第33話 微熱のサカルマ

 朝の光に目を開く。

 見慣れぬ天井は、サカルマの宿だ。

 イザベラは身を起こそうとするが、猛烈な頭痛が襲い、再び枕に頭をつける。


「い……痛ぁ……」


 頭を抱える。

 記憶が曖昧だ。どうやらまたビンセントに助けられたらしいが、細かい所はまるで覚えていない。


「水を飲みますか?」


「ええ、お願い……二日酔いね、無茶しすぎたかしら……って、誰だお前は!」


 ニコニコと穏やかな笑みを浮かべる美貌の青年は、もちろん会ったことはない。

 身なりがよく、貴族かもしれない。


「失礼。私はミッチェル・モーズリー。いちおう男爵です。ご機嫌いかがですか、チェンバレン様」


「な、なぜ私の部屋にいる? ここで何をしている! ビンセント……護衛の兵士はどうした! わ、私に何かしたのか!」


 一気にまくし立てるイザベラに、モーズリーは笑顔を崩さず、落ち着けと身振りで示した。


「お休みの所失礼かとは思いましたが、ドアが空いていたもので。あまりに寝顔が美しかったので、つい見とれてしまったのですよ」


「なっ……!」


 イザベラは思わず顔を赤らめてしまう。

 ここまで直接的に容姿を褒められたのは初めてだ。


「い、いけない人……ね」


「チェンバレン様がお越しと聞いて、ご挨拶に伺いました。私はこれでも、一応サカルマの領主ですので」


「そ、そうでしたの、ご苦労様」


「何もない小さな町ですが、ごゆるりとお過ごしください。では、またお会いしましょう」


 モーズリーはイザベラの手を取ると、甲に口付けをした。

 イザベラの胸が高鳴る。


 すらりと高い背。優しい瞳。落ち着いた穏やかな話しぶり。

 モーズリーが出ていった後も、心臓の高まりが収まることはなかった。


 ◆ ◆ ◆


 ビンセントが目を覚ますと、まず鉄格子が目に入る。


「……牢屋……だよなぁ」


 まるで覚えがない。

 宿屋に泊まって、うるさいので部屋から出ると、チンピラがイザベラに絡んでいた。

 助けたはずが、なぜかイザベラは逆ギレし、ビンセントの口に酒瓶を突っ込んできたのだ。

 その後の記憶が曖昧である。


 何かやらかして、衛兵に捕まったようだ。

 ビンセントは頭を抱えた。はっきり言ってピンチである。

 三文小説のように、脱出用の抜け道がある訳がない。


 しかし、衛兵はあっさりと扉を開けた。


「出ろ」


「はぁ」


 衛兵に促されて牢屋を出る。取り調べだろうか。


「……ちっ」


 衛兵は眉間にシワを寄せ、舌打ちした。ポケットからハンカチ……というよりはボロ布を取り出し、ビンセントの顔を乱暴に拭く。


「……口紅くらい拭きやがれってんだ。クソが」


「えっ? 今なんと」


「うるせぇ、とっとと来い」


 衛兵詰め所は小さな建物で、地下牢から階段を上がると事務所と受付があるだけだ。

 ビンセントを待っていたのは、見慣れぬ優男。

 住民よりは、比較的に身なりが良い。貴族だろうか。それにしては身なりが些か安っぽい。


「おはよう、兵隊さん。まずはこれを」


 優男は一枚の紙を差し出した。

 ビンセントは息を呑む。


「損害賠償請求書……金貨三十枚!?」


「あなたの連れが壊した宿屋の損害と、そのせいで商売にならないので、その間の休業補償ってやつですよ。あの店のお酒は、全部本物ですから」


「…………」


「払えないなら、あなたは炭鉱、お連れの女性は、……そうだな、『うさぎ亭』で働いていただくのが返済には確実ですね」


「何ッ!」


 うさぎ亭。宿屋の四軒隣りにある娼館だ。そこで働けという事は、ようは娼婦になれということである。

 ビンセントは記憶の中の財布の中身を考える。

 政府のエージェントがくれた資金から、教会の修理費や馬車代、旅費その他必要経費でだいぶん使ってしまった。

 残りは金貨五枚も無いだろう。

 サラの治療費もそこから出すのだ。とても足りない。


「もちろん、私もそのような事は望みません。そこで、これです」


 優男は、ニコニコと穏やかな笑顔でもう一枚、紙を差し出した。

 どこにでもある、見慣れたお馴染みのもの。普段は決して気にも留めないものだ。


「彼が居るんですよ。このサカルマにね……」


 ◇ ◇ ◇


 ビンセントはとりあえず宿に向かうが、宿は『休業中』の紙が貼られている。

 病院の面会時間にはまだ早いので、とりあえず隣の定食屋へ入る。

 腹が減っては戦は出来ない。


「いらっしゃいませっ!」


 定食屋の看板娘は、今日も元気に出勤している。

 よく働く娘で、動く度にツインテールに纏めた黒髪が揺れる。

 名前はクレアというらしい。

 ビンセントは一番安い定食を頼んだ。昨夜と同じ豆のスープとパンだ。


「おまたせ。……大変ね。何か協力できることがあったら、言って」


「ありがとう」


 狭い町だ。人の口に戸を立てるのは難しい。クレアも事情を知っていると思われた。


「これ、サービスね」


 クレアはビンセントにプディングを出した。

 メニューには無いものだ。わざわざ用意してくれたのだろう。

 ありがたく頂いた。


 後ろから声がかかる。


「やれやれ……鼻の下を伸ばして、情けない事だな」


 振り返ると、イザベラが店の入口に立っていた。

 腕を組み、蔑むような視線を向けてくる。


「ま、しょせん貴様も平民だからな、気品が足りんのはやむを得ん」


「はぁ」


 イザベラの顔からは、不安、恐怖、絶望、そういった感情はまるで読み取れない。

 このような絶望的な状況でも凛としている。

 さすが貴族だ。平民のビンセントに、真似できる気はしなかった。


「私は領主の館へ行ってくる。お前は面倒を起こすなよ」


「はぁ。お気をつけて」


 よく見なければわからないだろうが、なんというか、艶があるのだ。

 ビンセントの胸は、一瞬高鳴った。イザベラは、こんな表情を見せたことはない。

 化粧も心なしか、気合が入っているように見える。

 このような状況で、何故?

 イザベラは軽い足取りで去っていった。


 しばらく経って、ビンセントは気付く。


「そうか、死化粧って訳か……。さすが貴族だ」


 ◇ ◇ ◇


 病院に行くと、サラはまだ寝ていた。

 元々夜型の傾向が強いというし、容態が安定しているのなら問題はない。


 カーターに事情を説明する。


「なるほど。それで『アレ』が必用、って訳かい」


 ビンセントは頷いた。


「でもよ、それならオレがやったほうが良いんじゃねぇか? オレのほうが扱い慣れてるぜ」


 ビンセントはかぶりを振った。


「俺にも責任、あるからさ。でも、もしもの時は……」


 カーターがビンセントの背中を力強く叩く。


「なァに、心配すんな。いざって時はオレがフォローすっから」


「……巻き添えが酷そうだな」


「だから、いざって時だぜ。極力オレだって、お尋ね者にゃなりたくねぇ」


 ビンセントは苦笑いした。


「今も、大して変わらないだろう?」


「……違いねぇ。脱走兵扱いだしな」

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