第31話 ふたりのサカルマ その二

「先に飯にしましょう、イザベラさん」


 珍しくビンセントからの提案だ。


「どうしたんだ? 一体。指示待ち人間の貴様にしては珍しい」


 ビンセントは顔を曇らせる。

 ついうっかり軽口で傷つけたかと一瞬後悔するが、幸い別の理由だった。


「宿に併設された酒場で、マトモなものが出てくるとは思えませんので。正直言って、あまり良い宿ではありません」


「そ、そうか」


 隣の定食屋で簡単に済ませる。

 豆を香辛料で煮込んだスープとパン。

 定食屋の店員というのが、これまた若い娘で、ビンセントの視線がチラチラと胸元に行くのが不快だった。


 その上、味の割に値段が高い。

 食後のコーヒーも代用品、タンポポの根だ。

 しかし、そういつもイライラしている訳にも行かない。ただでさえ不味い食事が、ますます不味くなる。

 時には歩み寄る姿勢も重要なのだ。

 

「……さっきは、すまなかったな。その、取り乱して」


 イザベラは気恥ずかしさを隠す為にコーヒーに口を付ける。


「イザベラさんは末っ子だそうですね。慣れていなければ、誰だって慌てますよ」


「ビンセント。お前にはきょうだいがいるのか?」


「妹が一人。生意気盛りです」


 彼女もきっと目つきが悪いのだろう。

 しかし、ビンセントの目は妹を思い出したのか穏やかだ。

 案外、家では良いお兄ちゃんなのかもしれない。


「そうか、私も兄がいるぞ。お前ほどやる気のない目はしていないがな」


「……そりゃあ、そうでしょう」


 やる気を出せというのは、無理がある。そう言いたげであった。



 ◇ ◇ ◇



「――ッ!」


 イザベラは絶句した。

 わなわなと拳を握り、ビンセントを睨みつける。

 当のビンセントは床に直に座り、お構いなしに銃の手入れをしていた。


「おい、ビンセント」


「はぁ」


 気のない返事だ。じつに癪に障る。

 この男は自分のしでかしたことを分かっていない。


「はぁ、じゃないだろう! なぜベッドが一つなんだ!」


 裏口から入り、二階に上がった最初の部屋。

 吹き抜けの回廊の下は酒場だ。

 広さは三メートル四方ほどで、窓は一つ。棚が一つ。……ベッドも一つ!

 眉一つ動かさずにビンセントは答えた。


「カーターが泊まると思ってたんですよ……ジャンケンでベッドを決める予定でした」


「な……!」


「それに、何人で泊まっても同じ料金だそうで。イザベラさんも安い方が良いでしょう?」


 ケチにも程がある。しかも、他に空き部屋は無いという。


「だだだからって……! わ、私は嫁入り前の……」


 声は段々小さくなっていく。恥ずかしくて最後まで言えない。

 こんなふしだらな男とは思わなかった。

 デリカシーが無いにも程がある。


「はぁ。嫁入り後ならもっと問題です」


「そ、それはそうだが!」


 ビンセントは首を傾げた。


「何もしませんよ?」


「あ、当たり前だッ! 私に指一本触れてみろ、きさまのちんこを消し炭にするからなッ!」


「それは困ります。これ以上焼かれてはたまらない。それよりも――」


 ビンセントはそこで言葉を切り、イザベラを睨みつけるように見据えた。


「外には、出ないようにしてください。では、おやすみなさい」


 そう言うとビンセントはベッドの反対側の床に寝そべり、数秒後には寝息を立て始めた。


「くっ……! 私が夜遊びなどするか!」


 これだから平民は困るのだ。

 常識というものがない。デリカシーもない。


 時間も遅いし、空き部屋もない。

 自分で言っておきながらカーターと交代する訳にも行かない。

 イザベラは自分の迂闊さを悔いた。


「…………」


 ビンセントはお構いなしに寝息を立てている。


「大丈夫だ、……わ、私は魔法が使えるからな。万が一があっても、抵抗できる、そうだ、何もない。こんな男で膜の破損などあってはならんのだ! おいビンセント、私に何かしたらお前の尻にカーターのちんこを――」


