第41話 雨にぬれても その三
再びノックの音が響く。ドアが開き、執事の青年が顔を出した。
「お食事の用意が整いました。エイブラハム様がお待ちです。こちらへどうぞ、チェンバレン様」
青年はイザベラ達より少しばかり年上で、スラリとした長身に涼し気な青い瞳の美丈夫だった。
どことなくだが、兄のスティーブに似た雰囲気だ。
しかし、青年はサービスワゴンを押している。クロッシュに隠された料理の詳細は不明だ。
「え、私だけ?」
青年は静かに頷く。
イザベラは視線をサラに向けると、彼女は小さく頷く。
「使用人の皆様は、こちらでお寛ぎください」
◇ ◇ ◇
食堂には長テーブルが置かれ、向かい合わせにイザベラとオルクが掛けていた。
オルクの後ろには、先程の執事の青年が不動で控えている。
「当然ではないですか。彼らは使用人でしょう?」
「それは……そうだが」
イザベラは冷や汗を抑えるのに必死だ。仕えるべき主君を差し置いて晩餐などしているのは、どうも落ち着かない。
「彼らはの食事は届けさせましたのでご心配なく。では、乾杯」
「乾杯」
血のように赤いワインに口を付ける。初めて飲む味だったが、ラベルを見るに高級品には間違いない。
「ムーサ産の八八〇年ものです。ムーサワインはお好きですか?」
オルクはゆっくりとグラスを回し、気取った飲み方をするのだが、どうにも違和感がある。飲み方がおかしい訳ではないのだが、どことなく漂う背伸び感。
「ああ、悪くない。しかし、何やら独特の風味があるな」
香りは一級品だが、ほんの僅かな苦みと、粉っぽさを感じる。
これがムーサワインの特色なのだろうか。
先日はテキーラで失敗したが、ワインであれば問題ないだろう。それでも、一杯でやめておく事にする。
イザベラ・チェンバレンは失敗から学び、成長する女なのだ。
「そうでしょうね。自慢の逸品です」
コース料理は続き、前菜、スープに続いてテーブルに主菜が並ぶ。
「ボルドック産仔牛のグリエです。ここの名産品で、王都からわざわざ食べに来る客もいるのですよ」
「いただこう」
料理それ自体は贅を尽くした最上級のもので、厳選された食材でシェフが腕を振るったことだろう。
サラは何を食べているのだろうか。
あまり変なものを出されているとは思えないが、案外好みにうるさいところがある。
王女という高貴な身分にありながら、平民向けの食事を好むのだ。
周りの家臣は民の生活に触れる慈悲深い行いと思っている節があるが、成長期の子供としては栄養バランス的に疑問符が付くようなものを特に好んだ。
例えば、焼いた挽肉にソースをかけ、パンに挟んだ『ハンバーガー』などだ。父親であるジョージ王のアイデアから生まれたらしい、という事情もあるのだろうが、基本的には平民向けの料理だ。
「…………」
しかし、出て来る料理自体は大したもの。この場にビンセントたちが一緒であれば、さぞや素晴らしい晩餐になっただろう。
「彼らの事は心配には及びませんよ。ええ、イザベラ様の心配は、もう必要ないのです。彼らには
「……何を言っている?」
視界が歪む。平衡感覚がおかしい。
一杯しか飲んでいないのに、もう酔ったというのか。
理由があってイザベラは酒というものを、かれこれ一年間、極力控えていた。
その弊害でアルコールに弱くなっていたのだろうか?
