第61話 失くしたもの

 翌朝。


「ンゴゴゴゴッ!! オレヲミテクレーッ! ……ファッ!? ……グギギギ!!」


「う、うるせぇ……」


 カーターのイビキ、寝言、歯ぎしりでビンセントは目を覚ます。

 サラは全くお構いなしに、身体を猫のように丸めてスヤスヤと寝息を立てていた。


「よく起きないもんだ……大物だ。さすがお姫様だ」


「……おとうさま……」


 閉じたままのサラの目から、涙が一筋流れ落ちる。


「…………」


 サラは王女とはいえ、まだ子供だ。

 生まれてすぐに母を失い、四年前に父を失った孤児でもある。

 両親が共に健在のビンセントに、その孤独は測りようがない。

 それどころか住む家までも失い、親代わりに育ててくれたケラー首相とも引き離された。


 脱走は重罪だ。最悪の場合、銃殺刑もあり得る。

 イザベラにちんこを切り落とすと脅迫された事もあるが、その気になればいつでも原隊に復帰できた。

 それでもカスタネまで付いてきたのは、サラを放っておけなかったからだ。

 家族と家を失った孤児から命までも取り上げる事が、どうしても我慢ならなかった。

 保身のために原隊に復帰する事が、とてつもない恥に思えた。

 結果として脱走兵になってしまったが、悔いはない。

 おそらく、イザベラとカーターも同じ気持ちだろう。


 亡命のために辿り着いた目的地は、ここカスタネ。中立国アリクアムとの国境も近い。

 ここで政府が用意した正規の護衛に交代する。


「…………」


 問題は、旅が終わってしまったことにある。

 ビンセントには脱走兵という立場だけが残った。 


「別に……罪滅ぼしって訳じゃない」


 はだけてしまったサラの毛布を掛けなおす。

 せめて、夢の中くらいはジョージ王と会わせたい。


「アッー! うっ……ふぅ」


「こ、この野郎……!」


 カーターはどんな夢を見ているのだろうか? 本気でどうでも良い。そして臭い。

 大きな音を立てて寝屁までこいたのだ。

 

 殴りたくなったが、時計が目に入る。


「……ちょうどいい時間だな」


 イザベラは血圧が低く、朝が弱い。

 誰かが起こさなければ昼まででも寝ているのだ。

 それでもサラより先に起きなければ格好がつかないということで、いつの間にかビンセントが起こすのが習慣になっている。

 しかし、最近はどうやら寝覚めが良いらしく、起こすのに苦労する事はない。

 イザベラの部屋をビンセントはノックした。ドアがすぐに開く。


「おはようございます、イザベラさん。もうお目覚めでしたか」


「おはようブルース。昨日はごめんなさい。見苦しいところを見せてしまって……」


 イザベラは恥ずかしそうに俯いた。

 実際見苦しかったが、そんなことを言う必要はない。


「私は、元々は乱暴な女ではないの。マーガレットがいけないの。基本がなっていないの、基本が。彼女はいつもあんな感じなのよ。マーガレットに関わると苦労するわ、あまり関わらないでね」


