十枚、ここから各種税金や食費等を引かれて、手元に残るのは金貨一枚程度である。


 コインの着地と同時にイザベラは火の玉を四つ浮かべ、前方に飛ばすと同時に距離を詰める。


「う゛あ゛ああああッ!」


「……ふん」


 対するエリックは動かず、豪華な拵えの剣を正眼に構えた。

 イザベラがサーベルを突き構え一気に走り寄る。

 しかし、ごく僅かな動きでかわされてしまう。

 イザベラはそのまま回転しつつ横なぎに剣を振るが、エリックはこれまた最低限の動きでサーベルをいなす。


 ビンセントは剣術に詳しい訳ではないが、二人の戦い方が全く正反対であることにすぐに気付いた。

 果敢に攻めるイザベラと、カウンター狙いのエリック。

 一見イザベラが押しているように見えるが、ダイナミックな動きはスタミナの消費が激しい。

 妙な絡め手を使わせずに、このまま押し切れるかが勝負となる。


「エリック! あなたの女癖の悪さには反吐が出るわ!」


 イザベラのサーベルが袈裟懸けに一閃するが、エリックは剣を回すようにしてそれをはじく。


「俺はいつだって真剣だ。ジェフリーとは違うぜ?」


「戯言を! 今までに何人の女を泣かせてきたの!?」


「泣かせねぇよ。みんな喜んでる」


 ビンセントは唇を噛んだ。思い上がった自分を恥じたのだ。

 イザベラは決してビンセントのためにエリックに決闘を挑んだのではない。

 ただの方便に過ぎなかったのだろう。

 ただ単純に、エリックを懲らしめるため。

 そして、縁談の申し出を有無を言わさず断るため。


 それが、この決闘の本質である。

 ビンセントは手に浮かぶ汗を握りしめた。



「がんばれー」


 サラは綿あめの袋を房状にちぎって両手に持ち、ピョコピョコと踊りながら応援している。


「ほらよ、相棒。これでも使え!」


 カーターが布の巻かれた棒を差し出す。


「なんだこの旗?」


 広げてみると、海軍で使われる信号旗だ。上から黄、青、赤、黒が時計回りに×の形に配置されている。


「ええと、確か……曳船要請……だっけ? 俺、陸軍だし……」


「このオレ様が! わざわざお前のために借りてきたんだッ! ジョージ王が西海海戦で勝利を誓って揚げた旗だッ!」


「そうなのか、初めて知った」


 西海海戦。

 三十年前、中央大陸西方海上でエイプル王国とクレイシク王国の艦隊が軍事衝突した事件である。

 幸い戦争に至ることは無かったが、提督の負傷により臨時に指揮を任されたジョージは見事な手腕で艦隊を指揮し、クレイシク王国の艦隊を打ち破ったとされる。

 蒸気機関の登場により、当時の帆船やガレー船は全て退役しているが、旗艦ビリデは記念艦として保存されている。


「軍人ならそのくらい知っておけッ! オレはこの肉体があればじゅうぶんだ!」


 カーターがボディビルの基本ポーズとやらを回転しながら順番に取っていく。


「イ」「ザ」「ベ」「ラ」「ファイッ! アッー!」


 波が引くように、人だかりに隙間が空いた。


 イザベラが負けると非常にまずい上に、実際できることは応援だけだ。

 広場の反対側では数十人の女学生や女性店員、近隣の主婦がエリックに黄色い声援を送っており、場の空気は劣勢である。

 このままではまずい。カーターのやり方はともかく、応援自体は重要だ。


 とりあえず銃を木に立て掛け、旗を振ってみる。


「がんばってくださーい、イザベラさーん」


 ビンセントは応援してみた。


「ふぇっ? ぶ、ブルース?」


 イザベラがなぜか頬を染めて振り返る。よそ見をする余裕など無いはずだ。


「いやいや、前見て! 前ッ!」


 なぜこちらを見るのだ。隙だらけである。

 案の定エリックの蹴りを食らってイザベラは宙を舞った。


「ちっ……!」


 余計な感情を抱くべきではなかったようだ。

 ビンセントは自分の未熟を認めざるを得なかった。

 そして。


「フヒ……フヒヒ……」


 イザベラがのそりと立ち上がる。目はぎらぎらと光り、口許は歪に歪んでいた。


「こ……これで何か色々終わりだエリック! そこのガチムチマッチョに掘られるがいい!」


 カーターはすでにパンツ一丁になっていた。

 目を離した隙に、全身にワセリンが塗られている。陽光に照らされた真っ白な歯が輝いた。


「応ッ!!」


「!?」


 なんと、カーターが叫ぶとエリックの動きが鈍ったのだ。

 彼はここまで考えていたのだろうか。たぶん違うだろう。


 イザベラの正面にいくつもの赤い魔法陣が浮かび上がる。

 八個、九個……まだ増える。


「デュフフフ……」


 口許の涎を拭う仕草。十二個、十三個。