前回は酒で失敗したとはいえ、これはあの時ほど強くはないはずだ。
否。
「オルク……貴様……ワインに……」
ワインに感じた苦みと粉っぽさ。
自分の迂闊さを悔いながら、視界が歪み、イザベラの意識は深い闇の中へ沈んでいく。
◆ ◆ ◆
ビンセントは、銃剣を抜き、ゆっくりと缶詰に突き立てる。深く突き刺しすぎないように、缶を回しながら何度も、何度も。
缶切りがあれば良いのだが一つしかなく、今はサラが使っているのだ。
「客に出す食事がこれとは、失礼なやつだぜ」
カーターは缶にかじりついている。歯で開けるつもりのようだ。正直、いい加減にしてほしい。ビンセントは銃剣をカーターに渡そうとした。
「…………」
一瞬考え、銃剣ではなく今開けた缶を渡す。馬鹿力で無理矢理刺して、中身が飛び散る恐れがあったからだ。
缶切りをしきりに動かしながらサラが言う。
「ブルースー。薪屋なんてやめて缶詰バーを開くといいぞー。わたしが毎日行ってやるからなー」
ビンセントの実家の薪屋は、プロパンガスの普及に押されて年々売り上げが下がっている。
軍への納入があるため、現在は良くても将来はわからない。
復員後に転職は十分選択肢に入る。少なくとも、現在と同じ業態では先細りなのは間違いない。
「缶詰バーとは、また斬新な商売を……」
ビンセントが知る限り、エイプル王国内にそのような業態の店は無かった。
しかし、サラが言うのであれば上手く行くかも……と一瞬思ってしまった時、ふとイザベラの顔が浮かんだ。
彼女はサラの言う事をほぼ無条件に信じてしまう。王女に仕える騎士見習いとしては良いのかもしれないが、卓越した頭脳を持つとはいえサラは子供。
意外に精神年齢が近いのかもしれない。伊達にうんこちんこ連呼してはいない。
年長の女性としてはどうなのだろうか、と疑問符が付く。
「やっぱり、缶切り借りてくるよ」
ついでに偶然を装ってイザベラの様子を見に行くつもりだ。
ドアノブに手を掛けると、違和感を感じる。
「……開かない」
押しても引いても開かない。それどころか、ノブすら回らないのだ。
「馬鹿力で壊したんじゃないのか、相棒!」
「お前と一緒にするなよ」
カーターと交代する。ちなみに、ビンセントの知る限りカーターは二度ドアを壊している。馬鹿力が原因だ。
強度不足の不良品を売りつけたと建具屋に責任を押し付けるあたり、悪質だ。
「……相棒。このドア、魔法でロックされてるぜ。魔力を感じる」
「閉じ込められたなー」
窓の外で、雷鳴が轟いた。
部屋の隅に置かれた石像が動いた。最初は気のせいかと思ったが、よく見ると先ほどとポーズが違う。
はじめはゆっくりとした動きだったが、徐々に早く動き出し、多少ぎこちないが人間と同じように歩き出した。
「ゴーレムだなー」
ゴーレム。石像や粘土像を操る魔法だ。
戦場においては、おもに工兵や輜重兵の補助に使われる。
あまり細かい作業はできず、また術者そのものが少ないため、大陸戦争においては目立った活躍は無かった。
しかし、力が強く、痛みも疲れも感じないため、白兵戦においては侮れない。
室内に閉じ込めた上にゴーレムを動かすとは、どう考えても友好的なもてなしとは言えないだろう。
事実、こちらに掴みかかるような動きをしている。
「カーター、銃は?」
「残念ながら馬車の中だぜ。ドアは開かない、目の前には襲い来るゴーレム、とくれば……ぶっ壊すしかねぇだろ!」
カーターはゴーレムの背後に回り込むと、像の腰をつかんだ。
「おい、カーター!」
腰を痛めそうな戦い方だ。いかにカーターが常人離れした筋力を持つとはいえ、相当な無茶である。
「ナイスバルク・スローーウッ!!」
カーターはゴーレムを持ち上げ、そのまま背後に反り返るように倒れ込む。
ゴーレムは頭から落下し、砕け散った。
「こいつ、中は空洞さ! 見た目ほど重くねぇ。足音でわからなかったか?」
外見は石のように塗装してあるが、破片の断面は白く、針金や木でできたフレームが見える。
「さすがカーターだなー、力こそパワー、って感じだなー」
サラの拍手がぺちぺちと響く。
カーターは両腕の上腕二頭筋を盛り上げ、白い歯を光らせる。
「間違いなくオルクがいかがわしい事考えてるんだよー。イザベラが王立学院にいた頃、あいつから付きまとわれてる、って言ってたもんねー」
胸の高さの窓を壊し、まずはカーターがぬるりと外に這い出した。
