第52話 形見
「あ゛、……あ゛う……も゛うやだ……うあ゛ぁああぁあああん!! も゛うやだぁあ゛ああああ! だずげでえ゛ええぇええええぇええ!!」
イザベラの泣き声が響く。
彼女の手足はキヌクイムシに絡み取られ、動くこともままならないようである。
ビンセントとサラは顔を見合わせた。
「どうするんだー、もう少し眺めて楽しむかー? こういうの好きだろー?」
「それはその、眼福ではありますが。どうやって助けましょう?」
「まかせるよー。おやつと飲み物持ってきていいかー?」
「さすがにちょっと可哀想ですよ。何とかして助けなきゃ」
サラが肘でビンセントを小突く。
「お前も好きだなー」
「俺は本気でイザベラさんを、あの危険なモンスターから助けたいんです!」
ビンセントは拳を握りしめる。
「ホントにヤバイやつだったら、わたしとこんな話してる暇なんてないだろー?」
「…………」
時間稼ぎも限界だ。
もう少し眺めたかったが、そろそろ本当に助けるしかない。
ビンセントはやむを得ず川に入る。
「わかってますよ……よいしょっ、と」
イザベラの脇に手を入れると、一気に川から引き上げた。
「おー、エッチだなー」
サラが顔を両手で覆う。しかし、指の間から丸見えだ。
イザベラの服は全体の四割ほどを残すのみで、色々ステキな事になっていた。
右袖、左肩、左肩甲骨、右腰がどうやら残っている。それ以外はほとんど全て失われていた。
「う、うあ゛あぁあああん! あ゛あぁああああん……うぅぇええぇえ~~~~ん!」
キヌクイムシは絹を好んで食べる。
絹は高級素材であり、魔力との親和性が高い事から、マジックアイテムとして貴族や富裕層に好まれた。
魔力を織り込んで様々な特殊効果を発揮するのだ。
近衛騎士団の制服も例外ではない。特に物理防御、魔法防御に特化した特注品である。
無論、庶民に手が出せる値段ではない。
キヌクイムシは魔力を帯びた絹が特に好物であり、絹以外の部分、ベルトや靴は無傷である。
下着も絹のようだがマジックアイテムではないようで、かなりの劣化はあるものの一応原形を留めていた。
逆にビンセントのような一般兵士の服は綿や化繊が使われ、キヌクイムシからすれば食えなくはない、程度のモノらしい。
イザベラを助けるときに少し粘液が付いたが、影響はない。
もちろん、長期的には肉体も浸食されてしまうが、そのためには少なくとも三日以上の時間が必要だと記事にはあった。
キヌクイムシは垢や角質も好んで食べるため、イザベラの肌はとても艶やかだ。
彼女の全身にまとわりついた白っぽい粘液は、殺菌、保湿、美肌効果に優れ、継続的な塗布が更に効果を高めるという。
しかし、本人は全く気が付いていないようではある。
「目の保養になって良かったなー、ブルースー」
「まぁ、知らなければ確かに気持ち悪いですよ。俺も知りませんでしたから」
目の保養になったことは否定できない。
ビンセントは自分のジャケットをイザベラの肩にかけた。
「大丈夫ですよ、何の心配もありません。あの蟲は新しい健康法に使われていんです。美容に良いそうですよ」
ビンセントはタオルでイザベラの顔に付いた粘液を拭った。
「触手イヤ……もう触手はイヤぁ……ふぇ……うえぇええええええええん!」
イザベラはビンセントに抱き着くと、滝のように涙を流した。
「怖かった……! 怖かったよう……! ブルースが来てくれなかったら、私、私……うああぁああああん!」
正体を知っているからこそ笑い話だが、確かに得体の知れない怪物ではある。
素晴らしい触手健康法。
人体に一切無害で副作用は報告されず。
このワームを養殖して化粧品を作れば、大富豪間違い無し。
問題は養殖方法が確立されていないことだ。このまま持ち帰ってもすぐに干からびるか溶けてしまう。
