第38話 やきもち
サラの手のひらに山吹色の魔法陣が浮かび上がり、ヨークの全身が光に包まれる。
「ふぅー。ま、宿代としてはボッてるなー」
サラは生暖かい視線をビンセントに向ける。
「すみません、お手を煩わせてしまって」
ヨークの呼吸が安定し、顔色が良くなったようだ。安らかな寝息を立てている。
「ああ、ビクター! 私のビクター! ……うわあああああああああん!!」
ジャスミンはヨークに縋り付き、涙を流して喜びの声を上げる。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございました!! 王女殿下! 本当に……本当に……」
サラはエッヘンと胸を張る。
「衰弱が酷いけど、明日か明後日には目覚めるだろー。ところでブルースー」
「はぁ」
サラが哀れみのたっぷり込められた視線を向けてくる。
「だーからお前はドーテーなんだー。ばかものー」
「…………………………言いましたっけ?」
サラは無言で顔を伏せた。
「……カマかけ、ですか。そうですか」
森中に響く爆発音が響いたのは、この直後のことだ。
「サラさん……ジャスミンさんも。俺から離れないでください」
◆ ◆ ◆
幸い、今夜は風がほとんど無い。
イザベラはありったけの魔力を魔法陣に集め、十発近い火球を湖に撃ち込んだ。
辺りにもうもうと湯気が立ち込める。
温度を確かめる暇もなく、そのまま湖に駆け込んだ。
「くっ……!」
ジャスミンに借りたワンピースが水を吸って重くなる。
躊躇なく脱ぎ捨て、下着姿になった。むしろ、この格好の方が都合が良い。
さらに湖面に魔法を連打。ありったけの蒸気で辺りを満たす。
目当ての場所で立ち止まると、イザベラは仮面の男に向き直り、両手を広げた。
呼吸を整える。
「……わたしよ」
仮面の男が動きを止めた。
なるべくゆっくりと。落ち着いた声で。
セリフは例のマーガレット・ウィンターソンの著作から引用する。
あの本は男しか出てこないが、女性っぽい言い回しに変えれば通じるはずだ。
ターゲットを絞ったコアな女性向けの本であり、仮面の男が読んでいるとは思えない。
「ア……? ア゛ァ……」
猫なで声でイザベラは続けた。
「ねぇ。……来て。あなたが……欲しい。抱いて……お願い」
仮面の男が一歩踏み出す。
「ロ゛……ローズ……なノカ……?」
ローズ。知り合いに同じ名前の女がいる。しかし、関係はわからない。
ローズという名は非常にありふれているからだ。
イザベラが生まれた年の、女の子に付けたい名前ランキング三位かそこらで、両親もイザベラかローズかで最後まで悩んだらしい。
「そうよ。あなたのローズよ。抱きしめて。ねぇ……」
仮面の男が一歩ずつ近づく。
「ア゛ァ……ローズ……帰っテきでクれたノか……」
もう少し。もう少しだ。
「早く来て。……愛してるわ」
仮面の男の動きが止まった。全身が小刻みに震えている。
「……ダったラ……何デ……何でオデを……捨てたんだッ!!」
どうやらセリフ選びを間違ったようだ。
仮面の男は右手を突き出し、魔法陣を召喚した。
「……!」
魔法陣から無数の毒針が顔をのぞかせる。
「ゾんなニ! あノ男が良イのカっ!」
毒針が勢いよく飛び出すのが、スローモーションに見える。
何百本、いや何千本もの毒針がイザベラに突き刺さろうとする――
「こ、これでどうだーーーーーーッ!」
イザベラは炎を『扇状に広げ』る。毒針が炎に突っ込むと、バチバチと無数の火花を上げて燃え上がった。
火属性魔法を防御に使った例は、イザベラが知る限り皆無だ。ぶっつけ本番だったが、うまく行った。
「今だカーターッ!」
『頭上から』響く踏切の音。
月を背負い、カーターの鍛え上げられた肉体が飛び込み台から宙に踊ったかと思うと、さらに捻りを加え右脚を突き出す。
「カーター……バルク・カット・キイーーーーック!!」
「ダサッ!」
カーターの突き出された右脚の先に魔法陣が発生し、仮面の男に命中する瞬間、どぴゅっ、と『足から防御魔法が発動』した。
防御魔法は直径三メートルほどの半球形のフィールドを発生させ、あらゆる物をはじく。
撃ち抜くには一点に対戦車ライフル級のエネルギーが必要だ。
結果、どうなるか。
展開されたシールドの衝撃波と大地に挟まれ、行き場を失くしたエネルギーは対象を……仮面の男を押し潰す。
反動で再び宙を舞ったカーターは、猫のように身体を回転させ、体操選手のように着地した。
そのまま胸や肩を横から強調する『サイドチェスト』のポーズに移る。
大量の水が雨のように降り注ぎ、もう仮面の男は動かない。
「……決まったな」
「技の名前は何とかならんのか!」
『バルク』も『カット』もボディビル用語である。
「超カッコイイでしょうが! オレだって怒りますよ!」
実際、格闘技で『エイ!』とか『ヤア!』とか掛け声を上げるのと同じ理屈で魔法の威力を増す効果があるという説が主流だ。
しかし、一方で無関係との主張もある。これは使用される魔法によって異なり、遠隔攻撃では効果があまり変わらないため主張が別れるためだ。
呪文の詠唱も元をたどれば同じようなものであり、魔力制御に精神を集中する効果がある。
努力で才能を伸ばすこともできるが、基本的に魔法は血筋で決まるのだ。
「さーて、顔を拝ませてもらいますか」
カーターは仮面に手をかける。
「あー、…………」
◆ ◆ ◆
「ようは、顔の火傷が原因で恋人に逃げられ、カップルを襲っていた、という事ですか」
翌朝、ボルドックに向かう馬車の車上。ビンセントが言うと、イザベラは溜息をつく。
「そうらしいな。……まったく。去った女に復讐とかならともかく、なぜ無関係なカップルを襲うのだ。理解できん」
ビンセントが首を傾げた。
「え、わかりませんか?」
仮面の男は、イザベラとカーターによって倒されると、電話での通報によって駆け付けた衛兵に捕らえられた。
近隣の貴族の三男坊で、戦争で受傷し地元に戻っていたらしい。
犯行を始めた一年前といえば、クレイシク軍によりリーチェ戦線で毒ガスが使用された時期である。
仮面の男は恋人が去った孤独と絶望の中で、精神を病んでいった。
「お前ならわかるのか? ビンセント」
「幸せな人間が、憎くて憎くて仕方がないことは、……多々あります」
イザベラはしばらく黙っていたが、ふと何かに気付いたように声を上げた。
「なるほど、そういう事か」
イザベラは下を向き、胸に手を当てた。
「よく、……わかるよ。とてもよく……な」
それきりイザベラは喋らない。
「ブルースー、はいこれー」
サラが一冊の本をビンセントに渡した。
「何の本ですか?」
「ジャスミンがお礼に、ってくれたんだー。でもわたし、こういうのよくわからないからなー。カトー様とかがチートで無双する英雄話のほうが好きだなー」
「へぇ……」
表紙には、『兄貴とオレの優雅なる日々』とある。
嫌な予感がした。
「感想聞かれたら困るからなー。代わりに読んでおけよー。エイプル王国王女としての命令だからなー」
エイプル王国は絶対王政である。
「あの……俺もよくわからなくて……」
「拒否は許さんからなー」
御者席では、カーターが涙を拭うのが背中越しに見て取れた。
「兄貴ィ……」
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