第六章 幻影のボルドック
第39話 雨にぬれても その一
「どうするんだよー。次の町までまだ相当あるんだぞー」
「ビンセントがいけないのです! 馬車代をケチるから! バーカ! うんこ!」
サラが口を尖らせると、イザベラが乗っかる。
しかし、ビンセントに言い分が無いではない。
政府のエージェントから受け取った金の大半を、教会の修理費用として渡してしまった以上、節約するのは当然と言えた。
だが、確かに安い馬車を買ったのはビンセントだ。
しかし、ビンセントに馬を売った男は、こうも言った。
馬車はオマケ。
彼は、あくまでも『馬を売った』つもりだったのだ。文句の言いようが無いし、彼はもうフルメントムにも居ないだろう。
馬車の横に座り込んだビンセントは、馬車の折れた車軸を覗き込んでいた。
「相棒、こいつは駄目だぜ」
横からカーターが覗き込む。
「見てみろよ、車軸が完全に腐ってやがる。馬込みで金貨二枚だって? 安すぎるとは思ってたんだ。修理で外した部品を集めて一台でっち上げやがったな」
冗談で言ったのかもしれないが、もしかしたらあり得るかも、というくらいに見事な腐りっぷりである。
ビンセントはカーターに向き直った。
「直らないか」
「無理だね」
即答されてしまった。
近くでは、エクスペンダブルが我関せずと草を食んでいる。
時刻は正午。
馬車が今まで持っただけでも、儲けものかもしれない。
次の町、ボルドックまではまだ半日はかかる。とはいえ、それは馬車が動いての話。徒歩だと日没には間に合わないだろう。そうなれば、宿の手配も難しい。
空を見ると、厚い雲。いつ降り出してもおかしくない。
イザベラが手綱を取った。
「私が行って馬車屋を呼んできます。サラ様たちはここでお待ちを」
乗馬がまともにできるのはイザベラだけだ。ここは頼るしかないだろう。
だが、馬に乗ろうとするイザベラをサラが呼び止めた。
「誰か来るぞー」
後ろから来た馬車は、貴族ご用達の高級なもの。二頭引きのキャリッジタイプだ。
キャリッジは停まると、ドアが開いた。
「どかないか。交通の邪魔だ」
中から声をかけてきたのは、ビンセントと同年代の青年。
身なりがよく、貴族と思われた。身長はビンセントと同じくらい。中肉中背で銀縁の眼鏡をかけている。
「すいません、車軸が折れちゃって」
ビンセントが言うと、青年は露骨に嫌そうな顔をした。
「邪魔だと言っているんだ。そこをどけ」
そう言うとビンセントを冷たい目で睨みつける。嫌いなタイプだ。平民を数字でしか見ない典型的な貴族である。
「どうした、ビンセント」
イザベラが来ると青年は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。直後、きりっと引き締まった顔をする。
「こんな所で会えるとは……お久しぶりです。……イザベラ・チェンバレン嬢」
青年はイザベラの名を告げた。イザベラは微笑するが、その目は笑っていない。誰だっけ、と必死で思い出そうとしているように見えた。
しかし、すぐにいつもの顔に戻る。
「……久しぶりだな、エイブラハム・オルク子爵」
◆ ◆ ◆
「助かったよ、オルク。こっちに帰っていたんだな」
「去年、父が亡くなりましてね。ちょくちょく帰ってはいましたが、あとは卒業式さえ済めば、あとは領地経営に専念できます。学業との両立は大変でしたよ」
「そうだったな」
キャリッジの車内。オルク子爵と向かい合わせに、イザベラとサラが座っていた。
「こちらの子は?」
オルクがサラに目を向ける。
サラが見えないようにイザベラを肘で突いた。
「使用人のセーラです。子爵様」
イザベラはサラに小声で耳打ちする。
「サラ様?」
「黙ってろー」
偽名を名乗るつもりらしい。イザベラは黙る。確かに事情が事情だ。いたずらにサラの正体をばらすより、その方が良いとも思えた。
「そうですか、お行儀のよいお嬢さんだ」
エイブラハム・オルク子爵はボルドックの領主である。この先にある人口千人ほどの小さな町だ。
イザベラとは王立学院の同期である。
学院では目立つタイプではなく、印象はかなり薄かったと言わざるをえない。
しかし、馬車が壊れて難儀していたところに知り合いが通りかかるとは、運が良い。
ボルドックまで行くことを告げると、馬車に乗せてくれたのだ。
「降りだしましたね」
「……ああ」
窓に水滴がいくつも付いている。雨が降り出したようだ。最初はぽつぽつと。しかし、数分で土砂降りになった。
イザベラは外の二人を見る。
御者が二人に合わせて馬車の速度を落としてくれているのだ。
雨に濡れながら、文句も言わずに付いて来ている。俯きながら。肩を落としてとぼとぼと。
「どうしました?」
「あ、いや……」
雨具を入れた背嚢は車内にある。声を掛けてくれればすぐに渡すのだが……。
イザベラはいつかのビンセントとの会話を思い出した。
ビンセントは雨が何よりも嫌いだと言っていた。一番困るとも言っていた。カーターも同様だろう。
しかし、彼らは何も言わない。雨具をよこせとドアを叩く事もしない。
狭くてもいいから乗せろと言うならば、イザベラとしてはやぶさかではなかった。しかし、彼らは何も言わない。黙って付いてくる。
「彼らは雨が好きなようですな。私も雨は好きですよ。みんなそうでしょう?」
「……雨音が、母親の胎内の心音に似ているから?」
いつかビンセントが言っていた事の受け売りだ。だが、そのあとビンセントはこうも続けた。そんなことを言えるのは、安全な屋根と壁に守られた人だけだ、と。
せめて、雨宿りをさせてやれないだろうか。
「なあ、オルク」
「どうしました? もうすぐボルドックですよ」
着いてしまった。申し訳ない気分で一杯だ。
厄介なことに、彼らはイザベラが謝ったとしても、謝られた理由が理解できないだろう。
オルクにとっても、あるいはビンセントにとっても些細な事かもしれないが、イザベラの胸にはしこりが残った。
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