「消し炭になれ!!!!」


 合計十三個の火球がエリックに向かう。

 上下から、左右から。一つは複雑に軌道を変え、時間差で背後から。


 これでは回避のしようがない。エリックが爆炎に包まれる。

 目の錯覚か、最後の火球はバラの花の形に見えた。


「やったか……?」


火球ファイアボールをあれだけ同時操作するなんざ、やっぱスゲェな! それにあの威力! 見たか相棒! 同じ事ができるヤツがこの国に何人いる? オレだって防げるかどうかわからねぇ! いや、防御魔法は一方向しか守れねぇから、やっぱダメだ! 学院主席ってのも納得だぜ! あんなの食らえば、誰だってひとたまりも――」


「少しだまれよー」


 サラがカーターを止めたが、いかんせんビンセントは魔法に関しては無知も同然。

 見ての通り凄い事らしい。

 観衆が固唾をのんで煙が晴れるのを待った。


「…………」


 ややしばらくして、煙が晴れる。

 全員が息を呑んだ。


「む、無傷……!」


 あれだけの火球が直撃したというのに、エリックは無傷でその場に立っていた。


「驚いたかい? あれがエリックの魔法さ」


 いつの間にかジェフリーがビンセントの傍らに立っていた。

 聞いてもいないのに解説を始める。


「エリックの一番の得意魔法は風属性さ。彼はそれを応用して、全身に超高速の風の渦を鎧のように纏っている。火の玉をいくつ飛ばそうと、吹き飛ばされてしまうだけだよ。もちろんそれだけじゃない」


 エリックは身体を前方に傾けると、イザベラとの距離を一瞬で詰めた。


「あのように追い風で加速することも――」


 そのまま殴りかかる。


「イザベラさん!」


 イザベラは拳をスレスレでかわした。

 ジャケットの左肩部分が弾け飛び、白い素肌が露出する。


「――あのように拳に突風をまとわせて、触れずにダメージを与えることもできる。なんとまあ、まるで女性と戦うために特化したような、素敵戦法だよね」


 ジェフリーは嬉しそうに笑っている。

 確かに見ている分には眼福だが、割と本気で危ない。


「ブルースー、喜んでる場合じゃないぞー。えい、えい。やあ、やあ」


 いつの間にか『ポンポン』を振るサラの周りには人だかりができていた。

 意外にも女性の比率が高い。その中にマーガレットも混じっている。


「きゃー! カワイイですわ! あなた、お名前は?」


「セーラだよー。今忙しいんだー」


 例によって偽名を名乗ると、観衆から歓声が上がる。


「セーラちゃーん! こっち見てー!」


「踏みつけてくれーッ!」


 大人気である。

 その中で、昨日マーガレットに賭けていた酒瓶のおじさんが涙を流していた。


「うう……なんと健気な……!」


 サラはあくまで応援である。主役ではない。

 なお、ビンセントはなるべくカーターを視界に入れないよう心掛けていた。

 ブーメランパンツは正装らしい。


「まだまだァ!」


 状況は決して予断を許さない。

 先ほどの火属性魔法でかなりイザベラは魔力を消費したはずだ。

 それに対し、エリックは魔法をほとんど使っていない。

 攻守が完全に逆転したのだ。


「うっ……くふぅっ!」


 両手にまとった旋風が次々とイザベラの服を破壊していく。

 脇腹部分が吹き飛ぶ。


「さっきまでの勢いはどうした? このまま公開ストリップといくか、ベラ?」


 イザベラは破れて垂れた前身頃を手で押さえる。


「私を気安くベラと呼ばないで! 結婚を申し込んだ相手に平気で恥をかかせるとは、良い趣味ね!」


「誉め言葉と受け取っておくぜ」


 イザベラの眉間に皺が寄る。


「あなたはしょせん、女をモノとしか見ていない! 私もコレクションの一つに加えようって訳ね!」


「そういう事は勝ってから言いな!」


 イザベラはバック転を繰り出すとエリックと距離を取り、ビンセントたちが立つ太い街路樹まで後退した。


「そうさせてもらうわ! 女の敵め!」


 イザベラは樹の根元に立てかけてあった『それ』を掴むとエリックに突き付ける。


「お、俺の銃……!」


 イザベラが構えたのはビンセントの小銃だ。

 銃は伝統的に魔法の使えない平民の武器とされ、貴族が使う事はまず無い。

 それは現代の戦場に於いても変わることのなかった『不文律』、あるいは『慣習』である。


「おいおい! お前だって貴族だろう!」


「最初に言ったわ! 武器防具無制限ってね! あなたの魔法はこれを防げるかしら!?」


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