第30話 ふたりのサカルマ その一

 馬車は進む。カスタネまでは街道が通っているが、素直に街道を通ればすぐに見つかってしまう。

 多少遠回りにはなるが、サカルマやボルドックを経由していくほうがまだ良いとのことで、一行はサカルマを目指した。


「牛乳は良いぜ。カルシウムやタンパク質が豊富で、水分補給もバッチリだ」


「へぇ……そんなに凄い物だったのか。これからはマメに飲むとするかね」


 カーターが牛乳のウンチクを語るのを、ビンセントは珍しく真面目に聞いていた。

 周りには真っ赤な荒れ地が広がるばかり。本当に何もないのだ。

 どうでも良い話でも、多少は退屈が紛れる。

 手綱を握るカーターと並んで座っているが、変化のない景色にあくびが出る。


 やがて、荒野の中にぽつん、とサカルマの町が見えてきた。

 サカルマは、かつてジョージ王による農業革命に起因する人口増加によって新たに開拓された町だ。

 かつては活気に満ち溢れていたというが、現在では人口の流出が進み、寂れている。

 大陸戦争で若年層が大量に徴兵されたことも大きい。

 何より、周囲は何もない。農地開墾も止まった。住人は無気力となり、荒廃が進んでいる。


「サラ様! サラ様! しっかりしてください!」


 退屈は不意に破られた。イザベラの声に振り返ると、サラがぐったりしており、イザベラが必死に呼びかけていた。


「どうしたんですか!?」


「急に酷い熱で! サ、サラ様が! さっきまで元気で! 急に倒れて! 何とも無かったのに!」


 イザベラは酷く慌てている。サラは、顔が赤く、呼吸も荒かった。


「相棒、手綱頼む」


「お、おう」


 カーターは車内に移動すると、サラの額に手を当てる。


「元気だったのに! だって、ついさっきまで! あんなに!」


「イザベラさん、ちょっと落ち着いて。……熱があるな。サラさん、水は飲めますか? 吐き気はどうです?」


「うん……飲むー……」


 サラは、カーターに支えられて水筒の水を飲んだ。


「意識もあるし、水分も摂れる。医者に見せなきゃ何とも言えませんが、今すぐどうこうという事は、たぶん無いっすよ。相棒、すぐに病院へ行くぜ。でも、あまり揺らすなよ」


「わかった」


「イザベラさん、毛布を」


「も、毛布? ええと、ええと……」


 イザベラは慌てふためき、毛布を見つけられない。


「いや。これで良いです」


 カーターは脱いだ上着をサラにかけた。


「このくらいの子は、けっこう熱出すもんっすよ。慌てないで、水分をちゃんと取らせて、医者に見せる。変に自分で判断して間違った手当をしたら、逆効果って事もありますぜ」


