第五章 トマトス湖事件
第35話 トマトス・リゾートへようこそ
「ニンジン、嫌ーい」
イザベラは顔をしかめる。
「サラ様、好き嫌いをしていては大きくなれませんよ!」
サラは眉間に皺を寄せ、イザベラの胸を見る。
イザベラがフォークを口に運ぶ度に、豊かな胸がたゆん、と揺れた。
「……正論を言えば良いってもんじゃないんだよー。わからないかなー」
ボルドックに向かう道すがら、トマトス湖に近い食堂兼雑貨屋。
一行は少し遅い昼食だ。
ここにカーターが居れば、またうるさい事になっただろう。しかし、幸い外で馬に餌を与えている。
時間的には中途半端ではあるが、ボルドックまで町らしい町はない。缶詰や干物といった保存食では、やはり飽きが来るだろう。
「そういえば、イザベラさんは学生さんでしたっけ?」
何気なくビンセントは聞いてみた。
「厳密にはな。もうすぐ卒業、お前とは同い年だよ。……卒業式が終われば同時に研修修了、正式に近衛騎士団に配属される……はずだったが。現状ではわからないな……」
イザベラは溜息をつく。
「みんな、どうしているかな……」
「学校……」
エイプル王国は徴兵制だが、大陸戦争の激化に伴い志願兵制度が創設され、徴兵年齢未満でも出征できるようになった。
あくまでも志願である。義務ではない。
しかし、ビンセントの級友たちはこぞって志願した。誰もが、臆病者のそしりを受けることを恐れたのだ。
争いを嫌う穏やかな友人も、皮肉にも学内での争いを嫌うがゆえに志願した。
ビンセントのように志願しない者は後ろ指をさされ、家に嫌がらせが来たこともある。
『情けないやつだ』
『自分のことしか考えていない卑怯者』
圧力は日増しに強まり、結局ビンセントも志願した。
……それが誤りだったのだが。
ビンセントは心のなかでかぶりを振る。二人にこんな愚痴を吐いた所で、何にもならない。
「まぁ、俺は学校を途中で辞めてるんで、あんまり想像付かないですね。薪屋には関係ないし……そういえば、物騒な噂が――」
店で他の客が話していた噂話をイザベラに振ろうとした時、ドアベルが鳴った。
入ってきたのは一人の女性。清楚な雰囲気を纏った女性で、年の頃はビンセントたちと同じくらいだ。身なりはそこそこ良い。
彼女はイザベラに気づくと、目を丸くした。
「……イザベラ? やっぱりイザベラよね?」
「ジャスミン……!」
二人は知り合いのようだ。
「久しぶり! 一体どうしちゃったの?」
「色々事情があってな。研修に関わることで、悪いが詳しくは話せん」
捏造された新聞記事により、クーデターは一般向けには『無かったこと』にされていた。
「そっかあ……」
ジャスミンと呼ばれた女はビンセントの隣に無遠慮に腰掛ける。
「ねぇねぇ、こっちの彼は? 恋人かしら!」
ビンセントの腕を掴み、いたずらっぽい笑みをイザベラに向ける。
胸が腕に当たる。わざとだろうか。
イザベラは真っ赤になって反論した。
「そんな訳ないだろう! あってたまるか! どうみても平民の兵士だろうが! ビンセントといって、私の部下だ」
「お
イザベラはテーブルを勢い良く叩く。他の客の視線が集まった。
「ビンセント。トイレはあそこだ」
「はぁ」
別にトイレに用はない。
イザベラがトイレのドアを指差すのを、ジャスミンは口元に手を当てながらニヤニヤと笑って見ていた。
「そっかあ……恋人じゃないのね。なるほどねえ」
なぜかジャスミンの視線が、壁に立てかけられた小銃に向かった。
◇ ◇ ◇
「助かったよ。野宿の予定だったからな」
「構わないわ。どうせ部屋は空いているもの」
馬車に乗って湖畔にあるというジャスミンのコテージへ向かう。
休暇を過ごす別荘で、同様の建物が湖畔沿いにいくつか並んでいた。さも当然のように平民の家よりも遥かに大きい。
このような辺鄙な場所でこれほどの家を建てるというのも、コスト度外視の道楽である。それも無駄に二軒所有しているという。
トマトス湖はジョージ王の実用電源発明以来、需要を増し続ける電力需要を賄うために建造されたダム湖だ。
新しいもの好きの富裕層の別荘地を兼ねているが、大陸戦争が始まって以来訪れる者は減っているという。
実際、ひと気はない。理由は戦争だけではないのだが。
ボートの桟橋、監視台を兼ねた飛び込み用の櫓、更衣室、シャワー室、トイレに休憩所、と湖水浴にあると便利な設備群。
「すげぇ……リゾートってやつか」
カーターも開いた口が塞がらないようだ。
一行はコテージへ通される。
新しい木の匂いだ。総木造で、山小屋を拡大、豪華にしたような作りである。
三角屋根の二階建てで、間取りは個室が十、風呂、物置、厨房にリビング。トイレは各階に一つ。
驚くことに、電話まで設置されている。
近年普及が進むが、月々の基本料金に加え、十分間の通話で王都の標準的な労働者の一日分の稼ぎが吹き飛ぶ、恐るべき通話料が発生するのだ。
ちなみにジョージ王は生前、持ち歩きできる『携帯電話』の開発まで考えていたというが、技術的な壁が大きく、実現しなかった。
軍など公共機関で使われる無線機とは異なり、一人一台持ち歩く姿をイメージしていたとされるが、そんな社会は想像もつかない。
「電話とは驚きだ……」
ビンセントも息を呑む。
「夕食には早いから、くつろいでね」
ジャスミンに促され、各々ソファや椅子に掛ける。
イザベラはジャスミンに借りたワンピースを着こんだ。
夏物の白いフリルの付いたワンピースは、清楚なデザインのはずなのに、なぜか艶めかしい。
「ちょっと胸がきついんだが……」
「あっそ。……あっそう!」
ジャスミンが声を荒げた。
二人にはあまり関わらないほうが良さそうだ。絶対にろくな目にあわないだろう。
サラは、お構いなしに雑貨屋で買った豆菓子を齧っていた。
「おっぱい自慢するから友達少ないんだよー」
それはビンセントも薄々思っていたが、どうやらイザベラは無意識にやっているフシがある。
しかし、胸が大きい事のデメリットがよくわからないし、ある意味仕方がないのではないか、とも思える。
カーターが壁一面の本棚の前で驚嘆の声を上げた。
「さすが王立学院の学生さん、本棚も賢そうだな! なになに、マーガレット・ウィンターソン著『兄貴とオレの優雅なる日々』か……どれどれ」
カーターはスツールに腰掛け、適当に選んだ本をめくっている。
とても嫌な予感がするタイトルだった。
「ねね、ブルース君」
ジャスミンはビンセントに耳打ちする。
「ボートがあるの。夕食まで、一緒に乗らない?」
「はぁ」
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