第48話 誰がために
「相変わらずすごいですね、すっかり元通りです」
ビンセントは、手を握りしめ、肩をぐるぐると回す。
剣で貫かれた腕も、なんの痛みもない。思い通りに動かせる。
鏡を覗けば腫れ上がって別人のようになっていた顔も元通りだ。
親知らずは抜けたままだったが。
これが、王家の血筋だけが扱える特別な魔法。
しかし、エイプル王国に使い手は目の前の少女だけだ。
医学の常識を覆す奇跡は、制限も大きい。
「どうだー、すごいだろー」
サラが両手を腰に当て、胸を張る。
「無理をさせて、すみません」
ビンセントは深々と頭を下げる。
本来、回復魔法を受けられるのは地位の高い貴族か、外国の王族くらいなのだ。
ビンセントのような平民で回復魔法を受けた者は、歴史上存在しないのではないだろうか。
「仕方がないよー、お前を治さないとイザベラが泣くもんなー」
「案外泣き虫ですからね、あの人……おっと失礼」
思わず口が滑った。
当の本人は柱の陰からこちらを覗いている。怒らせてしまっただろうか。
「じゃー、あと頼むなー」
サラは外に駆け出し、イザベラが歩み寄る。
その精悍な顔つきは、まるで何事も無かったかのように、いつもと同じ。
凛とした表情と話し方は、素直に格好良いと思える。
「バカめ。オルクごときに苦戦するようでは困る。所詮あいつは、あの程度の男なのだ」
そう言うとイザベラはふん、と鼻を鳴らす。
「なんか、すいません……」
確かに、情けない姿を晒してしまった。
しかし、魔法の使えない平民が、魔法使い相手に銃無しで、かつ相手を殺さないように立ち向かう方法は、殆ど無いだろう。
イザベラは、唇をきゅっと結ぶと、ビンセントを見据えた。
「ビンセント。跪け」
「え? はい」
言われるままに膝をつく。
イザベラはポケットから金属製の光る何かを取り出すと、ビンセントの胸に取り付ける。
「これは……」
サイダーの王冠に穴を開け、イザベラの髪を縛っていたリボンを通したものだ。
胸ポケットに留めた金具はヘアピンである。
「ブルース・ビンセント一等兵。勇敢な行いと戦功を称え、イザベラ勲章を与える」
「え……これを……俺に……」
イザベラは少し顔を赤くした。ちょっと恥ずかしいのだろうか。
わからないではない。自作勲章は恥ずかしいだろう。
「ち、ちなみにイザベラ勲章というのは今作ったものだ。国の正式な勲章ではない。年金も出ないからな」
イザベラは言葉を区切り、少しだけ俯く。
「……お前ほど勇敢な男を、私は知らん」
この時、ビンセントの中で何かが大きく動いた。
灰色の世界に色が付いたような、そんな感覚。胸の奥から暖かいものが湧き上がってくるような、こんな感触は久しく忘れていたものだ。
イザベラの口調が柔らかくなった。
「でも、もうあんな無茶は――」
「来たぜ! 相棒!」
イザベラの言葉を遮ってカーターの大声が響いた。
心配されたような気もする。しかし、ビンセントは聞こえないふりをした。
これからも戦いは続くだろう。魔法も剣術も使えず、格闘も心許ない自分に取れる戦法は限られる。
そして、その大半はリスクを伴うものだ。
しかし、ビンセントは何だってやる気持ちになっていた。
これまで彼にとって、戦いとは単に『作業』に過ぎず、否応なしにやらなければならないものであった。
しかし、今は少し違う。イザベラ、カーター、サラに危険が及ぶのがどうしても我慢ならない。
「ありがとう……か」
誰にも聞こえないように小さな声で呟く。
「ん? 何か言ったか」
「いいえ、何も」
ビンセントは自分の髪に触れる。先ほどまで包帯から飛び出ていたあたりだ。
穏やかな笑みがこぼれる。
ビンセントはそれが周囲にばれないよう、下を向いた。
「何だって、やってやるさ」
ビンセントは報われたのである。
ウィンドミル監察官が手配してくれた馬車が届いた。
今度はある程度ちゃんとした幌馬車で、エクスペンダブルが曳いている。
「ウヒヒ! ウホッ!」
馬の奇妙な笑い声が響いた。
馬車にはカーターがウィンドミルに頼んでくれた毛布、着替え、保存食、補充の弾などが積まれている。
◇ ◇ ◇
空はどこまでも青く、澄んでいた。爽やかで優しい風が吹く。
「雨はあがったようだな。行くぞ、ビンセント」
いつもの調子でイザベラが言う。
「ええ、今行きます」
ビンセントは勲章をポケットに大切にしまう。
靴紐を結びなおすと、馬車に乗り込んだ。
目的地カスタネはもうすぐだ。
カスタネから南に進めば、中立国アリクアムとの国境。北に進めば、最大の戦場、リーチェ。
王女とその騎士を待ち受ける、大きな分岐点がそこにある。
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