第三章 カスタネより愛をこめて
第60話 さらばカスタネ
広場のベンチ。
激闘の余韻は冷めやらず、人々は未だ熱狂の中にいた。
そんな中、カーターは広場を後にする。
イザベラとマーガレットの戦い。
理由には全くもって興味が無かったが、彼女らの体捌きは見事であった。そして、強力な魔法。
威力、射程は銃器に劣るとはいえ、魔法は『手ぶらで』『魔力の続く限り』使える。決して侮ることはできない。
軍事的には陳腐化しているが、要人警護などではこの先も役立つだろう。
イザベラは確かに強い。マーガレットとかいう女も同じくらいだろう。
このままでは、カーターの『ブルース・ビンセントの相棒』の立場が危うい。
色仕掛けで迫られては、カーターの筋肉をもってしても勝ち目はないだろう。
カーターは両手で勢いよく自分の頬を叩く。
「オレは無敵だッ! オレは最強だッ! よし!」
カーターの頭の中には、保養所の部屋にあったカスタネ周辺の絵地図が入っている。
カスタネは初めてだが、駅と繁華街が離れているのは目印として都合がよい。
滅多なことはないだろうが、町で万が一のことがあってもいずれ駆け付ける事ができる。
カーターは走った。ただ走るだけではない。
筋肉により大きな負荷を与えるため、一抱えもある岩を抱えてのジョギングだ。
街はずれで拾った岩を駅まで運び、それを繰り返すのだ。
かつて、魔力は体力に比例するという説があった。現在では否定されているが、経験則としては近いものがある。
「……ぬおおぉッ! コイツぁキツイな!」
もちろん街中でこんなことはできない。
安全は全てに優先するのだ。
◇ ◇ ◇
「ハァッ! ハァッ! ハァ……」
カーターは駅に着いた。
距離自体は大したことはないが、さすがにヘビーなウェイトである。
「み、水……!」
トレーニング中に水を飲むことは体に悪いとされていた時代もあるが、単なる精神論であり、現代では医学的な根拠から明確に否定されている。
脱水症状を起こさないために、適度な水分補給が必要だ。
水分の他にも体から失われるミネラルや電解質を補給する『スポーツドリンク』を商品化したいとカーターは思っているが、金もコネもなく残念ながら実現には至っていない。
「なッ……! 水道も井戸もないのかッ!」
あるにはある。
しかし、全て有料であった。カスタネは観光地である。
「クソッ、どうせ金払うなら別のもの飲むぜ! おばちゃん、ビール!」
「あいよ」
カーターはビールを買うと、ベンチにどっかと腰を降ろす。
素手で瓶の王冠をむしるように取ると、一気に煽った。
「美味いッ!」
思わず力が入り、王冠を握りつぶす。それほどまでに美味である。
「何だこれはッ!? こんな美味いモノがあって良いのか!?」
カスタネ限定品らしく、王都でもフルメントムでも見たことがない。
ラベルをまじまじと見つめると、横から声がかかった。
「……うるさいわね。汽車待ってるんだから静かにしてよ」
「あぁん?」
大きなトランクを持った女だった。黒髪のおさげで、泣いていたのか目元が腫れている。
「お気楽な事言っちゃって。人の気も知らないで」
「オレが知るかッ! 何があったッ!? 話せば残りをやっても良いぜ!」
カーターは女にビール瓶を突き付ける。
「暑苦しいわね……」
女の口元に、微かな笑みがこぼれる。女は、訥々と身の上話を語り始めた。
◇ ◇ ◇
「つまり、雇い主の婚約者と男女の仲になって、それでクビってことだな!?」
女は無言で力なく頷く。
「アンタが悪いッ!! どう考えても庇いようがないッ!!」
「はっきり言うわね」
「その婚約者ってのも悪いけどなッ! ぶっ殺しても良いぜ! オレが許すッ!」
「殺すなんて……」
カーターはビール瓶を女に突き出す。中身はまだ、半分ほど残っている。
「殺した気になって新しい人生を送れ、って事だぜ! 本当に殺す必要はねぇよ!」
女は少し戸惑っていたようだが、結局ビールを受け取った。一気に煽る。
「……良い事言うわね」
「オレ様は良い事しか言わんッ! 見ろッ!」
カーターは立ち上がると、両腕の力こぶを強調する。『フロント・ダブルバイセップス』だ。
そのまま女に背を向け『バック・ダブルバイセップス』へ。『フロント・ラットスプレッド』、『バック・ラットスプレット』と続ける。
女に笑顔が戻った。そう、これこそが肉体言語である。鍛え上げた筋肉は千の言葉よりも人の心を動かす。
「ふふっ。もういいから」
「まだだッ!!」
まだ基本ポーズの途中だ。ボディビルは八種の『基本ポーズ』の後、『フリーポーズ』へと移る。
「いや、本当にもういいから」
「ダメだッ!!!!」
まだ基本ポーズすら終わっていない。
構わずに『サイド・チェスト』、『サイド・トライセップス』、『アブドミナル・アンド・サイ』と続け、『モスト・マスキュラー』に入ろうとした時……
「マイラ!」
息を荒げながら、もう一人の女が走ってきた。
カーターは舌打ちする。横槍以外の何物でもない。
「ドリス!? なぜここへ?」
ドリスと呼ばれた女は、それには答えずマイラの胸に飛び込んだ。
「マイラ! ああ、何てこと!」
「ドリス……私――」
マイラの言葉は、ドリスの唇によって塞がれた。
そのまましばしの時間が流れる。
「マイラ……王都で待ってて。大丈夫、何も心配いらないわ」
「ドリス……」
「私だけじゃない。みんな、あなたの味方だから」
二人は抱き合ったまま、頬を染めて見つめ合う。
まるで、二人の他には世界に何も存在しないかのように。
声をかけても、一切何も反応がない。言葉などいらないようだ。
「……ま、人生色々あらぁな」
カーターは何だか色々とどうでも良くなり、カスタネの町へと足を進めた。
「せっかくオレ様がポージングを決めてやろうというのに、もったいない奴らだぜ」
筋肉こそ全ての悩みを解決する。
それがこの世の真理だ。
しかし、価値観を急に押し付けるのも良くないだろう。
長い付き合いの中で、徐々に馴染ませるしかない。
「あばよ、未来の女性ビルダー」
フルメントムでカーターの帰りを待つエミリーの顔が脳裏に浮かぶ。
必死の努力にも関わらず、エミリーはまるで筋肉が付かない。サボっている様子はないのに、だ。
むしろトレーニングをするほどに柔らかく、しなやかに女らしくなっていく。
「何事も無理は禁物、って事かねぇ」
カーターは、岩を持ち帰るのをやめた。
◆ ◆ ◆
売店のおばちゃんは激怒した。
「誰だい! こんな所に岩を置いたのは! 邪魔でしょうがないよッ!!」
おばちゃんが押しても引いても、岩は微動だにしない。
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