第34話 希望のサカルマ

 領主の館は程近い。

 サカルマ自体ほとんどが荒れ地で、東西に走るメインストリートが一本あるだけの、ごくごく小さな町だ。

 長さもせいぜい三百メートルといった所。


 その真ん中からやや東側に領主の館がある。

 館……とはいっても、広さは周りの家と変わらず、造りも板壁の簡素なもの。

 サカルマは開拓地で、領主の館よりも優先して投資するべきものがたくさんあるのだ。

 牧畜などの産業、住民のインフラ、それに治安維持。

 挙げればキリがない。


 イザベラはテラスに出されたテーブルに通された。

 意外にも、モーズリーが自ら紅茶のトレイを運んでくる。


「さっそく訪ねて頂けるとは、光栄です」


「いいえ。せっかくの出会いですもの」


 イザベラはティーカップに音もなく口を付ける。

 茶葉は安物、カップも量産品だが、それは即ち余計な贅沢をせず、領民と苦労を分かち合うという高貴な精神のなせる業だ。

 メイドすら雇わず、家事のほとんども自分でやっているという。


「まぁ! ……ご立派ですわ。誰にでも出来ることではありませんもの」


「お恥ずかしい限りです。頂きものですが、どうぞ」


「素敵……!」


 イザベラはプディングに口を付ける。

 甘いものは貴重だろう。自分でも食べたいだろうに、惜しげもなく客人に振る舞うとは、素晴らしい博愛精神だ。

 さすが貴族だ。


「とっても、美味ですわ。毎日でも食べたいくらい」


 イザベラは頬を押さえる。

 それを見て、モーズリーは目を細めた。


「それは良かった。まだ、食べますか?」


 本音を言えば、まだまだ食べたかった。しかし、イザベラはかぶりを振る。


「いいえ。わたくし、もうお腹一杯ですの。モーズリー様こそ、お食べになってくださいまし」


 モーズリーはにこり、と微笑む。

 笑顔も素晴らしい。まるで、絵画の世界から飛び出してきたかのようだ。

 よく見れば服は安価な物だが、問題は何を着るかではない。誰が着るかだ。

 モーズリーの服は、そこいらの高級店のそれよりもはるかに洗練された雰囲気を醸し出している。


 胸が高鳴る。

 会話の内容は他愛もないものだが、その話しぶり、身振りは非常に洗練され、様になっているのだ。

 学院のガキ臭い男子や泥臭い平民の兵士とは、格が違う。

 余裕ある大人の男。家柄は男爵だが、立ち振る舞いはまさしく本当の紳士だ。


「…………はァ」

 

 思わず溜息が漏れる。


 頭痛に悩んでいた時に、介抱してくれたのも好印象に拍車をかけた。

 モーズリーの横顔をいくら眺めていても、飽きる気がしない。


「――様。……イザベラ様?」


 思わずハッとする。モーズリーに見とれていたのだ。


「様だなんて。……ベラと呼んでくださっても……よ、よろしくてよ。おほほほ」


「はい?」


 イザベラは思わず目を伏せた。

 顔が紅潮しているのがばれやしないだろうか。

 そんな事を心配していた時である。


「まあ、お気持ちはお察しします。我々にとっても遺憾ではありますが――」


 会話を断ち切るように、街中に響く巨大な銃声が轟いた。

 庭でたむろしていたハトが一斉に飛び立つ。


 ◆ ◆ ◆


「あ、兄貴いーーーーッ!!」

 

