第二章 カスタネは燃えているか
第53話 秘密の花園
思い出すも憚られる悪行。
恨めしそうな、悲しそうな、責めるような。
いや。ような、ではない。
責める視線。
『やれ』
ビンセントは背中にそんな視線を感じながらも、火炎放射器の引き金を引く。
伝説のドラゴンを思わせる炎は、その家を一瞬で炎に包む。
喜びが。悲しみが。笑顔が。涙が。……思い出が。
一瞬で炎に包まれ、灰になっていく。
『――――!!』
『――――……』
『…………』
やむを得ない事なのだ。
この家を残しておく訳にはいかない。処分しなければならないのだ。
よその戦線では、もっともっと悲惨なことが日常的に起きている。リーチェなどまだまだぬるま湯だ。
申し訳ないと思いつつも、『命令だから』と上官に責任を投げる自分自身に気が付く。
そんな自分に対する嫌悪感。
あんな蔑んだ目で睨まれて、当然の男だ。
「――、起きろ。もうすぐ見えてくるぞ。……おい相棒、起きろっつーの!」
「……あ、ああ、すまんすまん」
カーターがビンセントを夢から現実へと呼び戻す。
そうだ。ここはリーチェではない。
クーデターで城を追われたサラ王女と、護衛の女騎士イザベラ、偶然再開したかつての戦友カーター。
四人で旅をしてきたのだ。
長い旅だった。ようやっと、目的地カスタネが近づいてきたのだ。
ここで待ち受ける運命は、まったく予測がつかない。
サラとともに中立国、アリクアム共和国に向かうのか。
原理原則通り脱走兵として処罰されるのか。
軍に戻り、最前線へ送られるのか。
政府のエージェント、ウィンドミルとこの町で合流、会議の上で決まることになる。
時間がどれだけかかるかもわからない。
一週間か、一ヶ月か。
全てはこれから決まり、そこにビンセントやカーターの意志は考慮されない。
合流の日程には余裕があり、少し休めるのが救いである。
◆ ◆ ◆
「懐かしいですわね……」
カスタネ。
エイプル王国随一の噴出量を誇る、温泉の町だ。
エイプル王国では珍しい制服に身を包んだマーガレット・ウィンターソン伯爵令嬢は、硫黄の香り漂う温泉街を見下ろす丘に立っていた。
栗色の巻き毛が風に揺れる。
控えめな胸も、全体的には非常に均整の取れたモデル体型だ。ただ、身長は人並みである。
「お帰りなさいませ。お嬢様。アリクアムはいかがでしたか?」
王都のウィンターソン家で働く、メイドのマイラが恭しく頭を下げる。おさげの黒髪がぴょこんと揺れた。
「面白くもなんともない所でしたわ。マイラ、王都からわざわざご苦労様」
戦火を逃れ、アリクアム共和国の魔法女学院に留学してもうすぐ一年。
そんな彼女をカスタネへ呼び出す、エイプル政府から電報が届いたのは数日前のことだ。
期日までにはかなり余裕があったが、せっかくの温泉だ。早めに来てゆっくりするのも良いだろう。
久々に踏みしめる祖国の土は、やはり落ち着く。
「最後に来たのは、一年前だったかしら?」
「仰る通りです。あの時は、エリック様とジェフリー様がご一緒でした」
「そうでしたわ。エリックの運転する自動車で。結局、着くなり二人ともどこかに行ってしまいましたもの。おかげで女友達と温泉を満喫したものですわ、おほほ……」
「エリック様は奔放なお方ですので」
マイラは微笑むが、その笑みの奥に潜む光に、マーガレットは些か不穏な雰囲気を感じ取る。
マイラは溜息をついた。
「マーガレット様はお幸せなお方です。エリック様のような、素晴らしい殿方とご婚約の身なのですから」
「そうかしら? わたくしたちの頭越しに、家同士で勝手に決められた婚約者ですもの、良いも悪いもありませんわ」
「旦那様もエリック様をお気に入りです。最近、めっきりと逞しくなった、と」
「まあ、……そうですわね。確かに顔は良いですわ」
エリック・フィッツジェラルド侯爵は、マーガレットの婚約者であり、エイプル王立学院時代の同級生でもあった。
