第47話 わたしのカトー

「この家の主人には、幾らか握らせて旅行に行ってもらいました。ご自由にお使いください」


 近所の農家の土間である。


 政府のエージェントは、ウィンドミル監察官と名乗った。

 地方貴族の不正を調査する役人である。フルメントムで面識はあったが、名前を聞くのは初めてだ。

 彼とイザベラ、カーターが粗末なテーブルで向かい合う。

 奥の二間では、サラとビンセントがそれぞれ眠っているのだ。


「オルク子爵ですが、婦女暴行未遂と反逆罪での立件は困難です。なにせ、お二人は現在この国にいないことになっていますのでね」


 そもそも、衛兵隊は貴族に対して及び腰である。

 イザベラとカーターの顔が曇った。


「とまあ、そのままとは行きませんから、脱税の証拠でもでっち上げておきましょうか」


 偽物とはいえ、脱税の証拠があれば取り調べや事情聴取で長期間の拘束は免れない。

 ウィンドミルは話題を変えた。


「王都は平穏を取り戻しています。一応、表面上はクーデターではなく、通常の政権交代という事になっていますからね。組閣人事で無茶苦茶やりそうで、それが心配ですよ。それよりも民衆としては停戦の方が重要ですから、活気に満ちたものです」


「…………」


「反乱軍の鎮圧に向けた準備は水面下で進行中です。しかし中枢を掌握されており、準備は遅々として進まないのが現状です。当面チェンバレン様には、このまま殿下の護衛をしつつ、引き続きカスタネに向かっていただきます」


 ウィンドミル監察官は、王都での様子を語る。

 しかし、イザベラの心中は穏やかではない。


「ウィンドミル」


「はい」


「もう、いいか? あとは、カーターに頼みたいんだが」


「ええ、あとは細々とした連絡ですので」


「すまん。カーター、後を頼む」


「うっす」


 イザベラは立ち上がると、奥の間の戸を開ける。

 中に入ると、後ろ手に戸を閉めた。


 ◇ ◇ ◇


 粗末なベッドの上には、全身を包帯でぐるぐる巻きにされたビンセントが眠っている。骨折箇所には添え木が当てられていた。

 イザベラは自分が手当てするのだと主張したが、カーターに制止されてしまったのだ。


『できるんですかい? 下手なやり方だと、むしろ悪化しますぜ』


 それでもどうにか頼み込み、手足の包帯はイザベラが巻いた。

 どう見ても不格好であり、形だけ見れば確かにカーターに任せたほうが良かったかもしれない。



 イザベラはベッド横のスツールに腰を下ろした。


「…………」


 包帯で完全に覆われた顔は見えないが、胸が規則的に上下している。ウィンドミルが持ってきた薬が効いているのだろう。

 包帯で巻かれた手を握る。


「無茶しちゃって……バカ……」


 返事は無い。


「バカッ! バカッ! バカッ! バカッ! うんこたれっ!」


 返事をするかのように、ビンセントの指が少しだけ動いた。

 それを見たイザベラの頬に涙が伝い落ちる。

 ほんの一滴。しかし、呼び水にはじゅうぶんだった。

 

「なんで私なんかのためにっ! ほんとバカッ! うああああああぁああん……!」


 ベッドの横に顔を埋め、イザベラは泣いた。

 これほどまでに泣いたことは、赤ん坊の時をのぞいて無いだろう。そう思えるほどに、ただひたすらに泣いた。


 ◇ ◇ ◇


「う……ん……」


「おっと、起こしちまいましたかね、これは失礼」


 いつの間にか眠ってしまったのだろう。カーターがイザベラの肩に毛布を掛けてくれていた。



 目をこすると感触がおかしい。目元がそうとう腫れているようだ。

 カーターはしばらく黙っていたが、おもむろに口を開く。


「あー、その。……もしかして、『私のためにこんな目に』なんて思ってます?」


 カーターも顔に似合わず鋭い男である。


「……ほかに何が? どうやって償えばいいの……どうしたら、許してもらえると思う? そのためなら、私は何だってするつもりよ。何だってね」


 カーターは視線を伏せた。

 悲しそうな、悔しそうな、そんな表情だ。


「相棒の身体には、それは酷い火傷の痕があります」


「えっ」


「イザベラさんには見せたくない、と」


「……そんなの――」


 カーターはかぶりを振った。


「一年前の戦いで、オレを庇って受けた傷です。いいですか? 『ブルース・ビンセントに救われる歴』でいえば、オレのほうが先輩なんすよ」


 カーターは腕、肩、僧帽筋を強調する『モスト・マスキュラー』のポーズをとる。

 カーターが微笑み、磨き上げた歯が光を反射した。


「ぷっ」


 イザベラは思わず吹き出した。真面目な顔をして、なんとマヌケな事を言う男だろか。


「やっと笑いましたね」


「あなたがおかしな事を言うからよ。でも、『ブルース・ビンセントに救われる度』なら、私のほうが上ね。間違いないわ」


 出会った直後に銃撃。砲撃からの落石。廃坑から一緒に這い出したこと。

 チンピラを追っ払ってくれたし、娼婦落ちもせずに済んだ。

 自覚しているだけでもこれだけある。


「えっ」


 カーターは真顔になる。


「そりゃあ、ちょっと過剰ってモンじゃないっすか!? 油断し過ぎっすよ!?」


「仕方ないじゃない! ベストを尽くしたわっ!」


 カーターは頭を抱える。


「クソッ! せっかくオレが『以前はマジで死んだ魚のような目をしていたのに、イザベラさんたちに出会って生気を取り戻しつつある』とか言って良い話にしようと思ってたのにッ! アンタが悪いよ、そりゃあ!」


