第32話 ふたりのサカルマ その三

 ビンセントは銃を部屋の中に放り込むと、階段を駆け下りた。


「大丈夫ですか、イザベラさん」


 とりあえず、あまり酷いことはされていないようである。

 シャツのボタンを外され、水をかけられただけのようだ。

 ピンクのフリル付きのブラジャーが透けて見える。


「…………」


 ビンセントは思わず生唾を飲んだ。

 確かに男たちの言う通り、エロい。サカルマは治安が良くないし、このまま放置するわけにも行かないだろう。

 どうにかして部屋まで連れて行かなければならない。


「あ゛、あ゛いづらあああ! ゆ、許ざん! 私を゛ッ! な、何だど思っでい゛る!」


 イザベラが真っ赤な顔で、目に涙を浮かべながら喚いている。


 バーテンは我関せずと割れたコップを片付けていた。

 イザベラがテーブルを殴りつける度に、怯えた視線を伏せる。

 気の小さい男のようで、親近感を覚えた。


「まぁ、結果的には何もされなくて良かったではありませんか」


「あ゛あっ?」


 ビンセントの言い方が気に食わなかったらしい。

 真っ赤な顔でビンセントを睨みつけ、右手で襟首を掴んでくる。


「おい、ビンセント」


「はぁ、……えっ」


 そのまま、イザベラはビンセントの首に腕を回す。目の前十センチの距離にイザベラの顔がある。

 豊かな膨らみがビンセントの胸に押し付けられ、琥珀色の視線がビンセントを見つめる。

 一瞬、ビンセントの心臓が跳ね上がった。しかし、イザベラの目は普段のそれとは明らかに異なる。

 白目が、赤い。まるで夕焼けの空のように。

 柔らかで豊かな肢体を押し付けているのにも関わらず、それを堪能するような状況は訪れなかった。

 アルコールの臭いが、かなり鼻につくのだ。相当飲んだのだろう。

 イザベラは大きく息を吸い込んだ。


「良ぐな゛い゛ッ!! お前が悪いんだッ!! お前がッ!!」


 いきなり大声を出され、耳がキーンとする。

 その隙にイザベラは手近な酒瓶を掴むと、ビンセントの口に無理矢理突っ込んだ。


「んほぉっ!」


 テキーラ酒だ。

 度数四十パーセントものアルコールが、ビンセントの胃に無理矢理流し込まれる。

 口の中が、喉が、食道が、胃が! 焼けるように熱い!


 イザベラはものすごい力でビンセントを押さえつけている。女の細腕とは思えない。とても振り払えない! 近衛騎士になるだけのことはある。


「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!! いい気味だッ! そのまま溺れ死ねッ!」


 イザベラの奇声が店中に響く。

 恐るべきことに、ついには一本丸ごと胃に流れ込んでしまった。

 中瓶だったのが不幸中の幸いか、大瓶ならば死んでいただろう。


「や……やへてやめて……」


 ビンセントはその場に倒れ込んだ。

 イザベラはビンセントの口に突っ込んでいた瓶を引っこ抜き、残った雫を舐める。その仕草には妙な色気があった。

 ちゅぽん、と音を立てて瓶から口を離す。唾液が糸を引いた。


「ふん、まっずい唾液ねッ! こんなものなの? アハハハハハハハハハッ!!」


 ――だから外に出るなと言ったでしょう。


 ビンセントの口からその言葉が出ることはなかった。

 激しい動悸は心臓が頭の中に移動したかのようだ。何も言えない。何もできない。身体がまるで言う事を聞かない。

 視界は歪み、イザベラの嬌声も近付いたり、離れたり、周りを回ったりしていた。


「ちょっとくらい女の子のピンチを助けたからって、そうそう簡単に『ポッ』とか『きゅんっ』とかならないっつーの! バーカ! バーカ! バァーーーーーーーカ!!」


 イザベラはテキーラ酒の新しいボトルを開けると、ラッパ飲みしだした。


「だ……ダメで……す……」


 ビンセントは止めようと手を伸ばした。そかし、その手は虚しく宙を切るばかり。

 目の前が暗くなっていく。声も段々と遠くなっていく。


「キャハハハハハハハハハッ! 調子にのるからこうなるのよ! 私の事をエッチな目でいっつもチラチラ見てるくせに! おっぱいとか! お尻とか! 脚も! わかってるんだからねッ!」


 やはりバレていた。

 長時間直視するとさすがにバレるかと思い、短時間のチラ見を繰り返していたのが仇になったらしい。

 先日のエイプルオーク事件以降、頻度を減らしていたつもりだったが、無意識下の行動は制御できない。


 イザベラの説教は終わらない。


「なのに他の女の子の胸もチラチラ見てさ! おっぱいなら何でもいいの? サイテー! そこで這いつくばっていい気味よ! このヘンタイちんこ! ザマーミロッ! ヴァアアアーーーーーーカッ!」


「す……すみま……せ……」


 その後のビンセントの記憶はない。

 ガラスの割れる音、木の割れる音、金属のひしゃげる音、とにかく何かが壊れる音が長い間、聞こえていた気はする。


 酒に飲まれてはいけない。


 飲酒の強制もいけない。


 決して強制してはいけない。


 問題は、事件がそこで終わらなかった事だ。




 ※ 警 告 ※


 この作品はフィクションです!


 決して真似をしないでください!


 また、飲酒運転、および未成年者の飲酒は現実の日本国法によって厳に禁じられています!

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