 チンピラの一人、毛のない男が叫ぶ。


 ビンセントは対魔ライフルのボルトを操作し、十三・二ミリ弾の薬莢を排出する。銃身は素手では触れないほどの熱量を湛えていた。


 次弾装填……する必用は無さそうだ。

 ビンセントの頬からは一筋の血。相手の弾は顔をかすったが、こちらは命中した。

 しょせんは拳銃。これほどに距離があれば、命中させにくいのは当然の事。

 顔をかすっただけでも大した腕だ。


 ビンセントの勝利である。

 魔法使いでありながら銃を使う相手だ。肝を冷やした。

 通常、銃は平民の武器とされ、魔法使いが使うことはあまりない。


 通りには人だかり。町中の人間が集まっている。

 一瞬の沈黙の後、群衆はドッと湧いた。


 倒れているのは、強盗、殺人、恐喝、窃盗、誘拐、婦女暴行、詐欺で指名手配のサイラス・ハンゲイト。

 懸賞金が掛けられており、金額は生死を問わず、金貨三十枚。


 二人しか居ないサカルマの衛兵が駆け寄り、ハンゲイトに縄をかけた。

 手下の三人組も、群衆に寄ってたかって取り押さえられる。


 サカルマに平和が戻った瞬間であった。


「やったな! 相棒! ヒヤヒヤしたぜ、この野郎!」


 カーターが嬉し涙を流してビンセントの肩を叩く。


「い、痛いって! この銃、凄い反動でとても続けては撃てないな……マジで肩が痛い、返すよ。だいいち重すぎる」


「おう! 無理はいけないからな、ハッハッハ! この銃はオレ様専用だぜ!」


 カーターにズシリと重い対魔ライフルを渡す。

 なにせ、重さが十五・八キロもあるのだ。

 手で持って撃つ事はとてもできないので、二脚を立てて撃つ事になる。

 相手もさすがに予想外だったらしく、ハンゲイトが最後に発した言葉は、「そんなのアリかよ!」であった。


「だが……これでイザベラさんは自由だ」


 カーターは滝のように嬉し涙を流す。


「よくやったぜ! さすが相棒だ! オレ様は最初からこうなると信じていたけどな!」


 ◆ ◆ ◆


 イザベラたちが駆け付けた時、戦いはすでに決していた。


「ど……どういう事ですの? モーズリー様」


 モーズリーは首を傾げる。


「いえ、ですから先程言いました通りですね――」


 モーズリーは『再び』説明した。

 サイラス・ハンゲイトという貴族崩れのならず者が現れ、サカルマを恐怖で支配していたこと。

 ハンゲイトの手下の三人組が暴れ回り、町の人々は希望をなくしていたこと。

 ハンゲイトは強力な防御魔法の使い手で、銃も魔法も効かず、誰も手出しができなかったこと。


 イザベラの額に脂汗が浮かぶ。


「た、確かに対魔……いえ、対戦車ライフルなら防御魔法を撃ち抜けますわ……で、でも、……そ、それと私たちと、何の関係が……?」


「それも言いました。要するに――」


 ハンゲイトの首に、多額の賞金が掛けられていたこと。

 イザベラとビンセントが宿で暴れ、多大な損害を出したこと。

 それどころか、営業再開までにひと月はかかるであろうこと。


「で、でも、別にビンセントは……」


 モーズリーは溜息を付き、頭を抱えた。


「……本当に、何も聞いてらっしゃらなかったのですか……。つまり――」


 イザベラが破壊した店の損害賠償額が、ハンゲイトの賞金とほぼ同じ額だったこと。

 もし払えなければ、ビンセントは炭鉱に、『イザベラは娼館送り』になっていたこと。


「……わ、私が……そんな……しょ、娼婦に……?」


 イザベラは空いた口が塞がらなかった。

 全身から冷や汗が流れる。寒気がした。歯の根が合わない。

 へなへなと力なく座り込む。


「ええ。ですが、これで負債は完済です。良かったですね」


 モーズリーは請求書を破り捨てた。乾いた風に紙吹雪に舞う。


「はは……はは……」


 イザベラは笑うしかない。

 モーズリーはやり手だ。ハンゲイトの排除という目的のためには、手段を選ばない。

 よそ者がどうなろうと、知ったことではないらしい。

 

 あるいは、それほどまでにハンゲイトに追い詰められていたのかもしれないが、それにしても冷徹な、鬼のような男である。


 その鬼のような男は、満面の笑みをイザベラに向けた。


「でもこれで、私も安心して彼女にプロポーズできます」


 モーズリーは群衆の中で対決を見守っていた食堂の娘、クレアの前で片膝を着くと、その手を取った。


「クレアさん。卑怯なやり方だったかもしれません。でも、他にあなたの安全を確保する方法は無かったのです。ハンゲイトは捕まりました。もう誰も、あなたとあなたの家族の安全を脅かす者は居ません。だから……」


 そこでモーズリーは言葉を切った。


「私と、結婚してください。『あなたの作るプディング』を、これからは私だけのために」


 全員が固唾を呑んで見守っている。

 クレアはしっかりとモーズリーを見つめ、こう言った。


「………………はい」


 群衆が湧いた。誰もが自分の事のように、抱き合って、涙を流して喜びの声を上げたのだ。


 新たな希望が生まれた。

 サカルマは、滅びゆく町から希望の町へと変わったのだ。


 ◆ ◆ ◆


「みんなー、心配かけたなー」


 サラは問題なく回復したようだ。

 かつての姿はどこへやら、今では飛んだり跳ねたりどころか、逆立ちして五メートル歩くこともできる。

 パンツが丸見えになるので、途中でカーターが諌めた。


「まぁ、色々ありましたけどね。俺らは異状なし、っすよ」


 カーターはビンセントとイザベラに目をやった。

 二人は黙って荷台に座っている。


「…………ビンセント」


「はぁ」


 イザベラはがっくりと俯いた。


「………………何でもない」


「………………はぁ」


 その後は二人とも何も言わない。思う所はあるだろう。しかし、結果的には何事もなかった。これで良いのだ。


 問題なし!


「じゃ、行きますか!」


 カーターは手綱を打った。

 斑の牡馬は、ゆっくりと馬車を引き、その足を進める。


 目指すは、ボルドック。途中にトマトス湖があるので、そこに寄ることになるだろう。

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