しかし王立学院にいた時分、エリックと話すことはあまりなかったのだ。
放って置いてもいずれ結婚することになる相手だ。恋愛は諦めるにしても、せめて趣味は大事にしたい。
そのため、同じ趣味の同性の友人と遊ぶことが多かったのだ。
その友人とも随分会っていない。
「顔は……ね」
そもそも色々と面倒くさいので、婚約自体公にはしていない。
エリックは確かに顔も良くスポーツ万能、成績優秀で国内有数の有力貴族。幾つもの大企業の筆頭株主でもある。
公爵位が存在しないエイプル王国において、侯爵は最高位であった。
そんな婚約を公にしては、ほかの女学生の嫉妬から来る嫌がらせが不可避であり、まっとうな学園生活は不可能だ。
エリックにも頼んで、絶対の秘密にしてある。ほぼ唯一と言っても良い友人にも。
「顔だけじゃありません! 優しくて、逞しくて、最高のお方です!」
「ベッドでも?」
「はい! ……あ」
「えっ」
今、マイラはとんでもないことを言った。ひょうたんから駒、とはこの事か。
マーガレットは冗談を言ってからかうつもりだった。
ほんの、ほんの冗談だったのだ。
従順なメイドが慌てふためく様を見たかっただけなのだ。
それなのに。
「ど、どういう事かしら? マイラ。わ、わたくしが留守にしている間に、エリックと――」
「ち、違います! 決してそんな事は……! そんな……こと……は……」
マイラの声がだんだん小さくなっていく。
どうやら図星のようだ。しかしマイラはエリックを庇った。
「わ、私がいけないんです! エリック様のせいじゃ、ありません! これだけは、どうか! ……どうか!」
――開き直った!
大した根性である。
マーガレットは深く溜息をついた。
なるべく、動揺を悟られないように。
「はぁ……ま、男ですものね……」
あまり深く追求するのも藪蛇だ。
確かに許されることではない。正直を言えば、ショックだ。
しかし、マーガレットの密かな趣味は、そのエリックを……見方によっては非常にコケにするものと言える。
あまり大っぴらにできないので、その点は弱みだった。
しかし、どれだけ遊ぼうと、どうせ最後には自分と結婚することになるのだ。
多少は余裕を見せるのも必要だろう。
「そうですわ、余裕ですわ、余裕。甲斐性がある、って事ですものね」
言ってはみるが、やはり腑に落ちない。
自分の気持ちと無関係な婚約とはいえ、婚約者は婚約者。
それが自分の家のメイドと関係を持っていたとなれば、さすがに家名に傷がつく。
ここは極めて正当に、まっとうな処分をするべきだ。
「……マイラ。お暇を出しますわ。二度とわたくしに顔を見せないことね」
「そ、そんな……」
「クビと言ったの。消えて」
街へ続く道を進む。
カスタネには王立学院の保養所があるので、しばらくそこに逗留する事になる。
このまま王都の屋敷に帰っても不快な思いをするだけだし、マーガレットを呼び出した電報の意味も気になる。
おそらく父親が総司令を務める衛兵隊に関連する何かだろう。
しかし、開幕一番これとあっては、嫌な予感しかしない。
「バカ」
少し遊ぶ時間はある。
アリクアムでの生活は、まるで刑務所のように自由のない窮屈なものだった。
最後の夏休み。保養所を使う者も多いだろう。
一年ぶりとなる学友たちとの再会が待っているはずだ。
「さぁて、イザベラ・チェンバレンは来ているかしらね?」
マーガレットは十二枚の写真を取り出す。
王都に住む友人が毎月送ってきたものだ。
「呆れますわ……。一体、何をやったらたった一年でこんなになるんですの……! 普通死にますわ、普通!」
今まさに、もう一台の馬車がカスタネを目指していることを、マーガレットはまだ知らない。
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