「馬車に戻りましょうか。あの中は安全です」
イザベラは震えて足腰が立たず、上手く立ち上がれないので、やむを得ず抱き抱えて歩くことになる。
「こいつ、わたしよりずっとお姫様してるよなー。お姫様はわたしなんだぞー」
何かに気づいたようで、サラは川に向き直る。
そのまま川面に手を突っ込んだ。
「これ、タマゴかなー?」
サラの手には褐色をした、数個のビー玉状の物体が載っていた。
◆ ◆ ◆
「おーい、イザベラー」
サラが馬車の荷台に頬杖をつきながら言った。
「水はそこなー」
傍らのバケツを指差す。ビンセントが清潔な水を汲んできてくれたのだ。
「あうっ……あ゛……あり……が……ぐすっ……」
サラは呆れたように肩を落とした。
「ま、ゆっくりなー」
サラは踵を返したが、数歩歩くと立ち止まった。
顔だけをこちらへと向ける。
「明日はカスタネだからなー。……もう、最後くらいさー。正直になっても……いいからなー?」
そのままサラは焚き火に向かった。
「…………?」
沐浴を済ませる。
粘液はあっさりと落ちた。
「……ぐすん」
イザベラの肌はかつてない程に健康的ではあるが、もちろん本人は気付かない。
馬車の幌に入り、新しい服に着替える。
ウィンドミルが手配したもので、王立学院の制服だ。
グリーンのチェック柄ミニスカートに、白いブラウスにはフリルとリボンタイ。ワインレッドのジャケット。
イザベラが慣れ親しんだ服である。思えば、この服には碌な思い出がない。
予備品らしく、サイズが若干異なる。少しきつい。
「…………」
古い服は、もう服の体をなしていないボロ布であった。
「……この私が、あそこまで取り乱すなんてね……」
足元の雑誌には、自分を襲った怪物の事が事細かに解説されていた。
どうも基本的に生体には無害だったらしい。
それどころか、新しい健康法として注目されているという。
それが分かっていたのでサラは余裕だったし、カーターに至っては起きてもこなかった。
イザベラだけが必死だったのである。
「……ハァ」
溜息をつく。
役に立たないお嬢様扱いが嫌で手伝いを申し出たにもかかわらず、更に迷惑をかけてしまった。
足手まといだと思われるかもしれない。
イザベラはビンセントのジャケットを手に取った。軍支給の制服で、とにかく安さと生産性を重視したデザイン。
助けられた時に肩にかけてくれたものだ。
「服……汚しちゃった……」
内側に少し粘液が付いているのが、乾燥して白く固まっていた。
さすがにこのまま返す訳にはいかない。
硬く絞った濡れタオルで粘液を拭いだすと、割と簡単に落ちる。
「……ん?」
胸ポケットに何か入っていた。
イザベラが瓶の王冠で自作した勲章である。
「持っていてくれたの……」
思わず笑顔になった。
彼に危機を救われたのは、これで何度目だろう。
「もう一つ、勲章ね」
元のポケットに勲章を戻そうとしたが、何かに引っかかった。
紙片のようだ。
悪いとは思ったが、どうしても気になり、そっと引き出してみる。
「これって……」
カストリ雑誌のグラビアページを破り取ったものだった。
そっと広げてみる。
イザベラは目をむいた。
「あっ……えっ? えっ?」
しばらく紙片を眺めた後、イザベラは震える手で紙片をポケットに戻した。
「ら、らめぇえええぇえええええッ!! 私のパパは伯爵なのほおおぉぉおお!!」
◆ ◆ ◆
「な、何だ!?」
森中に奇声が響き、カーターが飛び起きた。
「敵襲かッ!?」
対魔ライフルを構えるが、森の中は静かなままだ。
「何か居るぞ! 気をつけろ!」
しかし結局、何事もなく朝を迎えた。
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