第50話 闇に蠢く その二

 食事と言っても大したものは作れない。

 ウィンドミルが持ってきた差し入れにあったスパゲティと、缶詰のソースが夕食だ。

 食材の調達ができるような店は無く、狩りをしてみようにも近くには動物の気配がない。


 静かな、実に静かな森である。


「サラさん、口の周りベトベトっすよ」


 カーターはサラの口の周りに付いたソースをハンカチで拭う。

 ビンセントはイザベラがコーヒーを飲み干すのを見計らって食器を取り上げた。


「洗ってきます」


「ま、待て。私がやる」


「この程度ならすぐに終わりますから、イザベラさんは休んでください」


「わ、私が洗い物もできないと思っているのか! できるさ! できるとも!」


 理由はわからないが、なぜか必死になっている。

 なぜ貴族が洗い物をするのだろうか。家事など使用人がするものだ。


「そんな事は思っていませんけど……」


「だったら私がやる!」


 食器は全てアルマイトであり、落としても割れる心配はない。

 しつこそうなので任せることにした。

 仮に不完全であっても、イザベラが寝た後で、自分でもう一度やれば良い。


「それでは、……お願いします。何かあったらすぐに呼んでください」


 嬉々としてイザベラは川に向かう。


「……何なんでしょう」


 サラが袋から干物を取り出してかじりつく。


「いい所見せたいんだろー」


「それでなぜ食器を?」


「あれかなー。お嬢様扱いしないでー、みたいなー?」


「実際お嬢様ですよね? 貴族が洗い物なんて、おかしいですよ。聞いたこともない」


 何やら思うところがあるのだろう。しかし、何を考えているのかさっぱりわからない。

 ここの所奇行が目立つが、やはり疲れもあるのだろう。


「相棒、せっかくだからトレーニングと行こうぜ。お前は筋肉が足りねぇんだ」


 カーターが大胸筋を強調する。

 お前は脳が足りないんだと言いたくなるが、カーターは学士である。エリートである。

 プロテイン精製に関する研究の第一人者だ。

『粗悪品のプロテインしかない、ならば自分で良いのを作ろう!』という、狂気じみた理由であっても称号は称号。


「もう寝ろ」


 森は静かだ。通常ではあり得ないほどに。


「火炎放射器……ねぇ。話してはいないはずなんだけどな」


 ビンセントは唇を噛む。

 思い当たるふしがあるとすれば、サカルマでの一件だ。

 酔って記憶がない時に話していた可能性も……


「いや、ないか」


「なにを一人でぶつぶつ言ってるんだー?」


「何でもないですよ、なんでも」


 年端もいかない女の子に話すようなことではない。


 ◆ ◆ ◆ 


 イザベラは河原の石の上にしゃがみ込むと、食器を水に浸ける。


「私だって洗い物くらいできるのだ。メイドたちの仕事をちょろっと見ていたからな」


 布巾代わりのタオルでこする。一応、汚れは落ちるには落ちている。しかし、効率が悪い。


「くっ。『合成洗剤』を使えば、こんなもの一瞬で……!」


 数年前から富裕層の屋敷で使われ出した『合成洗剤』は、石鹸よりも強力な洗浄力がある。

もっとも、本来は石鹸の材料である動物性油脂の不足から、苦肉の策として使われだしたものだ。

しかし、皮肉にも新しい物好きの貴族や資産家の家庭から普及が進んでいる。


「私にだって家事くらいできるのだ……! 役立たずではない! ……おっと」


 浸けておいた皿が浮かび上がり、流れだす。

 イザベラは手を伸ばして掴むが、バランスを崩してしまった。ただでさえ石の上はバランスが悪い。


「あっ――」


 大きな水しぶきを上げでイザベラは川に落ちる。

 深さは三十センチ程であり、流される心配は無いのだが、闇の中で水に落ちると人間は必ず混乱するものだ。

 イザベラは必死に手を伸ばし、『それ』を掴んだ。


「ひっ……?」


 手に触れたのは、柔らかく粘液質の、手首よりやや細い物体った。

 不気味な感触に思わず手を放す。


「な……なんだ?」


 イザベラは浅い川底に座り込むと、自分の手を見る。透明な粘液が糸を引いた。

 全身が総毛立ち、心臓が早鐘を打った。


「……何かいる……!?」


 イザベラは火属性魔法で辺りを照らそうとした。しかし、上手く行かない。

 火を操る魔法の性質上、水の多い場所では使いづらく、ましてや今のように冷静さを失っている状況ではなおさらである。

 魔法を使うには集中力が必要だ。


「あ……上がらなきゃ」


 震える身体をどうにか奮い立たせ、右足を踏み出す。


「えっ?」


 川底の石ではなく、先ほどと同じ粘液質の『何か』を踏み、またもイザベラは転倒した。

 大きな飛沫を上げて尻もちをつく。


「ひっ……?」


 川底は石が転がっているはずである。

 この感触は……決して石などではない。石であるはずがない。石が動くなんてあり得ないのだ。


 水底から、『それ』が姿を現す。

 パッと見は巨大なイカの足に似ているが、吸盤が無い。

 ぬらぬらとした粘液で覆われ、星明りを浴びて光っている。


「な、何だこれ……何だこれッ!!」


 水面から現れた触手のようなモノは、その数十五本以上。


「くっ、来るな!」


 イザベラはサーベルを鞘から引き抜こうとするが、手が言う事を聞かない。どうにか抜くが、切っ先が震えていた。

 全周完全に包囲されていた。

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