第57話 白日のもとに
玄関ドアをくぐり、路地を抜けて裏手の広場へ。
中央には大きな木が生えており、いくつかベンチが並んでいる。
棒付き焼きソーセージの屋台があるが、営業時間外らしく、窓が閉まったまま人の気配はない。
棒付き焼きソーセージはジョージ王の治世以来、『フランクフルト』と呼ばれているが名の由来は不明だ。語呂が良いので近年はすっかり馴染んでいる。
イザベラはビンセントの手を握った右手を見ると、顔を赤らめて手を放した。右手はそのまま左手で抱きかかえる。
「いったいどうしたんですか」
「聞いて! あのね――」
イザベラは自分の過去を話し始めた。もしイザベラが平民だったら、ビンセントはとっととこの場を離れただろう。聞いても何の特にならない。
残念ながら立場上そういう訳にも行かないので、黙って聞くことになる。
チェンバレン伯爵家は、武門の誉れ高い銘家で、代々王家の守護を務めてきた一族である。
イザベラの父は軍人、兄もまた軍人だ。
家族はたいそうイザベラを可愛がり、大切に育てた。
母は刺繍や歌唱を熱心に教えたが、イザベラは兄が手慰みに教えてくれる剣術や乗馬のほうが好きだった。
家にはとても大きな黒い馬が居て、カーター並の体格の騎手でも苦もなく走り回る名馬だという。
「でも、気性は穏やかなのよ」
「はぁ」
イザベラは家庭教師を雇っていたが、その家庭教師が全ての元凶と言っても過言ではない。
「元凶? 何のですか?」
「それはね――」
イザベラは成績があまり良くなく、家庭教師は大変な仕事だったと思われる。
「えっ? イザベラさんは学院の主席では?」
イザベラは黙ってちびた鉛筆を取り出す。
六角の面にそれぞれ番号が振られていた。
「な、なんという強運……!」
「先生はこう言ったの。あなたは、もっと本を読みなさい、って。色々貸してくれたわ」
「はぁ、悪いことではありません」
ビンセント家は妹のレベッカが読書好きで、平民としては蔵書量が多い。
とはいえ、レベッカが買ってくる本の半数はビンセントの趣味に合わない。なにせ男同士の恋愛モノだ。面白くもなんともない。
とはいえ、妹が嫌いなわけではない。
穏やかで優しく、それでいて芯の強い少女だ。趣味と人格は別問題である。
「ちなみに先生は、お兄様と結婚が決まっているの」
「は? 何ですかそれは。少女漫画の話ですか?」
イザベラはかぶりを振る。
「…………!」
ビンセントは絶句した。
事実は小説よりも奇なり。そんな話は身の周りでは聞いたことが無い。
妹が持っていた『普通の』少女漫画に、そんな話があった気がする。
イザベラは話を続けた。
「王立学院に入学した時にね――」
王立学院は一応、身分を問わず入学が可能だ。
しかし入学試験に魔法の科目があり、平民は事実上進学の道が閉ざされている。学費も極めて高額だ。
先王の強い推薦で入学したジョージだけが例外である。
通常、貴族の娘はダンスや観劇といった社交で結婚相手を探すものだが、イザベラはそれらにあまり興味を示さなかった。
剣術や馬術が得意なイザベラを見て、両親としては学院で良い縁でも見つかれば、という思いもあったのだろう。
事実、実際に卒業する女学生は七割程度である。寿退学はステータスであった。
家は兄が継ぐことになっていたので、イザベラは比較的自由に振舞うことが許されたのだ。
そして、そこで出会ったのが例の三人、マーガレット・ウィンターソン伯爵令嬢、エリック・フィッツジェラルド侯爵、ジェフリー・ロッドフォード子爵である。
「あの三人ですか」
「ええ」
フィッツジェラルドは一見スマートだがスポーツ万能、甘いマスクで体育の授業では女子の声援を一点に集めた。
一方ロッドフォードは物静かなインテリだったが、どこか抜けていて、そのギャップが多くの女子の関心を集めていた。
彼らにイザベラを加えた四人は一緒の班となり、授業や行事では行動を共にする事が多くなる。
「なんか、楽しそうですね」
「楽しかったわ。特に、マーガレットとの出会いが全てを決定づけたのね」
「ウィンターソン様が?」
「ええ。マーガレットと私はやっと出会えた同志だったの……」
同じ趣味を持つマーガレットとイザベラは、互いの家に頻繁に行き来し、親交を深めた。互いに文献を持ち寄って討論を深め、時には互いに書いた原稿を見せ合ったりもした。
マーガレットと過ごす時間は、今までにない充実感をイザベラに与えたのだ。
「同じ趣味の友人ですか、素敵ですね」
ウィンターソンが同級生ということは、何気ない会話の中で名前が出ていても不思議ではない。そのはずだ。決しておかしなことはない。
