第51話 許されざるもの
カーターは一連のトレーニングもそこそこに、大きないびきを立てて寝てしまった。
この森はあまりにも静かすぎるので、他に聞こえる音は焚火の音だけだ。
「キヌクイムシって知ってるー?」
サラが手元の本から顔を上げてビンセントを見る。
「いえ……何ですかそれは」
「扁形動物の一種で、水辺に棲んでるんだってー。魔力性の絹が大好物らしいよー」
聞きなれない言葉だ。
「へえ……何ですか、そのヘンケイ動物って」
「プラナリアとか、コウガイビルとかだなー。最大のもので十メートルだってー。モンスターだなー」
「そんなのがいるんですか」
ビンセントはプラナリアもコウガイビルも知らなかったが、適当に相槌を打っていた。あまり興味がなかったのだ。
とはいえ、見たこと自体は必ずあるはずだという。気にも留めなかっただけだ。
プラナリアは水棲で川や池で泳ぐ小さな軟体動物だし、コウガイビルは雨上がりによく道端に落ちている、一風変わったミミズに似た姿の生き物だ。ただし、ミミズやヒルと分類上は異なる。
「水辺に暮らしていて、粘液を出しながら、その上を見えない鞭毛で動くんだー。すごいのが再生能力で、半分に切ると二匹に、百に細切れにすると百匹に増えちゃうんだー」
「何を読んでいるんですか?」
「新しい健康法だってー。すっごい美容効果で、お肌がツヤツヤになるんだってー」
「サラさんはまだお若いですから、気にすることもないでしょう」
「ぶー。乙女心のわからん奴だなー」
ビンセントはサラの読んでいる本に目を落とした。
労働者向けのカストリ雑誌である。
『驚異の再生能力! 再生医療のヒントか』
『再生の秘密を解明すれば、戦傷者の福音たりうる』
『分泌液に美肌効果も』
『死滅した細胞を食らい、健康な細胞は残す』
『絹製品の取り扱いには注意が必要、特に魔力混紡は要注意』
一見真面目そうな記述が続く。
「へえ……俺の火傷も治りますかね?」
サラは少し肩を落とす。
「お前の傷はわたしの魔法でも治らないもんなー。すでに塞がった傷は治せないみたいだ
なー」
「魔法も決して万能ではない、と」
とはいえ、何度も助けられた超強力な魔法であることは間違いない。
回復魔法がなければ、ビンセントはとっくに死んでいる。
サラはページをめくる。特集記事は続いていた。
『ついに捉えた! 服だけを溶かす触手生物!』の見出しが目に入る。
大きく描かれた半裸の女性のイラスト。服はボロボロに溶かされている。
記事の後半はエンタメ性に特化していた。
『絹の服だけを溶かす都合の良い溶解液を出す、我らが待ち望んだモンスター!』
『好事家に高値で取引されている! たった数匹で家を建てた男!』
『これで男の夢が叶う! 夫婦円満の必需品?』
『発見者に勲章を授与すべき』
『養殖は可能か!?』
『生息地はカスタネやボルドック、山師集まる?』
『魔力を込めた絹は一瞬でボロボロ!』
成人の労働者向け雑誌なので当然といえば当然だが、あまり教育上よろしくない。
百歩譲って『女性エイプル』のような婦人向けならいざ知らず。
子供が少ない地域だったらしく、立ち寄った商店では『少国民の良い子』や『こどもエイプル』といった、良い子向けの雑誌は置いていなかったのだ。
もっとも、ビンセントの妹もその手の雑誌はあまり読んではいなかった。
何気なく家にあった少女雑誌を開くと、あまりの内容の過激さに「エロ本か!」と言って没収したことはある。哀れ、亡国の民よ。
ビンセントはサラから雑誌を取り上げた。子供が読んで良い内容ではない。ましてや王族に。
「あー、何するんだよー」
サラは眉間に皺を寄せ、口を尖らせる。
「お前も欲しいんだろー? 服だけ溶かすんだぞー? 男の夢じゃないのかー?」
「男の夢だからこそ、女の子が見てはいけません。俺がイザベラさんに叱られます」
イザベラが読めば、顔を真赤にしてサーベルで雑誌を切り刻むだろう。
そして、なぜかビンセントが怒られるのだ。
「そういえばイザベラのやつ、遅いなー」
時計を見ると、既に三十分経っている。
四人分の食器を洗うにしては、時間がかかり過ぎていた。
「キヌクイムシに襲われてたら、お前も嬉しいだろー? 何とか言えよー」
サラが肘で小突いてくる。
「記事によると、すごく珍しいみたいですよ。そうそうお目に掛かれるものではないでしょう」
「生息地はこの辺りだよー」
「こんなモノはただの健康法です。問題は転倒事故とか急病、あるいは他の動物や人間に襲われている可能性です。様子を見てきましょう」
ビンセントが立ちあがると、サラも立ち上がった。
「わたしも見に行こーっと」
◆ ◆ ◆
ぬめぬめとした触手が全身にまとわり付く。
手に、足に、腰に。
「ちょっ、な、何なんだ! は、放せっ!」
サーベルでいとも簡単に切れるが、全く堪える様子はない。
「何っ? 再生した?」
切られた破片が動き出し、更にまとわりついてくる。
「このっ! このっ!」
イザベラは必死にサーベルを振り回した。
しかしサーベルも粘液に汚れ、徐々に切れ味が鈍っていく。柄の部分にまで粘液まみれだ。
「あっ!」
手が滑り、勢い余ったサーベルが飛んでいく。河原に落ちて乾いた音を立てた。
「し、しまった……!」
イザベラは手足を振って抵抗するが、その手足も触手に絡めとられる。
力はそれほどでもないが、なにせ数が多い。
加えて、粘液で滑るので立ち上がる事すらままならない。
「……えっ?」
ジャケットの肩部分が、ずるりと溶け落ちた。
「溶けて……る……?」
続いて膝が。
肘が。
「そ、そんな……」
襟元まで留めたはずのボタンが次々と落ち、下着が露になる。
大きく空いた穴から、ぬめぬめとした触手が入り込み、直接へその辺りをまさぐった。
「ひ、ひいっ……!」
全身に鳥肌が立つ。
悪寒が収まらない。
このままでは得体の知れない怪物に、全身を凌辱の上、消化吸収されてしまう。
皮膚が解け、骨に僅かな肉がまとわりついただけの自分自身を想像してしまう。
食べ残しの死体は腐りながら腐臭を放ち、おびただしい蠅がたかっている……そんなイメージが鮮明に脳裏をよぎった。
「や……やだ……たすけて……」
恐怖がイザベラの意識を支配した。頭から血が引いていくのがよくわかる。
「え? やだっ、ちょっと、そこはダメっ!!」
もちろん言葉など通じるはずもなく、触手は留まる所を知らない。
「あふっ……」
同時に顔に触手がへばり付いた。
粘液の僅かにアンモニアを含んだ異様な匂いが鼻孔に満ちた。
「い……いやあぁあああぁああぁああ!!!!」
悲鳴が夜の森にこだました。
「大丈夫ですか、イザベラさん」
ビンセントが駆け寄ってくる。
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