「う、うるさいわねっ! それでいいじゃない!」


 カーターはそのまま『リラックス・ポーズ』へ。基本の姿勢でただ立っているだけだが、全身の筋肉に満遍なく力を込めている。

 カーターは深呼吸すると、話を続けた。


「イザベラさん。もしアンタが平民を納税装置や、イライラをぶつけるサンドバッグとしか思わないような、そんなクソ貴族だったとしたら、相棒だって知らんぷりしてたか、適当に手を抜いたはずっすよ。ここまで粘る訳がない」


「そ、それって……!」


 胸が高鳴る。しかし、カーターはかぶりを振ると、イザベラに冷たい視線を向けた。


「そんな次元の話じゃねぇ。思い上がんな」


「え……?」


「回復魔法をあてにしていた、という事情があったとしても、痛いのは誰だって嫌なもんです。怒鳴るしか能のない、クソみたいな上官の命令より、女の人かばってボコボコになるほうが、はるかにマシなんでしょうよ」


 淡々と、諭すような口調だった。


「そう……かしら。でも、そういう考え方は好きじゃないわ」


「仕方がありませんや、兵士は消耗品なんです。普通、死に場所は選べない」


「やめて。聞きたくない」


 沈黙。

 時代遅れのランプの灯りだけが、かすかに揺れていた。

 

「でもね……仮にイザベラさんが、その辺の町娘だったとしても、――もちろん平民のですよ、やっぱり相棒は同じように戦ったと思うんです」


「どうしてそう思うの?」


「ホエイだろうとカゼインだろうと、プロテインに変わりないのと同じっすよ。ブルース・ビンセントだろうと、イザベラ・チェンバレンだろうと、人間同士には変わりない。ただ……」


 カーターは唇を噛み、頭を抱えた。


「いや違う。……これはオレの願望だ!」


 震える声で、絞り出すようにカーターは叫んだ。


「リーチェは確かに酷かった。……貴族の言うがままに、盾になって、槍になって、無意味に平民が死んでいくのが当たり前の世界だ……! コイツは、そんな世界で運良く生き残った!」


 カーターの握り拳は震えている。


「アンタや貴族の息子のオレが言っても、いや、オレらだからこそ! そう簡単にコイツの考えは、生き方は変えられない。……貴族も平民も、人間には変わりないっつーのに! オレはどちらにもなりきれねぇ! オレは相棒に、対等な人間として見られているのか、時々不安になっちまう……!」

 

 カーターは顔を見せずに、ターン・ライトしてドアノブに手をかける。


「いつか……想いが届くと良いっすね。イザベラさんも、そのためにもっと筋肉をつけるべきです」


 ドアは閉じ、再び二人っきりだ。


 ◇ ◇ ◇


「簡単に変わらないなら、少しずつ変えていけば良いのよ」


 イザベラは組んだ両手に顎を乗せると、眠り続けるビンセントの顔を覗き込んだ。

 包帯に覆われた顔はやはり見えない。

 包帯から飛び出た髪を優しく撫でる。硬すぎず柔らかすぎず、心地よい手触りだ。

 ビンセントの胸は規則的に上下しており、呼吸も正常。

 意識はないが容体は安定しているようである。


「……ねぇ、起きてる?」


 答えはない。

 しばらくの間、イザベラはビンセントの髪を撫で続けた。


「……聞いてないみたいだから正直に言っちゃうけど……あなたが窓から飛び込んで来た時、あなたがまるで……子供の頃にママが読み聞かせてくれた、絵本に出てくるカトー様に見えたの」


 カトー様。神話に出てくる半神の英雄であり、子供向けのおとぎ話の常連だ。

 世界中を荒らした魔神ヤマダを倒し、相打ちとなって異世界チキューへと消えたカトー様は、ヤマモト様やタナカ様と並んで多くの人々の信仰を集めていた。

 小説や漫画は言うに及ばず、何度も映画や演劇の題材になっているが、実在の証拠はないとされる。

 カトー様が消えた『チキュー』とは神々の世界であり、また人類の始祖は異界の門を通ってそこから来たという。

 人の魂はそこから来て、死ねばまたそこへ帰るのだと多くの人に信じられていた。


「本当よ。傷だらけで、血まみれで、泥だらけで、それでも負けずに頑張って。最後には囚われのお姫様を助けるの。本当に恰好良かった。……ありがとう、私のカトー様……」


 イザベラはビンセントの髪に口付けすると、部屋を出た。


 ようやく気付く。


「え……筋肉!? ……何かの喩え?」


 しかし、残念ながら言葉通りの意味であろう。

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