第37話 仮面の男

「…………」


 茂みから不意に現れた仮面の男は、無言で斧を振り下ろす。


「!!」


 カーターの防御魔法が間に合った。斧が弾かれ、仮面の男はうめき声を上げた。

 身長はカーターと同じくらい。二メートル近い、筋骨隆々の大男だ。

 ボロボロのレザージャケットを纏っている。


 仮面の男は一言も発せず、淡々と斧を構え直す。


「よう……たいそうな歓迎だな! 噂の殺人鬼はお前か!」


 トマトスは殺人鬼の噂で持ちきりだった。馬の世話をしている時に、通りがかった主婦から聞いたのだ。

 何でも、ここ一年ほど、カップルが襲われる事件が相次いでいるという。


 被害者は既に七組。

 男はほとんどが殺され、女は乱暴された上に殺された。

 明らかになっていない被害も多いだろう。


 しかし、衛兵隊の腰は重かった。被害者の殆どが平民だったからだ。

 逃げ延びた者の証言から、仮面の男が浮かび上がっていたにも関わらず。


 たまたま貴族が襲われたことがあったが、その時は申し訳程度に二日間だけ山狩りが行われた。

 政治的な意図で捜査が打ち切られたと、もっぱらの噂だ。


 結局、犯人は見つからずじまい。それが約一週間前の事。


「…………」


 無言で、再び斧での一撃。

 ベンチが破片を粉々に散らしながら、真っ二つに折れた。

 破片がカーターの頬に当たる。


「やるじゃねぇか」


 イザベラが右手を仮面の男に向ける。赤い魔法陣が浮かび上がった。


「私は、今――」


 火の球が生み出され、斧に向かっていく。

 大きさは小さめ、握り拳くらいだろう。

 しかし、問題はその色。

 赤かった炎が段々青くなり、ほとんど白に近くなっていく。

 相当な高温らしい。


「――とても機嫌が悪い」


「……!!」


 斧は一瞬で赤熱し、柄の部分に火が付いた。仮面の男は慌てて斧を放り投げる。


「…………」


 仮面の男もまた、手のひらをこちらに向けると魔法陣を呼び出した。


「やっぱり魔法使いか!」


 魔法陣から無数の針状の物体が現れ、高速でこちらに向かってくる。


「うおおおおおおおおおおお!!!!」


 カーターは雄叫びを上げ、防御魔法を展開した。


「イザベラさん! 逃げろッ! コイツはヤバイッ!!」


 防御魔法で展開されたシールドに、無数の針が突き刺さる。


 ◆ ◆ ◆


「うう……うう……ジャ……ス……ミン……! 逃げ……ろ……ジャス……ミン……」


 ベッドの上で、ビクター・ヨーク青年――ジャスミンの婚約者はうわ言を言う。

 全身は包帯だらけで、あちこち血が滲み出している。

 何度も、何度もジャスミンの名を呼んでいた。


「……ジャ……ス……ミン……」


 ジャスミンは俯いたまま、途切れ途切れに話す。


「一週間、ずっとよ……。魔法で……作られた毒みたい。……解毒剤も……ないの。どんどん……衰弱していくだけ……」


「…………」


「もう……愛する人が苦しむ姿を、見ていられないの……お願い……あなたの銃で……彼を楽にして……一緒に私も……」


「ジャスミンさん」


 ビンセントはジャスミンの手を引いて、寝室を出た。

 ドアをしっかりと締める。

 俯くジャスミンの顔を両手で抑えて、こちらに視線を向けさせ、絞り出すように言う。


「俺は確かに……慣れています」


 思わず唇を噛む。慣れたくて慣れたわけではない。


「慣れては……いるんですけど……」


 噂の殺人鬼と同列に扱われるのは我慢ならない。

 はっきり言って、ものすごく失礼な話である。誰のために戦っていると思っているのだ。


 そんなふうに見られていることが、とても悲しかった。


 しかし、相手は貴族。こちらは平民。ある程度は仕方がない事だろう。

 平民は貴族に奉仕するために存在する。それが社会常識というものだ。

 極力感情的にならないように、淡々と話すよう心がけた。怒鳴り散らしたいのを必死に抑える。


「でも、決して望んで殺したい訳じゃない。はいそうですか、と誰かれ構わず殺せるものでもない。そこら辺、……わかってください。お願いです」


 ジャスミンは止め処なく涙を流していた。泣きたいのはビンセントも同じである。

 心の中、もう一人のビンセントが囁く。


『この男は、恋人とイチャイチャしていた所を襲われたんだ。自業自得だ』


『こんなひどい女は、放って置いてもよいだろう。自分のことしか考えていないぞ』


 自分のことしか考えていない卑怯者。


 ……どこかで聞いた言葉だ。


 だが、果たしてそれは悪いことなのだろうか?

