第58話 真昼の決闘

 サーベルと杖がぶつかり火花が散る。

 互いに一歩も引かず、鍔迫り合いが続く。

 技量は拮抗しているようで、マーガレットの杖捌きを初めて見るビンセントにも技量の高さが伺えた。


 しかし、貴族同士の決闘の決め手は剣だけではない。

 なお、サーベルは例のキヌクイムシによって魔力合金を侵されており、刃物としてはすでにほとんど役に立たない。


 イザベラの火球がマーガレットに向かう。

 マーガレットは左手に直径五十センチほどの氷の円盾を纏うと、火球を弾き飛ばした。


「相変わらず火球とは、馬鹿の一つ覚えですわね」


「黙れッ!」


 いくつもの氷塊がイザベラに向かうが、イザベラが展開した扇状の炎で氷は解けてしまい、届くことはない。

 辺りに湯気が立ち込める。


 立ち込める湯気を見て、ビンセントは自分がまだ温泉に入っていない事を思い出した。


「あの、もう帰っても良いでしょうか?」


 二人は戦いに夢中で、返事はない。

 戦いはお互いに譲ることなく、決着は遠そうに思われた。


「良いですね」


 道路を挟んだ向かいのお土産屋に、筋肉質の大男と黒髪の少女が目に留まる。カーターとサラだ。


 二人は商品に夢中で、ビンセントには気付かない。

 それどころか、目の前で剣戟が繰り広げられているのにも関わらず、彼らは興味すら示さない。


「カーター、あのおもちゃ欲しいー」


「自分のお小遣いで買ってくださいよ、まったく……でも、ガキどもへのお土産にちょうど良さそうっすね」


 カーターはビンセントに気が付くと、手を振った。磨き上げられた白い歯が光る。


「よう、相棒。あのおもちゃ、教会のガキども喜ぶと思うか?」


 カーターが指さしたのは張り子の豚で、首が別になっており、フラフラと動くものだ。

 しかし、ビンセントは短い竹を組み合わせた蛇のおもちゃを勧める。


「こっちの方が良いんじゃないか? 張り子だと途中で壊れるかも」


「言われてみればそうだな、迷うぜ……ところで相棒、タマゴは食ったのか?」


「いいや、まだだ。そこで売ってるから、食べてみるよ」


 ビンセントは隣の店へ移動する。

 広場ではまだ剣と魔法の真剣勝負が続いていた。剣戟の音が響き、炎が爆ぜ、氷が地面を抉る。


「すいません、タマゴください」


「はいよ」


 熱々の茹で卵は、白身が変色しており、独特の塩気を伴って非常に美味である。

 タマゴを籠に入れ、蒸気の噴出口に置くことで作られるカスタネ名物で、他所では食べられないものだ。


「温泉の蒸気で蒸したケーキもいかが? 口直しに」


 店番の老婆が店頭の蒸し器を指さす。


「じゃあ、それも」


 丸い蒸しケーキは一口サイズで、中にはクリームが入っているものと、小豆を潰して甘味料を練りこんだ『餡』入りのものがある。


「美味いなぁ、もう一個。次は餡で」


「毎度あり」


 決闘は続いている。互いに息が上がっているが、動きは全く衰えを見せない。

 周囲には人だかりができ、技が決まるたびに声援が上がる。どうやらイザベラ派とマーガレット派に分かれているようだった。


「さあさあ、張った! 張った! 今の倍率は――」


「炎の女に一枚!」


「俺は氷の女に三枚だ!」


 なんと、すでに賭けまで始まっていた。


「兄ちゃん、どっちが勝つと思う?」


 酒瓶を抱えた中年男が話しかけてきた。


「勝ち負けはわかりません」


「俺もわからねぇから聞いてるんだよ。ん~、やっぱり氷の姉ちゃんかな? 慎ましい胸が俺の好みだ。……行けーッ! そこだーッ! ああっ!?」


 男はマーガレットに賭けているようだ。


 どこからともなく、美味しそうな匂いが漂ってくる。

 棒付き焼きソーセージ……『フランクフルト』の屋台だ。騒ぎに乗じて営業を開始したらしい。

 匂いに引き寄せられるように、ビンセントは行列に並ぶ。

 列は二列になっており、そう待たずに食べられそうだ。隣に並んでいるのはプラチナブロンドの美女。王立学院の制服姿だ。

 穏やかそうな碧眼、ゆるふわパーマに整った大きめの胸、引き締まったウエスト。はっきり言って好みだ。香水もセンスが良い。


「あっ……!」


「おっと」


 女がついうっかり落としてしまったフランクフルトを、ビンセントは地面に落ちる寸前に危うくキャッチした。


「…………」


 少し考え、自分の分を女に渡す。


「ありがとう」


「いえ、大したことでは」


 女が微笑みかけると、ビンセントの胸は高鳴った。

 かつて憧れていた近所のお姉さんに笑い方が似ている。今は幸せな主婦のはずだ。


「あなた、どっちに賭けてるの?」


「賭けには乗り損ねてしまいました」


「そう、残念ね。わたし引き分けに賭けてるけど、勝ったら奢るわ」


 不意に足元近くで火の玉が爆ぜる。流れ弾だ。

 こちらに構う余裕などないだろうに、なぜかイザベラと目が合った。

 とてつもなく鋭い表情だ。


「危ないから離れて見るわね。また会いましょ」


「は、はぁ」


 女は手を振りながら離れていく。


「……あれ? 今の人、どこかで見たような」


 しかし、カスタネに来るまで王立学院に知り合いは殆どいなかったはずだ。ジャスミンくらいだろう。


