第64話 炎を揺らす風 その一
「あっ、今、目を逸らしたでしょ!」
テーブル越しにイザベラがビンセントに詰め寄った。
顔が近い。吐息のかかる距離。
アナとイザベラは、どことなく雰囲気が似ている。
カストリ雑誌のグラビアでイザベラが目に入ったのも、そのためだった。
「ち〇こは未使用だと言ったはずですが」
そう言うと、イザベラは非常にゆっくりと椅子に腰を降ろした。口端が歪に歪む。
「フヒヒヒ……」
……黙っていれば、の話だが。この笑い方は無いと思う。
決して言うつもりはないが、元が整っているだけに余計に気持ち悪い。
「プラトニックですわね」
マーガレットが余計な事を言う。
イザベラは目を見開いてコップを倒す。幸い空だった。
「も、もももうちょっと詳しく――」
「ずいぶん楽しそうじゃねぇか」
不意に後ろから声を掛けてきたのはエリックである。
片手はポケットに、ジャケットは脱いで肩に担いでいた。
シャツのボタンは四つほど開いている。
軍でこんな着崩しをすれば、即座に鉄拳制裁だ。
マーガレットが呆れたような視線を向ける。
「ずいぶんお寝坊さんですわね、エリック」
「放っとけ! お前らが早すぎるんだよ!」
エリックはビンセントの席に来ると言い放った。
ほんの一瞬、はだけたシャツの胸元にキスマークが見える。
「…………」
他の三人には見えなかったらしい。
「どけ。そこは俺が座る」
「はっ、今どけます」
ビンセントは立ち上がろうとするが、椅子を鳴らして立ち上がったのはイザベラだ。
「待ってエリック。そこはブルースが座っているの。あなたはそこの空いている席に座れば良いでしょ」
「なんで俺が平民に遠慮すんだよ」
エリックの方が正論である。
この食堂は原則貴族専用であり、使用人が着席することが異例なのだ。
「今、とてもとても大事な話をしているところなの」
「だったらよそでやれ。俺はそこでメシを食う」
イザベラはエリックを睨みつけ、二人の間に険悪な雰囲気が漂う。
むしろイザベラが一方的にケンカを売っているように見える。
「いや、俺がどきますから」
ビンセントは立ち上がろうとする。
イザベラが両手でビンセントの肩を押さえた。
とても恐ろしい目をしている。
「あなたは……ここにいるべきよ」
「へ?」
嫌な予感が、どうやら現実になりそうである。イザベラは続けた。
「エリック! あなたも見ていたわね。今、私たちはブルースと話していたの」
「それで?」
「まだ話は途中よ。肝心の部分をまるで聞いていない」
「俺に何の関係がある? 平民が座っている時点でおかしいだろ。違うか?」
違わない。ここに平民がいる時点でおかしい。
しかし、イザベラは呆れたように頭に手をやる。
「前々から思っていたけど、いい機会ね」
イザベラは手袋を取ると、エリックに投げつけた。
「エリック・フィッツジェラルド! あなたに決闘を申し込むわ!」
ビンセントの顔から血の気が引いていく。
「ちょ、イザベラさん!」
「あなたは黙って!」
エリックを睨みつける。
「受けるの!? 受けないの!?」
エリックは両手をポケットに入れると、柱に寄りかかる。
「いきなりだな。さっぱり話が見えて来やがらねえ」
エリックの顔は涼しげだ。
しかし、この状況では訳が分からないのが当然であり、イザベラに一方的に問題があるように思えた。それでも一切動揺しないエリックは流石と言える。
「でも良いぜ。俺が勝ったら手紙の通りにしてもらう」
「私が勝ったら二度と邪魔をしないで!」
食堂全体がざわつく。
やはりすぐに帰るべきだったと、ビンセントは後悔した。
◇ ◇ ◇
三十分後。
「どうするんですか、大事になってますよ」
「ふん! エリックのやつが悪いの! あなたを馬鹿にするから!」
「気持ちは嬉しいですけど、平民と貴族が一緒のテーブルに着く方が変です」