「……もう寝ましょう」


「くっ……!」


 上着を脱いでハンガーに掛け、硬いベッドに潜り込む。


 ◇ ◇ ◇


「…………」


 眠れない。

 何度目かもわからない寝返りを打つ。


「…………」


 また寝返り。

 ビンセントの寝息だけが部屋に響く。

 時刻は深夜。


「よ、よく眠れるな……!」


 異性と同じ部屋で寝ることの意味がわかっているのだろうか。

 サラとカーターがニヤニヤと下卑た笑いを向けてくるのは不可避である。


「…………」


 このままでは朝になってしまう。

 イザベラはかぶりを振ると、ベッドから起き上がる。

 これはもう、酒の力に頼るしか無いようだ。

 一階は酒場である。


 それでも多少の配慮はして、足音を殺してドアを空ける。

 一階の灯りは点いており、酒場もまだやっているようだ。


「ギャハハハ!」


 階下から男の笑い声が響く。

 回廊の手すりから覗き込むと、三人の男たちがグラス片手にカードゲームに興じていた。

 太った大男、痩せた小男、その中間の男だ。

 イザベラは階段を降りると、男たちはすぐに気付いた。

 視線がイザベラに集中する。


「何だァ、姉ちゃん! あのボウヤの『コレ』かい?」


 客の一人、太めの男が小指を立てる。


「貴様らには関係ない。バーテン、酒だ」


 カウンターに掛けると、バーテンが音もなくグラスを出す。

 普段さほど飲むわけではない。しかし、今夜ばかりは躊躇せずに一気に煽る。


「……お、おい! ダメだよ、そんな飲み方!」


 バーテンが目を見開いた。

 しかし、すでに全ては胃の奥。

 喉が熱い。相当強いようだ。

 思わずむせる。


「み、水……!」


 慌てふためくバーテンが差し出す水を一気に飲む。


「おいおい姉ちゃん、そんなんじゃ死んじまうよ、危ないなぁ……」


 バーテンはイザベラに心配そうな視線を向けた。


 ふと、中くらいの男が隣に掛けてきた。酒臭い。

 その上、無精髭が伸び放題で汚らしい。

 服も禄に洗濯していないようだ。


「あのボウヤにゃ、もったいない上玉だな! オレと付き合えよ、姉ちゃん!」


 無遠慮にも男はイザベラの肩に手を回してくる。


「私に触れるな!」


 勢い良く払うと、男の目つきが変わった。


「良いねェ、良いねぇ! オレは気の強い女は好きだぜ!」


「黙って飲めんのか!」


 グラスを叩きつけるようにして置き、勢い良く立ち上がる。


「――ッ?」


 視界が歪む。動悸が強まる。息が苦しくて、全身が熱い。

 思わずカウンターに手をつくが、手は虚しく空を切り、イザベラは床に転がった。

 小男が指差して笑う。


「ギャッハッハ! あんなモン一気に飲むからだ! 大丈夫かぁ? 姉ちゃん!」


 太った男が椅子を鳴らして立ち上がった。


「オレたちが介抱してやらなきゃな! なんせオレたちゃ紳士だからよ!」


 二人の男、太めの男と中くらいがイザベラを羽交い締めにする。

 イザベラはやっと気が付いた。

 ビンセントの言う『外に出るな』とは、建物の外ではなく部屋の外だったのだ。


「苦しいだろォ? すぐに楽にしてやる!」


 小柄の男が前歯の抜けた歯を剥き出しにして、イザベラの襟元に手を伸ばす。


「や……やめろ……!」


 手慣れた手つきでブラウスの前ボタンを外していく。一つ。二つ。三つ。

 身体が言うことを聞かない。

 魔法で火の球を呼び出そうとするが、それも上手く行かない。

 アルコールのせいだ。アルコールは魔法の行使に必要な集中力を著しく下げる。


「おお~ッ! この姉ちゃん、スゲェ乳だ!」


 小柄な男が手を伸ばそうとするが太めの男が止めた。


「待てよ。お前は風情ってものが分かってない。……こうした方が、よりそそるぞ! ついでに酔い覚ましにもなるからな!」


 太め男は水差しを手に取ると、イザベラの襟元から垂らす。

 ブラウスが水分を吸って肌に張り付いた。

 身体のラインがピッタリと出て、下着も透ける。今日はピンク。


「おお……」


 男たちは息を呑んだ。


「くっ……こ、この私にこんな真似をして、ただで済むと思うな……!」


 その一言がいけなかったのか。

 男たちの動きが止まった。


「……なんか、エロいな」


「……ああ、まったく」


「我慢しろと言う方が、無理ってもんだ。お、おっぱい触るぞ」


 男たちの手が伸びる。


「や……やめろッ! 何をするッ! おいバーテン!」


 バーテンは目を伏せる。どうしようもないのだろう。

 イザベラは唇を噛んだ。


「くっ……殺せ!」


 その時、一発の銃声が響き、テーブルのグラスが砕け散った。

 ボルトの操作音が響くと、薬莢の落下音が小さく、そして甲高く響く。


「外に出るな、と言ったではありませんか」


 再びビンセントは二階の回廊から銃を構え、男の一人に狙いを付ける。


「バーの営業時間は終わっていますよ。バーテンも困っている……」


 羽交い締めの力が緩んだ。


「な、何しやが――」


 イザベラは渾身の力で目の前の小柄な男を投げ飛ばし、窓の外に放り出した。

 ガラスが砕け、外に居たらしいニワトリが逃げ出す。


 ビンセントは再び発砲し、床に穴を開けた。


「お、表でやってくれ! 迷惑だ!」


 バーテンは 頭を抱えてカウンターの中で伏せる。


「う゛あ゛あぁあああああああああッ!」


 イザベラは雄叫びを上げると、渾身の力を込めて太った男の腹へ拳を叩き込んだ……つもりだった。

 しかし、アルコールのせいか狙いが逸れ、実際に命中したのは金的だった。


「アッーーーー!!」


 男はしばし動きを止めた後、泡を吹いて倒れ込む。


 ビンセントは再び発砲すると、中くらいの男の髪が丸ごと吹き飛んだ。


「お、オレのカツラが!」


 そこに広がるのは、草一本生えない不毛の大地。まるでこのサカルマのように。

 電灯の光を反射して、悲しく光る。


 弾倉には五発入るようになっている。

 どうせなら撃ちつくそうとでも言いたげに、ビンセントは残りの弾を打ち尽くした。

 ボトルが砕け、ガラス片が飛び散る。


 ポケットからクリップで纏めた弾を取り出し、再装填。

 ビンセントは歪な笑みを浮かべ、男たちに言い放った。


「ここはガキの来る所じゃねぇんだ。ミルクでも飲んで寝な!」


 言っていることはおかしく、意味が通らない。そもそも男たちは中年一歩手前に見えた。

 しかしそこは問題ではない。男たちは全員が逃げ出した。


 その後の「映画のセリフ、一度言ってみたかった。ざまぁ」という小さな声での呟きが、耳に届いた者は誰も居ない。

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