「気のせいか。しかし、きれいな人だったな」


 再び広場に戻ると決闘は最終局面を迎えつつあった。

 魔力はお互い既に尽き、イザベラの剣は立ち木に、マーガレットの杖は生垣に刺さっている。勝負は素手での格闘戦に移っていた。


「はぁ、……はぁ、……腕を上げましたわね、ベラ」


「マギー……はぁ、……はぁ……あなたこそ……」


「でも……一年前に比べて、圧倒的に拳が軽いですわ」


 イザベラは拳を降ろさない。

 マーガレットもまた、強く拳を握りしめた。


「でも、あなたのメイドがブルースを虐めた事、責任を取ってもらうからね!」


「ブルース? あの兵隊さん? 知りませんわ、どっちにしろ、もうマイラはクビですのッ!」


「何ッ!?」


 お互いに限界が近いらしく、次の一撃で勝負が決まると思われた。


「!!」


 イザベラの右拳はマーガレットの左頬に、マーガレットの左拳はイザベラの右頬に、それぞれ同時に突き刺さった。

 その体勢のまま僅かな時が流れると、二人同時に地面に倒れこんだ。引き分けだ。


 観客の歓声が周囲を包む。予想を外した者が券を放り投げ、紙吹雪が舞った。


 娯楽の少ない田舎、美人女学生同士のキャット・ファイトは格好のエンタテインメントである。 

 他人事なら確かにそうだ。


 ビンセントは人込みをかき分けると、イザベラの元へ駆け寄った。

 同時にエリックとジェフリーもマーガレットへ駆け寄る。

 ビンセントはイザベラを抱き起した。


「大丈夫ですか、イザベラさん」


「はぁ……はぁ……、ねぇ、ブルース、仇……取ったわ」


 イザベラの目から涙が一筋零れた。


「はぁ、そういえばそういう話でしたね。ありがとうございました」


 イザベラはビンセントに微笑みかけると、目を閉じた。

 エリックとジェフリーがマーガレットを担ぎ、退場していく。


「しかし……なんだったんですか? この戦いは」


 イザベラは答えない。

 静かな寝息を繰り返すだけだ。

 ビンセントはイザベラを横抱きに抱えると、広場を後にした。

 広場の歓声が止むことはなく、お祭り騒ぎは夜中まで続くことになる。


 ◇ ◇ ◇


 意識のないイザベラをベッドに寝かせ、毛布をかけた。

 顔についた泥を濡れタオルで拭う。寝顔はとても安らかだ。


「……同じ趣味の友達ってのは、良いものです」


 リーチェの戦いでビンセントをかばって死んだ名もなき兵士も、映画好きであった。

 彼の名は、今もわからないままだ。知ろうともしなかった自分自身に嫌気が差す。


「…………」


 壁のスイッチで明かりを消し、部屋を後にする。まだ、温泉に入っていない。

 ドアを開け、廊下に出る。

 

「よお。ベラのお守り、大変だったな」


 宿の廊下。ビンセントに声を掛けたのはエリックだ。

 腕組みをして、壁にもたれかかっている。それでもなお、ビンセントより背が高い。


「いえ、大したことでは」


「ところでお前、ベラと付き合ってるのか?」


「まさか」


「お前に気があるように見えるけどな」


 寝ぼけたことを言う男だ。

 ジョージ王の大改革により平民の地位はかなり向上していたが、それでも平民と付き合う貴族など聞いたことが無い。……事もないが、例外と言えよう。

 いつかサカルマの領主には復讐したい。


「俺は平民ですよ? 何かの間違いです。……最近少し様子が変ですが、じきに治るでしょう」


 イザベラの態度が変わったのは、思い返せばキヌクイムシに服を溶かされた時からだ。

 相当なショックを受けていたようだが、別に悪いモノではないし、いずれ元に戻るだろう。

 美肌効果は非常に高いらしいので、母と妹への土産に一匹欲しい所だ。

 母には生薬を。妹には生きた本体を丸ごと。絹のドレスを一緒に贈るのも良いだろう。


「ふぅん……?」


 エリックはしばしビンセントを見つめる。その目が何を言わんとしているのかは読み取れない。


「あの……何か」


「いや別に。俺はあいつと入学以来の付き合いだが、随分と変わった。今はルックスが良くなったから、モテるようになったみたいだけどな」


 気になることを言う。


「今は、ですか?」


「ああ。この一年でだいぶ変わったな。性格はあまり変わらないようだが。しかし、もったいない話だ。今もフリーなのか?」


「さあ……プライベートな話ですので」


 実際には、確認するのが嫌だったのである。

 伯爵家のご令嬢である。当然、婚約者がいても何ら不自然ではない。

 平民としては知らぬが仏を貫くのが最も悲しまずに済むのだ。

 しかし、性格がそのままというのは信じがたい。


「そうかい……」


 エリックの視線に、ビンセントはまるで心の中を丸裸にされるような、そんな錯覚までも覚えた。


「まあいい、これを渡してくれ」


 エリックが差し出したのは、一通の封筒だった。


「どうせ寝ているだろうから、朝に渡してくれれば構わないぜ」


「はぁ。中身は何でしょうか」


「お前が知る必要はない。重要機密書類とだけ言っておく。それから、クラウ商会の封筒だ。お前の給料で弁償できると思うな」


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