第55話 嵐の予感 その二

「イザベラさん、どうしちゃったんですか?」


「学校の評価書によるとだなー、内気で純情、のめり込むと周囲が見えない、友達は少なく男性が苦手、いつも挙動不審、時々突っ走る……誰の事だかわかるかー?」


 サラの返事は意外なものだった。


「いいえ? 誰ですか?」


「……誰だろうなー、とわたしも思ったよー。あれが素だとはなー」


「素?」


「イザベラー」


 なかなか面白い冗談である。あり得ない。

 これまでもサラは当てずっぽうで適当なことを言うことがあった。


「…………」


 とはいえ、今イザベラは溶け落ちた近衛騎士団の制服ではなく、本来所属している王立学院の制服を着ている。

 どこからどう見ても、ただの女学生だ。見習い騎士には見えない。

 そして、サラが王女であることは誰にも知られてはならない。


 つまり、偽装工作だ。


 剣や魔法だけではなく知略にも長けたイザベラに、ビンセントは感嘆する。

 なにせ、王立学院では主席と聞いている。


「……なるほど、そういうことか」


「何がだー?」


 他の客の目もある。


「いいえ、何でもあありません」


 この仮説が最も合理的だとは思ったが、本当のところはわからない。

 確かに様子がおかしいかもしれない。しかし、イザベラは普段からあまり常識的な行動を取る人ではない。



 店のドアが開いた。イザベラが戻ったのかと思ったが、入ってきたのは王立学院の真っ白な制服を着た青年だ。

 ビンセントとカーターは直立し、挙手の礼を取る。青年は二本指で軽く答礼すると席に着いた。


「いらっしゃいませ、いつもありがとうございます」


「日替わりを一つ頼む」


 青年の年の頃はビンセントと同じくらい。

 細身だが筋肉質で、ブロンドの髪を整髪料で今風に整えている。

 香水の匂いが鼻に付いた。


 王立学院に入れるのは、例外はあるものの原則として貴族に限られる。

 高額な授業料に加え、入試に魔法の科目があるためだ。

 王立学院は士官養成の専門学科もあるが、学科に関わらず入学時点で全員に准尉相当の階級が与えられ軍属扱いとなる。

 そのため、兵士に対する指揮権もある程度認められているのだ。


 王立学院は平民向けの学校と違い男女共学のため、女学生に兵士が狼藉を働くのを防ぐ意味合いもあるようだ。

 ちなみに、平民で准尉まで昇進するには平均四十年ほどかかり、よほどの事が無い限り先に定年を迎える。


「…………」


 沈黙。


「どうした? 食事中じゃないのか?」


「は、はぁ……」


 ビンセントが返事を濁すと、青年はこちらに向き直った。


「気に入らねぇな。お前、メシ食ってたんだろ?」


 青年は突き刺さるような視線を向けてくる。


「はい、ですがお気になさらず」


「だったら食え。その料理は店主が丹精込めて作ったものだ。軍人だからって庶民への狼藉は、このエリック・フィッツジェラルドが許さんぞ!」

 

 椅子を鳴らしてエリックが立ち上がり、ビンセントに詰め寄ろうとする。

 その時、入り口のドアが音を立てて開き、イザベラが満面の笑みで帰ってきた。


「『味の友』! 買って来たわ、これで――えっ?」


 青年を見たイザベラの動きが止まる。


「ベラ? ここに来てたのか!」


「う、……うん……」


 イザベラは目を伏せたまま、立ち尽くしていた。

 ベラとは、どうやらイザベラの愛称であったらしい。


「久しぶりじゃん! イメージ変わったな! 近衛はどうよ?」


「ん……。ぼちぼち……ね」


 青年はイザベラの手を掴むと、自分の隣に座らせた。

 彼女は膝を閉じ、少し俯いている。


「同期の出世頭だもんな、マジすげぇよ。尊敬するぜ」


「その、……エリックは領地経営に専念……だっけ?」


「おう。だが俺は、そんなチンケな所じゃ終わらねぇよ」


 青年はイザベラの王立学院の関係者らしかった。おそらくは同級生かなにかだろう。

 なお『味の友』はまだイザベラの手にある。


「あの時は楽しかったよな、あんなのまたやろうぜ」


「去年のその、旅行みたいに?」


「おう!」


 エリックが爽やかに微笑んだ。

 旅行とは気になる。


「しかし、しばらく見ない間にずいぶん可愛くなったな」


「そ、そんな事……ないもん」


 会話は続く。

 カーターが無言で肘で突いてくる。

 やむを得ず、ビンセントは料理を食べることにした。


「顔赤くしちゃってー」


 サラが口を尖らせる。ビンセントも気付いていた。

 イザベラの様子が変である。

 顔は少し紅潮し、口数もずっと少ない。落ち着かないようで、膝をこすり合わせている。

 二人の過去には、何かしらあった事に気が付かない者はいないだろう。


「…………」


 おそらくは、親密な間柄だったと思われる。

 ただでさえ味気の足りない料理は、ますます味がしなくなった。


 むしろ、今まで食べたあらゆる料理よりまずい。それでもビンセントが食べ物を残すことはまず無い。エリックに言われるまでもないことだ。


 味気ない有機質の塊を、ビンセントは胃の中に無理矢理押し込んだ。


 ◇ ◇ ◇


「もう少し待ってくれ、エクスペンダブル」


 ビンセントは、まだらの牡馬を撫でた。店の前である。


「アッ、……フヒッ、イヒヒ」


「やめろ。間に合ってる」


 毛づくろいのお返しと称して、髪に噛みつこうとするので油断ならない。

 それでなくても父親のトニー・ビンセントは、額から頭頂部にかけての頭髪が完全に失われている。


「ま、よくある事だぜ」


 カーターがビンセントの肩を優しく叩く。ビンセントは表情を変えずに返した。


「俺は別に何とも。……気にして何になる」


 寂しくないといえば嘘になる。

 幾度も命を懸けた相手だ。思うところが無いではない。

 だが、現実の壁は厚かった。

 平民は逆立ちしても貴族には敵わない。それは全てのエイプル国民の共通認識である。


 何よりも。


『……ベラって呼んでもいいのよ?』


 ベラとは、イザベラの愛称のことだったらしい。


「ぶー。最近良くなったと思ったのに、また目が死んだマグロになってるぞー」


「いいから乗ってください」


 サラを抱え上げ、馬車に乗せる。


「ブルースー、お前は知らないだろうけどなー――」


 サラが言いかけた所で、食堂のドアが開いた。


「じゃあベラ、俺の絵が見たくなったら、いつでもこの店に寄ってやってくれ。店主も喜ぶだろう」


 エリックだ。足早に去って行くのをビンセントとカーターは敬礼して見送る。


 リーチェの絵は、彼が描いたものらしい。

 本人には良い印象は抱かなかったが、作品に罪はない。

 絵それ自体は、確かに素晴らしいものだった。


「…………」


 後からイザベラが調味料の瓶を抱きしめて出てくる。


「誤解しないで、彼とは……」


 聞く必要はなかった。いや、聞きたくなかったというのが正解だろう。


「乗ってください。宿を探します」


「う……うん……」


 イザベラは馬車に乗り込む時、何か言いたそうに口を開いたが、結局何も言わなかった。


 ビンセントとカーターは馬を引き、周囲に目を凝らして宿を探す。


「宿に空きがあるといいな、相棒?」


「……そうだな。雨の野宿は御免だ」


 カスタネは山間にあるため、天気が安定しない。

 店に入る前は快晴だった空は、いつしか雲が立ち込めている。

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