第54話 嵐の予感 その一

  カスタネは、街道の交差する交通の要衝である。


 王女一行の目的地はここだが、この後の予定は決まっていない。

 サラが言うには、おそらく南のアリクアムに向かう事になるのではないか、という事だ。

 いずれにせよ、しばらくは逗留することになる。 


 北に向かえばブラシカ山脈だ。山脈を最短距離で縦断する峠道の起点であり、旅人は必ずここで準備を整える。

 そして、山脈の向こうには最前線であるリーチェの町。


「…………」


 ビンセントは複雑な気分だった。山脈を挟んで、こうも雰囲気が違う。

 御者席にいるカーターの表情は、後ろからではわからなかった。

 しかし、同じようなことを考えているであろうことが背中から伺える。



 カスタネ名物といえば、誰もが第一に上げるのが温泉だ。

 活発な火山活動と豊富な地下水の相乗効果で、山脈を越えて来た者、これから山脈を越える者を癒してくれる。

 街の中央には大きな広場があり、柵に囲まれた温泉の川が流れ、温泉宿や土産物屋が軒を連ねていた。

 街全体が硫黄の香りに包まれている。


「そろそろ飯にしましょうや、みんな腹減ったでしょ?」


 ビンセント一行がカスタネに到着したのは、昼を少し過ぎた頃。カーターの提案に異議を唱える者は無かった。


「……えっ」


 イザベラがビンセントの腕を掴む。胸が当たった。

 いや、それどころか押し付けてくるではないか。

 一体イザベラにどんな心境の変化があったのだろうか。


「ねぇブルース。何が食べたい?」


「な、何が有名なんですか?」


 思わずどぎまぎしてしまう。

 

「えっとね。温泉タマゴとか、ケーキとか。でもでもっ! あなたと一緒なら、何だって美味しいわ!」


「……はぁ。……あの、頭でも打ったのでは」


 ビンセントはチラリとサラに目をやるが、彼女は力なく顔を横に振るばかり。


「もう、ほっとけー」


「は、はぁ……」


 カスタネといえば温泉。

 温泉といえば湯治。

 ビンセントの火傷の跡にも効果はあるだろうか。 

 ヘンなモンスターに襲われたイザベラの心の傷も、癒えるだろうか。


「あの、イザベラさん」


「……ベラって呼んでもいいのよ?」


 イザベラは頬を染め、上目遣いでビンセントを見つめる。

 更には顔を伏せ、もじもじと膝をこすり合わせていた。


「ベラ?」


「きゃっ! ご、ごめんなさい、やっぱり恥ずかしいから、いい……」


 そう言うと、両手で顔を覆ってしまった。

 