「私の今までの人生で、最も充実した時代と言えるでしょうね。それも、マーガレットが留学に行く一年前までの事」
「アリクアムの……魔法女学院でしたか?」
「ええ、そうよ」
魔法女学院は魔法が専門の教育機関であり、世界中から留学生を受け入れている。
軍事的には完全に陳腐化した魔法だが、留学生は増えているという。
アリクアム共和国は中立国だ。学院は事実上、大陸戦争に参戦した各国の令嬢の疎開場所と化していたのだ。
「で、何なんですか? その共通の趣味というのは」
「そ、それは……」
イザベラは言い淀んだ。眉尻を下げ、ビンセントの顔を覗き込んでくる。
とても言いにくそうだ。
根拠はないが、聞いてはいけない気がする。聞かないほうが幸せな気がする。
いやむしろ、聞くべきではない。嫌な予感しかしない。
故郷のムーサで待つ妹の、喜びの顔がなぜか脳裏に浮かぶ。
「…………」
しかし、イザベラは彼女にとって大きな秘密を話そうとしている。
誠意を持って聞かなければならない。極力いつも通りの表情を心がける。
意を決したか、イザベラは口を開く。
「はっきりさせておくわ! 私もマーガレットも、エリックやジェフリーと交際していた訳ではないの。誤解なのよ! 私とマーガレットは……」
ビンセントは息を呑んだ。
「私とマーガレットは、『エリックとジェフリー』の『ホモ行為を妄想しては悦に入っていた』のッ……!」
「あーーーー、やっぱりッ!!」
ビンセントは頭を抱えた。嫌な予感は当たった。当たってしまった。
イザベラはビンセントを見ていられないのか、俯くと両手で顔を覆った。
「……くっ…………殺せ!」
「ここはくっころを使う所じゃないです!」
「し、しまったッ……!」
二人はしばし、呼吸を落ち着けた。
目の前を虎縞の猫が横切る。
「にゃ~」
猫は木陰で立ち止まると、寝転がって毛づくろいを始めた。立派なきんたまである。
「あの、俺はそういうのよくわからないんですが、やっぱり貴族はそういうのが多いんでしょうか? なんかこう、平民とは違うという所を示す象徴的な、文化的側面とか」
「全くないわ。同士はマーガレットだけだと言ったはずよ……」
「……そ、そうでしたか」
「……嘲笑わないの?」
「いいえ……」
「へ、ヘンタイだと思ったでしょう?」
「そりゃ、俺にはわかりませんよ……ですが、誰しも少なからず、公にできない趣味はありますし」
「そ、そうなの? ブルースもエッチな本溜め込んでるの?」
「お袋が全部捨てたらしいです」
「……ご、ごめんなさい」
沈黙。
寝転がっていた猫は、虫か何か見つけたのか、獲物に飛びかかった。
「世の中、色んな人がいますから。いも……知り合いもそういうのが好きで」
「そ、そう? あなたもエリックとジェフリーがデキていたら素敵だと思う?」
「何故そんな話に……」
『知らねぇよ』と言いたかった。
とはいえ、妹が好きなジャンルを頭ごなしに否定するのも憚られた。ビンセントはレベッカにとって、離れていても『良いお兄ちゃん』でいたかったのだ。
ビンセントだって女の子同士の百合百合な作品が好きなので、人の事は言えない。
「聞き捨てなりませんわね」
不意に背後から現れたのは、当のマーガレット・ウィンターソン伯爵令嬢である。話を聞いていたらしい。
腕を組み、突き刺さるような視線をイザベラに向ける。突き刺さりそうな縦ロールの髪が揺れた。
「イザベラ。あなたは間違っていますわ」
つかつかと近づくと、イザベラを睨みつける。
「『エリックとジェフリー』ではありませんわ。『ジェフリーとエリック』。これこそが正義というものではなくて?」
「黙れッ!……黙れ黙れ黙れッ!」
イザベラはかぶりを振った。
「あなたは物事の表層しか見ていないのですわ。確かにエリックのほうが力は上でしょうね。でも、ジェフリーのほうが悪知恵が回りますわ。エリックの弱点を突いて攻め! 彼にはそれができますの。……そこの兵隊さん。あなたもそう思うでしょう?」
マーガレットはビンセントに話を振る。
「何か違うんですか?」
呆れた表情でマーガレットは溜息をつく。
「はぁ……これだから平民は。……いいえ、違いますわ。あなたの教育が悪いのです、イザベラ」
「マーガレット! いい機会ね! メイドのおイタも、ここで精算してやるわ!」
イザベラはサーベルの柄に手を掛けた。
「おイタ……? あなた、事情をご存知なの? ならば受けて立ちますわ」
マーガレットも持っていた杖を構えた。
魔法使いの武器といえば、やはり杖だろう。とても歩行の補助に使える強度はないだろうが、正直言ってどうでも良かった。
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