ビンセントはサラを抱えると、持ち上げてカーターに渡す。最後にビンセントだ。
「でも、イザベラさんは剣と魔法の達人ですよ! そう簡単に……よっと」
カーターに引き上げてもらう。
「やり方はいくらでもあるよー。お薬で眠らせてゴーカンとかなー」
「おおう」
ビンセントの胸に悪寒が走る。吐き気にも似た嫌悪感。
「ワガママお坊ちゃんらしいな、急ぐぜ相棒!」
「急げー」
サラをおんぶしてビンセントはカーターを追う。
庭を横切り、正面玄関へ向かって走る。大粒の雨が顔を、全身を濡らしていく。
雨は嫌いだ。
いつもいつも雨の中で泥にまみれて、ブルース・ビンセントという人間は否定され続けたのだから。条件反射で卑屈になりそうになる。
三階に一つだけ明かりの点いている部屋が見えた。オルクはそこだろう。おそらくはイザベラも。
玄関ドアを勢いよく開ける。
「マジかよ……」
ホールには、数十体ものゴーレムがひしめいていた。
オルクのゴーレムは、単体ではさほど強くはない。しかし、これだけの数を相手にサラを守りながら戦うのは、無謀と言えた。
「あれ見てー」
サラの指差す先に目を向ける。
◇ ◇ ◇
「本当に、やるんですか……」
庭の片隅。古い家具や材木が乱雑に積まれた一角があった。
オルクは最近家を継いだということで、家具の入れ替えもあったのだろう。あとで使用人に解体させるつもりだったのかもしれない。
その中から、脚が二本折れたテーブルを引っ張り出す。
サラはビンセントの顔を見ずに言った。
「お前が嫌なら、わたしがやるしかないなー」
そう言われると弱い。
いたいけな少女に、それも自分の国の王女にやらせるには、あまりに酷だ。いや、無茶苦茶だ。
とてもじゃないが、やらせられない。
「……やります」
ビンセントは、ポケットから鎮痛剤の子瓶を取り出すと、一気に煽った。
「うぷ……」
フルメントムの闇市で買ったものだ。気休めにはなる。効果が出るのに時間がかかるので、先に飲んでおく必要があった。
カーターと二人でテーブルを庭に運ぶ。脚の中途半端なところは、カーターが調節した。筋肉さまさまだ。
「もう少し右だよー。あー、行き過ぎだー。戻してー」
テーブルをサラの指示に従って設置する。
脚が折れて低いほうにカーターが立つ。すぐ近くにビンセントが座り、背中を丸めて頭を抱えると準備完了だ。
「大丈夫だよー。怪我は治してあげるからー」
回復魔法があるとはいえ、痛いものは痛い。下手をすれば魔法を使われる前に死ぬだろう。しかし、交代できる者はいない。
しかも、もっと厄介な条件がある。
「オルクを殺すな、ってのはキツイです」
殺すだけなら銃で一発なのだ。
「領主が死んだらさすがにもみ消せないし、絶対逃げられないぞー。エイプル衛兵隊を舐めるなよー」
ビンセントの顔から血の気が引いていく。
平民が犯罪被害にあってもとことん手を抜くが、貴族の被害は全力で捜査するのが衛兵隊だ。
「いいか、相棒」
ビンセントは黙って頷いた。舌を噛まないよう、歯を食いしばる。
カーターは膝立ちになると、ビンセントに両手を向け、目を閉じて深呼吸をする。
呪文の詠唱が始まると、両手の先に青い魔法陣が浮かび上がり、複雑な幾何学模様を描き出した。
いつもよりも詠唱が長いのは先に聞いているが、ビンセントにとってはそれ以上に長く感じられる。
魔法陣もより大きくなっていく。
カーターの魔力が集中していくのが、魔力を持たないビンセントにもわかるほどだ。
カーターの両目がかっと開く。
「イクぞッ! 『シールド・
ビンセントに密着状態で、最大出力の防御魔法が展開される。
無詠唱ですらライフル弾を受け止める威力だ。限界まで魔力を集中させ、全力で放てばどうなるかは言わずもがな。
背骨にのしかかる急激な荷重が骨を、内臓を強く圧迫し、全身が悲鳴を上げる。
丸められた身体が、脚の折れたテーブルの、『雨に濡れて摩擦係数の低下した』天板を滑り出し、宙に踊った。
視界から色が消え、時間の流れが遅くなったように感じる。しかし感覚に体が付いてこない。動けない。
――あ、これは死ぬな。
素直にビンセントは思った。
三階の窓ガラスを突き破るのにかかった時間は、実際には一秒にも満たない。
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