 ……不気味だ。


 どこかでよく似た他人と入れ替わったのだろうか? しかし、だとすればサラが気付かないはずがない。


「ええと、昼飯の話ですよね? 料理の名前ですか、ベラって」


 ビンセントはカスタネに来るのは初めてで、どんな料理が美味いのかなど知る由もない。ベラは、どことなく炒め物のような雰囲気がする。


「カスタネは、トリさんとかタマゴとか有名だぞー。蒸気の噴出口にタマゴを置くなんていう、イカれた料理が美味いんだよなー」


 サラが解説してくれる。


「ベラだとぉー? そんな料理、無いからなー」


 ◇ ◇ ◇


 色々考えつつ、一行は適当な店を選び、中に入る。


「おっと」


 入り口で黒髪の若い女性とぶつかってしまった。


「すいません、お怪我は?」


 女は唇をきっ、と結ぶとビンセントを見据えた。おさげが揺れる。

 目には涙をたたえていた。


「何よ! 平民のくせに邪魔よ、邪魔! 泥付いちゃったじゃない! どうしてくれるのよ!」


「えっ。すみません」


 思わず謝ってしまったが、ドレスに泥は付いているように見えない。


「ちょっとあなた、文句があるなら私が聞くわ……! 何の用よ、もう一度言ってごらんなさい……!」


 イザベラは静かな口調だが、顔は赤く、額には青筋が立っている。

 恐ろしい。ひたすら恐ろしい。


「ん……? あなた、マイラね。あの忌々しいウィンターソン家のメイド!」


 どうやら知り合いらしい。

 マイラと呼ばれた女の顔が青くなる。


「あ……あなたはチェンバレン家の! なんで今日に限って!」


 マイラは脱兎のごとく逃げ出した。


「待ちなさいッ!」


 イザベラはすぐに後を追ったが、曲がり角で見失ったらしい。

 しばらくキョロキョロと見渡していたが、肩を落として戻ってくる。


「ごめんなさい、ブルース。見失っちゃった。あの女は知り合いの家でメイドをやってるの。社会勉強だか何だか知らないけど、下級貴族のくせに生意気よね?」


「えっ、貴族」


 やはり貴族らしい。そして、貴族を使用人にするような家など想像もつかない。


「今度あの女の主人、ウィンターソン伯爵の娘に言ってクビにさせるから、許して。ね?」


 イザベラは拝むように手を組み、目には涙をたたえてビンセントを見上げる。


「いやいやいや! そこまでしなくて良いですから!」


 ちょっとぶつかっただけだ。こちらは何の被害も受けていない。

 失業というものが、いかに恐ろしいものか。折を見て説明する必要があるだろう。

 そういえばイザベラも伯爵の娘であった。やはり付き合いがあるのだろうか。


「ん? ……ウィンターソン?」


 どこかで聞いた名前のような気がする。

 しかし、思い出せない。思い出してはいけない気がする。

 それは追々考えるとして、今はまず食事だ。


 ◇ ◇ ◇


 レンガ造りの落ち着いた店内は、厨房の前に大きな楕円形のテーブルがある。カウンターのように相席が基本らしい。

 ランチタイムを過ぎ一息ついた所だろうか、他の客はいない。


 奥からサラ、カーター、イザベラ、ビンセントの順に掛ける。


「あ、この絵……」


 ビンセントは壁の絵に目が行った。

 笑顔の女性が描かれているが、背景には畑の中に二本の大きなモミの木が立っている。


「素敵な絵ですね」


 その絵は、まるで写真のような精密さと、大胆な構図を兼ね備え、芸術作品としてかなりレベルが高いものだった。

 思わず見とれてしまう。


「こ、こういう子が好みなの?」


 イザベラがビクッと身体を震わせる。

 描かれているのは、お淑やかそうな青い目をしたプラチナブロンドの若い女性。少しアンニュイな表情がじつに絵になっている。胸は大きい。


「はぁ。好みというか、どんな人がどんな想いでこの人を描いたのか、色々考えられるなぁ、と。構図、色使い、タッチも繊細でそれでいてダイナミックですから」


 芸術評論のように話を誘導したが、実際問題としてビンセントの好みドンピシャだ。

 店主は寂しげな笑顔を浮かべた。


「リーチェですよ。王立学院の学生さんの作品ですが、無理を言って譲ってもらいました。……故郷なんです」


「故郷……」


「もう、あのモミの木は絵の中にしか残っていません。若い頃、女房とよく待ち合わせたんですけどね」


 モミの木が燃えた日のことを、ビンセントは覚えていた。

 リーチェ出身の兵士が涙を流して悔しがったこと。

 あの木はリーチェの象徴だったのだ。よその人間にしてみれば、何の変哲もない普通の木だが、様々な思いが宿っていた。

 そして、その兵士も数日後には亡くなった。


「すいません、俺たちが不甲斐ないばかりに……」


「いいえ、仕方がないですよ。それより、何にします?」


 日替わりを頼むと、鶏の胸肉を香辛料と一緒に蒸したものが出てきた。

 無尽蔵に湧き出る温泉の蒸気を配管で各戸に運び、調理に利用しているとの事で、蒸し料理が盛んらしい。

 イザベラが袖を引っ張り、上目遣いで覗き込んでくる。どうにも落ち着かない。


「どうブルース。私はこのくらいが好みだけど、ちょっと味が薄いような気もするわね」


「ええと、はい、美味いですね。ただ、やっぱり少し薄味ですかね――」


 イザベラは顔の横で拳を握りしめた。


「『味の友』ね、任せて!」


 ビンセントの言葉を遮ると、イザベラは席を立つ。

『味の友』とは、うま味成分であるグルタミン酸ナトリウムを化学的に結晶化したもので、これもまたジョージ王の発明と言われている。


「あの、そのくらい俺が……」


「いいから座って、私が行くから」


 イザベラは立ち上がると、跳ねるように厨房へ向かう。


「うるさいなー。つーか、うざいなー」


「まあ、俺らに害は無いっすから」


「あんな痛い子じゃなかったんだけどなー」


 サラとカーターはビンセントを無視して話ている。

 厨房から声が響く。


「シェフ、『味の友』出して。早く。……え? 無い? わかったわ、すぐに買ってくる」


「あ、あの、そこまで欲しい訳では……」


 化学調味料を安直だ、と嫌がる料理人は少なくない。そんな職人気質の店であるらしい。

 新しいものが受け入れられるには時間がかかるものだ。


 しかし、気がつけばいつしか不可欠な存在になっている。

 例えば化学調味料ではないが、ジョージ王が発明し、一世を風靡した『マヨネーズ』。年長者には嫌う者が多いが、万能調味料としてビンセントが生まれた時点で、すでに当たり前の存在になっていた。

 それらが存在しなかった時代など、生まれていなかった者には想像もつかない。


「――私はイザベラ・チェンバレンなんだっ! ローズなんかに負けないもんっ!」


 ビンセントの声など聞こえないようで、イザベラはものすごい勢いで店を出てしまった。


「タマゴうまいなー」


「お土産に買って帰りたいっすね。馬車じゃ無理かなぁ」


 サラとカーターは無関係を装っているようにしか見えない。

 イザベラが張り切っている以上、ビンセントとしては食べ続ける訳にも行かず、料理はどんどん冷めていく。


「……ローズ?」


 カーターは一瞬首を傾げたが、すぐにタマゴを食べ始めた。


「まぁいいや、コイツはうめぇ!」


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