第三部 王立学院カスタネ保養所に行ったら、まるで異世界! 底辺は肩身が狭い。

第一章 静かな森の魔物

第49話 闇に蠢く その一

「なぁ、相棒」


「どうした?」


 カーターが珍しく浮かない顔をしている。


「あのさ、『兄貴とオレの優雅なる日々』読み返してたんだけどさ」


「それで?」


 どうでも良かった。

 いやむしろ、この話題にはあまり触れて欲しくない。


「オレ、最初に読んだ時……うっかり読み飛ばしてたんだけど」


「ふぅん」


 ページをうっかり二枚一緒にめくったのだろう。よくあることだ。

 しかし、どうでも良かった。


「兄貴の身長が一八五センチ、これはいい」


「へぇ」


 本当に、どうでも良かった。


「体重五十九キロって……おかしくね?」


「なんで?」


「ガリだろ」


「うん」


 沈黙。


 蹄の音だけが薄暗い森に響いていた。

 手綱はビンセントが握っている。


「つまんねーッ!! クソだな、この本ッ!!」


「そうだな、男しか出てこないもんな」


 ふて腐れたカーターは荷台に転がる。


「あ~あ! オレ様の時間を返せってんだ! どこのクソ作家だよ、ウィンターソンとかいうバカは!!」


 イザベラはなぜか青い顔をしていた。


「あれ? どうかしたんスか?」


「し、知らないっ! マーガレット・ウィンターソンなんて貴族、会ったこともない! わ、私には関係ないっ!」


「え? ウィンターソンのバカは貴族なんすか? どうりで主人公もガリな訳だ! 筋肉が足りねーんだ、筋肉が! だからつまんねーんだよ、このクソ小説はッ!」


 あまりにもひどい手のひら返しだった。

 ビンセントですらウィンターソンに同情してしまう。

 これが本を常にポケットに入れて、周りに読破を強要してきた男の姿だろうか。

 ビリビリに破って作者に送りつけるという、極悪非道な嫌がらせをしないかと心配になる。

 しかし、それでもどちらかと言えば、どうでも良かった。


 カーターは深く、深く溜息をついた。


「……相棒、この辺にしようぜ。オレはもう疲れた。やってらんねぇよ」


「お前、今日は全然御者やってないだろ」


 ビンセントは馬車を停める。

 とはいえ、地図によれば水場も近いようだ。場所としては悪くない。


 今夜は野宿。

 そして、おそらくカスタネを目指すこの旅最後の夜だ。


 ◆ ◆ ◆


 陽はとっくに落ち、残照だけがかろうじて辺りを照らす。

 ボルドックからカスタネへ向かう街道にあるこの森は、ビンセント一行のほかに人の気配はない。

 馬車の傍らではまだらの牡馬『エクスペンダブル』が勝手気ままに草を食んでいる。

 天気は晴れ。どうやら雨の心配はないようだ。


 明日にはカスタネに着く。


「じゃあ、俺は薪を集めます」


 ビンセントが森の奥へ消える。


「オレは水汲みに」


 カーターは鍋を掴む。

 二人を見送り、サラとイザベラは馬車の傍に腰を下ろした。


「お疲れではありませんか、サラ様」


「平気だもーん」


 サラは手近な石を手に取ると、積み木のように重ねだした。

 イザベラも子供の頃、積み木遊びはよくやったが、このくらいの歳ではほとんど触らなくなった。


「サラ様。……その、ジョージ王とはどんな人物だったのですか?」


「んーとねー。わたしの父親なんだよー」


「それはわかるのですが……」


 エイプル王国内での一般的な認識としては、出身地不明の流民から国王にまで上り詰めた伝説級の立身出世を成し遂げた名君、世界の構造そのものを変えた稀代の発明家とされる。


「だって他にないんだよなー。わたしにとっては世界に一人の父様だし、よその家の父親と比べた事ないもんなー。よそはよそ、うちはうちだぞー」


「その、何か聞いていませんか? 出身地とか」


 サラは、また石を積み上げる。


「わたしが大きくなったら詳しく話してくれるって約束だったんだけどなー。『ニホン』って知ってるー?」


「いいえ……」


「この話、前にブルースたちともしたけど、お前その時おしっこ我慢しててそれどころじゃなかったろー。山より高いビルとか、一人一台電話をポケットに入れて持ち歩くとか、夢みたいな話はしてたけどなー」


 イザベラにとって、大切なのはそこではなかった。

 身元不明の流民、すなわち平民以下の最下層身分の男が、この国の当時の王女と結ばれたという先例である。


 ――身分の低い者が。身分の高い者と。


「つまり……」


「薪です」


「うわっ!」


 イザベラは飛び上がった。いつの間にかビンセントが戻ってきたのだ。


「な、なんだ、脅かすな! 急に話しかけるとは何事だ!」


「えっ? 何度か声をかけましたよ」


 ビンセントはお構いなしに『かまど』に薪を盛り付ける。サラが積んでいた石は、かまどだったのだ。


 イザベラは頭を抱えた。

 自分は何もしなかったばかりか、仕える主君に労働をさせてしまったのである。

 カーターも戻り、鍋をかまどにセットする。

 ビンセントがポケットからマッチを取り出した。


「ま、待て! 私がやる!」


「別にいいですよ、すぐですから」


「だってほら! マッチだって無くなると困るだろう!」


「ウィンドミルさんにたくさんもらいましたよ。危ないので離れてください」


 ビンセントはマッチを擦ると、あっという間に火を起こした。

 さすが薪屋の息子である。


「雨が続きましたからね、けっこう湿っています。煙が出ますから気を付けてくださいね」


「……魔法を使えば簡単なのに」


 ビンセントはイザベラに振り向くと、首をかしげる。


「そんなの、もったいないですよ」


 あっという間に火が起こる。サラがぺちぺちと拍手した。


「さすが薪屋の息子だなー」


「ビンセント薪店……」



 ――ねぇ、杉と松はどちらがいいの?


 ――用途によるだろ? 焚付なら杉、火力重視なら松かな。


 ――詳しいのね! さすが薪屋さん!


 ――ハッハッハ、キミももう薪屋だよ。おばかさん!


 ――うふっ、まだまだ勉強しなきゃ!


 ――イザベラ。俺のハートも、松みたいに燃えてるぜ……?


 ――えっ?


 ――お前が火を付けたんだ……これが本当の、火属性魔法さ……!


 ――ブルース……! 私のハートもあなたの火炎放射器で着火したみたい……!


 ――危険なナパームだ、お前は……! 俺は、お前にちんこが無くたって構いやしない!




「――さん、できましたよ。どうしたんですか? 大丈夫ですか?」


「ファッ!? 火炎放射器!」


「えっ?」


 ビンセントのひどく心配そうな声で、イザベラは現実に帰る。

 意識が飛んでいたらしい。気がつけば食事の準備も済んでいる。

 ビンセントが、サラが、カーターが、ものすごく心配そうな視線を向けてきた。

 サラがイザベラの額に手を当てる。


「……大丈夫かー? ごはん、食べられそうかー?」


 カーターが腕組みをして俯く。ひどく真剣な表情だ。


「色々あったからな。疲れたんだ。相棒、サラさんの風邪薬がまだあったろ」


「ああ、今持ってくる」


 ビンセントが立ち上がって馬車へ向かおうとする。


「ち、違う、そういうのじゃない! 何ともないんだッ! 食事にするぞ! ビンセント、いいから座れッ!」

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