 余裕がなければ、他人のことなど構っていられない。それは誰にも否定できないだろう。


 もう一つ。

 故郷、ムーサの町。街を見下ろす、小高い丘で。夕暮れの赤い空の下。

 あの時、聞きたかった言葉は何だ? されたかった事は何だ? したかったことは何だ?


 ……目指していたのは、何だ?


「…………」


 ビンセントはジャスミンの肩に手を乗せ、軽く力を込める。

 映画や小説のヒーローならパァン、と頬を叩くのだろうが、ビンセントに貴族のお嬢様を殴ることはできない。

 悲しいかな、平民の性である。


「ヨークさんは、生きています。生きようとしています。……あなたのために」


「でも……!」


「諦めるのは早いです」


 ビンセントはハンカチ代わりの三角巾を取り出すと、ジャスミンの目元を拭った。

 安心させるように、――上手くできているかわからないが――笑う。

 たぶん、笑えているはずだ。


 あの時欲しかったのは、『笑顔』だったから。


「俺は、こう見えても、……さる高貴なお方の家来なのですよ。あのお方に、お願いしてみましょう」


 ◆ ◆ ◆


「カーター! 伏せろッ!」


 イザベラの火球が仮面の男に向けて飛んでいく。仮面の男は立ち木を盾にして、それを防いだ。

 かなり戦い慣れている。


「すいません、防御魔法はあまり連発は……!」


「わかっている! 走れッ!」


 二人で湖畔を駆ける。

 リゾート用に整備しただけあって、わざわざ砂浜を造成したらしい。走りにくくてかなわない。


 防御魔法は物理攻撃、魔法攻撃に絶大な威力を発揮するが、魔力の消費が大きい。

 訓練によってカーターは連発を可能としているが、それでもせいぜい二、三回が限度だ。

 しばらくインターバルを置く必要がある。


「あれは毒針っすよ!」


「知っているのかカーター!」


「リーチェで同じ技を使うやつを見ました! 射程は短くて連射もできませんが、一発でも食らったらアウト! 気をつけてください!」


「なんだと!? 厄介なやつだ!」


 振り向くと、仮面の男は追ってくる。あの体躯にも関わらず、かなり足が速い。

 牽制のために振り向きざま、イザベラが火球を放つ。


「くっ……かわしたか!」


 火球はむなしく地面を抉った。

 砂煙が辺りを覆う。


「!」


 カーターはイザベラの手を引くと、湖畔に立つ作業小屋の裏に飛び込んだ。

 漁師が使う道具をまとめて置いているものらしく、小屋の前面は開放された造りだ。

 板壁を背に二人は並んで立つ。このままやり過ごせれば、それに越したことはない。


 イザベラを見ると、彼女は視線だけで頷いた。


「…………」


「…………」


 息を潜める。

 聞こえるのは虫の声だけだ。

 銃さえあれば、あんなやつは屁でもない。毒針の射程は、せいぜい数メートルだからだ。


 ゴトリ、と小屋の中で何かが動く。


「!!」


 牛の声にも似た、小排気量特有の甲高いエンジン音が湖畔に響く。

 森で、エンジンを使うものといえば……


「うおおっ!?」


 カーターとイザベラの丁度中間の板壁から、超高速で回転する刃が生えてくる。


自動ノコギリチェーンソーか!」


 やはりバレていた。

 カーターとイザベラは小屋の陰を飛び出す。


「ハアッ!」


 イザベラの火球が仮面の男に向かうが、あっさりとチェーンソーに弾かれる。


「イザベラさん、あれ! 赤い缶!」


「よしっ!」


 イザベラが再び魔法を放つ。作業小屋に置かれている十八リットル入りの赤い缶に火の玉が向かった。


「走れカーターッ!」


 二人は再び全力で駆け出す。背後で大爆発が起こった。

 

 赤く塗装された金属製の缶は、ガソリンを入れる容器だ。ガソリンは金属製の容器に入れることが法で定められている。


「やったか!?」


 しかし、仮面の男は炎を背に悠々と歩いてくる。

 肩に少し火がついているが、砂を掴んで火に押し付けると、あっさりと消えた。


 しかし、爆発で巻き上げられた土砂がチェーンソーの駆動部を詰まらせたらしい。

 仮面の男は何度かリコイル・スターターを引っ張るが、エンジンは再起動しなかった。


「頑丈なやつだぜ! 逃げますよッ!」


 逃げているうちに、コテージが近づく。

 あそこにはサラがいるはずだ。このままではサラを危険にさらす。


「カーター! あれを見ろッ!」


 イザベラが指差す先を見る。湖水浴場の設備群だ。

 カーターはイザベラの言わんとしていることが、すぐにわかった。


「危険ですって!」


「他に手はない! やるぞッ! 時間は私が稼ぐッ!」

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