 何の基本かは触れずにおく。人の趣味をとやかく言うつもりは無い。


「これを」


 ビンセントはエリックの封筒を差し出す。


「そもそも、お耽美というものは――えっ?」


 封筒を見たイザベラの顔に赤みが差した。


「ここ、これを私に? ここここの封筒、クラウ商会のじゃない! やん、これって……やっぱり、その」


「高級品のようですね」


 早く渡してしまいたかった。貴重品を預かるのは心臓に悪い。

 エリックが言うには、封筒ですらビンセントの給料で弁済不可能だ。

 中身が重要機密書類とあれば、なおさら一介の兵士には荷が重すぎる。


「そ、その……あの……開けても……良い?」


「ご随意に。では」


 ビンセントが去ろうとすると、イザベラが袖を掴んできた。


「ま、待って! ここに居て!」


「はぁ」


 イザベラは封筒で口元を隠し、ビンセントを見つめてくる。


「あ、あなたが一人で読んでほしいというなら、一人で読むけど……でも……」


「俺はどっちでも良いです」


「そ、そう……じゃあ、その……開けるね」


 イザベラは封筒を開けた。


「…………」


 中身を一読する。

 途中まではとても機嫌が良さそうだったのだが、下の方を見ると一瞬で顔色が変わる。

 クシャクシャに丸めて床に叩き付けた。ビンセントの襟首をつかんで揺すってくる。


「なんで差出人がエリックなの!」


「渡すよう言われまして」


「何で受け取っちゃうの! バカッ!」


「えっ? すいません。そもそも何ですか、これ」


「……そっか、そうよね……これは平民向けには売ってないんだったっけ。知らないのも無理はないか……」


 イザベラは肩を落とした。


「重要機密書類と聞いていますが、親書でしたか。……何て書いてあったんですか?」


 イザベラの目には少し涙が浮かんでいたが、そう言うとすっと引っ込んだ。

 しばしの沈黙。


「……さすがに他人からの書簡だし、あんな奴からとはいえ第三者に見せる訳にはいかないわ。そもそも見る価値など無いもの」


 イザベラは丸めた手紙を拾うと引き出しを開け、灰皿の上に乗せる。イザベラに喫煙の習慣はないが、灰皿は各部屋に備え付けてあるのだ。

 パチンと指を鳴らすと、手紙は一瞬で火に包まれ灰になった。


「サラ様が起きるのはまだ先よ。一緒に朝ご飯を食べましょ?」


「はぁ」


 腕を掴まれると、胸が当たってどうも落ち着かないのである。


 ◇ ◇ ◇


 食堂で供される朝食は、パンとサラダ、ソーセージにスープなど。内容自体はよくある物だが、一つ一つが素材からこだわって作られた逸品である。


 しかし、落ち着かない。ここは、基本的に平民が来る所ではないのだ。

 貴族の給仕や護衛でなければ、入ることもできない。その場合でも席に着くのではなく、後ろに控えるのが普通だ。

 こうして向かい合わせに座るのは異例である。 

 思わず周りを気にしてしまう。


「口許にソースがついているわ」


「え? ああ、すいませ――」


 イザベラがテーブルの反対側から手を伸ばし、ニコニコとペーパーナプキンで拭った。ビンセントとしてはとても恥ずかしいが、イザベラは嬉しそうである。

 こんな顔を見たのは初めてのような気がした。


「気にしないで。こうやって差し向かいであなたと食事ができるんだから」


 イザベラは視線を外すと、頭を少し傾ける。


「ねぇ、ブルース」


「はい」


「……二人っきりね」


「違いますよ? 何を言っているんですか」


「ちっ」


「舌打ちしないでください……」


 相席である。

 しかも、同じテーブルに座っているのはマーガレットとジェフリーだ。

 何がどう二人っきりなのか、さっぱりわからない。


「イザベラさん……大丈夫ですか? やはりお疲れでは。ここの所、変ですよ」


「何のこと? そうだ、食後のお茶がまだだったわね。すぐに持ってくるから」


「そんなの、俺が行きま――」


「いいから座って。コーヒーね?」


 マーガレットがビンセントの袖を引っ張る。


「ちょっと、あの子どうしちゃったんですの? あなた、お付きの兵士でしょう?」


「わかりません。どういう訳か、最近様子が変なのです」


「あなた、何かしたの?」


「ええと――」


 ビンセントは口ごもった。

 イザベラはサラの護衛だ。

 クーデターによって追われる身となり、対外発表では留学という形になっている。

 そのため、表向きの身分は「セーラ」というイザベラの従者であった。

 そして、この事は関係者以外には極秘である。


「――よく、わかりません。いつの間にか、ヘンになっていたのです」


「隠し事は良くありませんわ、平凡な顔をした金の匂いもしない平民の兵隊さん。あなたは絶対に何かしたはずですわ。正直におっしゃいなさい」


 話すわけにはいかない。話せば必ずサラの事が表沙汰になってしまう。

 サラ王女などこの町にはおらず、あくまでもセーラという少女がいる、という事にしなければならないのだ。


 少なくともマーガレットは馬鹿ではない。

 隣にはジェフリーもいる。彼は見るからにインテリだ。

 下手な嘘は一瞬で看破されてしまうだろう。


 話しても問題無さそうな話は何だ? ビンセントは最近の出来事を反芻する。

 イザベラが豹変したのはいつだ?


「ええと、触手――」


「そこまでにしておくのね、マーガレット。この熱いコーヒーでシャワーを浴びる?」


 いつの間にかイザベラが背後に忍び寄っていた。その表情は氷のようだ。

 炎の魔法使いが氷の魔法使いを氷のような目で見つめるのは、矛盾している気がしないでもないが、そんな事はなかった。


「まあまあ、二人とも落ち着いて」


 ジェフリーが二人を諫める。


「落ち着いて話せば、分かり合えるよ、きっと」


 他人が聞けば、うすら寒い理想主義的な発言に聞こえた事だろう。

 しかし、昨日の騒ぎを知る者としては二人には大人しくしてもらいたい。


「話を整理しよう。イザベラ、そもそも君は何でここに来たんだい?」


「食事に決まっているわ」


 ジェフリーはかぶりを振る。


「そうじゃないよ。なぜ、カスタネに来たんだい?」


「人と会う約束よ。これ以上は機密で言えないわ。研修先の秘密ね」


「ふうん……だったら聞かないけど」


 ジェフリーの目が光る。


「僕らもね、そうなんだよ。こっちも機密だけどね」


 ジェフリーとイザベラは、僅かな時間にらみ合うように視線を合わせる。

 すぐにジェフリーは視線を外した。


「ま、僕らには結構時間があってね。久々に会ったんだ。王立学院時代の思い出話に花を咲かせようよ」

 

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