「それがおかしいと言っているの。私はイザベラ・チェンバレン。あなたはブルース・ビンセント。違うかしら?」
「違いませんけど、どうしたんですか? いきなり」
「……あとでカーターに聞くといいわ。でも私は彼とは違う。自分の力で掴んでみせる。これは、その一歩」
「訳が分かりませんよ!」
昨日の広場である。
今回も周囲は見物人が溢れていた。
「イザベラ選手に一枚!」
「私はエリック様に三枚よ!」
すでに賭けの対象となっているようだ。この機を逃すまいと屋台が営業を始める。
前回よりも店が多い。のん気なものである。
「わたあめー。わたあめ欲しいー」
「オレはリンゴ飴がいいっす!」
サラとカーターもイベントを楽しんで……いや、万が一の事があれば加勢するために広場に来ていた。ビンセントも銃を持って来ている。
カーターは殆ど一口でリンゴ飴を齧った。芯などカーターには無意味である。
「いやー、やっぱこういうので食うのが美味いんすよ! ジョージ王も良い事思いついたもんだぜ!」
「何でもかんでも父様が考えた事になってるなー」
サラはマッチョマンのイラストが印刷された紙袋から綿菓子を毟る。
紙袋は色々なイラストが印刷されているのに、わざわざそれを選ぶあたりカーターの奢りだろう。
「でも、綿菓子もリンゴ飴も三十年くらい前から流行りだしたらしいっすよ! ちょうどジョージ王が歴史に登場する頃っす!」
「そう……だよなー。でもなー、さすがに無理がある気がするんだよー」
関係ない会話をしているようにしか思えなかった。
周囲の声に耳を向けると、体力、筋力ではエリックが有利だが、魔力、スピードはイザベラが有利。
そういう分析らしい。下馬評ではエリックやや有利か。
「イザベラさん。結局、手紙の内容は何だったんです? こうなった以上、教えていただきませんと」
「ああ、その事。縁談を申し込まれたわ」
周囲がざわめく。ビンセントの心臓も跳ね上がった。
「な、何ですと?」
「あの封筒は、貴族の若い世代で縁談の申し込みに使われる流行の物。平民向けには売っていないようだから、あなたが知らないのも無理はないでしょうね」
「ええ、知りませんよ!」
貴族の風習など知る由もない。
イザベラは心底嫌そうな顔をする。
「受けるわけがないわ。エリックの奴はいつも宛先を空欄にして持ち歩いているようね。中身の便箋と封筒でインクが違うから、すぐにわかったわ」
「はぁ」
なんだかんだ言って案外よく見ている。
「反吐が出るわね。それに、あんなやつに私が負ける訳ないでしょう。あなたの話の方が重要だもの」
「わざわざ決闘なんてしなくてもお望みなら何だって話しますよ!」
「ごめんなさい。もう申し込んでしまった以上、逃げることはできないの。逃げればそれは敗北と同じ。私は奴と結婚する気はないし、お見合いだってご免よ」
ビンセントは頭を抱えた。
他に手はなかったのか。決闘に追い込まれる時点で状況は最悪だ。
何よりも事前情報が皆無である。
「待たせたな」
エリックがおっとり刀で現れた。観客が色めき立つ。
女性からの人気が高いようだ。
それも当然か。
「確認するぞ。俺が勝ったら縁談を受けてもらう。俺が負けたらお前の邪魔はしない。それで良いな?」
「いいわ」
「俺も修行の成果を確認できてちょうど良いぜ。ルールは?」
「武器防具無制限、魔法あり、降参、気絶、死亡で負けの真剣勝負。それで良いわね?」
「ああ、いいぜ」
エリックはコインをビンセントに放った。
「そこの兵士、コインを放り投げろ。コインが地面に付いたらスタートだ」
「わ、わかりました……え?」
金貨である。さすが貴族だ。
「早く投げろ。役目が済んだらくれてやる」
気前の良い事である。
「では、行きます」
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