 ビンセントは、ややスピードを落とし、なるべく揺れないようにサカルマの町に入った。


「さすがだな、カーター」


 カーターは弟たちの世話をしていて、よくこういった場面に出くわしたのだろう。

 手慣れたものである。


 病院の看板を見つけ、ビンセントは馬車を停めた。


 ◇ ◇ ◇


 病院とはいっても、医者と看護師がそれぞれ一人しかいない小さなもので、診療所と言った方が良い。

 衛生には気を使っているようだが、建物自体の老朽化は酷かった。

 医者の見立てによると、疲労からの風邪という事だ。

 今夜一晩、入院して様子を見るという。


「しばらく動けねぇな。相棒、向かいに宿があっただろ。部屋があったら、そこに泊まろうぜ」


「おう」


 ビンセントは待合室で、ソワソワと落ち着かない様子のイザベラに目をやった。

 あまり子供の世話をしたことがないのだろうか。


 街は寂れていた。人影はほとんどない。二階の窓の女性と目が合ったが、彼女は慌てて鎧戸を閉めた。

 タンブルウィード回転草が風で転がり、目の前を横切る。

 砂塵が舞い、目が痛んだ。


「……寂れてるな」


 道路を渡り、宿へ。

 酒場を併設している、粗末な板作りの二階建てだ。

 宿泊客がどれだけいるのか知らないが、まだ日暮れ前だというのに酒場からは喧騒が響いている。


 バルコニーでは白髭の老人が酒瓶を抱えていた。


「…………」


 ビンセントと目が合うと、老人は視線をそらし、酒瓶を煽った。こちらに興味が無いようだ。


 スイングドアを開き、中へ。


「お、客かァ?」


「見ねぇ顔だなァ?」


 テーブルの男たちから野次が飛ぶ。


「あー、また負けか! クソッ!」


 一人の男がカードの束をテーブルに叩きつけ、コップの酒を煽った。

 男たちはちょうど、大、中、小と並んでいる。

 すなわち、太っちょの大男と痩せた小柄な男、その中間と言った具合だ。

 青年をやや過ぎて、中年一歩手前といった所だろうか。


 ビンセントは無視してカウンターへ向かった。


「いらっしゃい。何にするね」


「あの、宿を……」


「一部屋だけあるが、ここは酒場でね。飲まない者は客じゃあない。宿云々はそれからだ」


 バーテンはコップを拭きながら後ろの棚を指差す。

 ウォッカ、ウィスキー、ジン、ラム……様々な種類の酒が並んでいるが、どれも度数が強いものばかりだ。

 全く飲めない訳ではないが、ビンセントに飲酒の習慣はほとんどない。


「…………」


「何にする?」


 こういった嗜好品は不足がちで、ラベル通りの中身が入っているかどうか怪しいものだ。

 消毒用エタノールに合成甘味料をぶち込んだものならまだ良い方で、悪質な業者なら横流しの工業用メタノールを入れている場合もある。

 メタノールは猛毒で、失明の恐れがある危険物だ。

 そもそも正規のものであれば、かなり値上がりしているはずであった。サラの治療費を最優先にしなければならない以上、今まで以上の節約が必要となる。


「ミルクを」


 カーターとの話を思い出す。カルシウムやタンパク質が豊富で、健康に良い。

 男たちが湧いた。


「ギャッハッハッハッ! ミルクだとよォ!」


「ママのオッパイが恋しいかい? 兵隊さん!」


 いちいち野次が飛ぶ。うるさいと言ったらありゃしないが、残念ながらサカルマの宿はここだけだ。

 音もなく出てきた牛乳を煽る。


「オイ、聞いてんのか兄ちゃん!」


 中くらいの男がビンセントの襟首を掴んだ。アルコールの臭いが鼻につく。

 ビンセントは心の中で舌打ちした。

 銃は馬車の荷台だ。銃があればこんなチンピラの相手をする必用はないのだが。


「後にしてくれ」


「ナマ言うなよアンちゃん!」


 男は水差しの水をビンセントの顔にかける。


「…………」


 睨みつけると、男は怯んだ。


「な、何だテメェ、その目はよォ……」


 何てことはない。ただのチンピラだ。

 自分よりも弱い相手、立場が下の相手にしか喧嘩を売れない。

 ようは、ストレスの発散をしたいだけだ。

 リーチェで上官だった男を思い出す。

 やがて男は舌打ちしながら目を逸らすと、テーブルへ戻って行った。


「ほらよ」


 バーテンは鍵を放り投げる。


「出入りは裏口から頼む。二階の一号室だ。『一部屋一晩』銀貨五枚」


 ビンセントはポケットから銀貨を取り出すと、カウンターに置いた。

 

 客の小柄な男が下卑た笑みを浮かべる。


「女を連れ込むなら、四軒先だぜぇ! 『うさぎ亭』にゃババァしか居ないけどな! ヒャハハハハ!」


 娼館があるらしい。

 もちろん、そんな金はない。ついでに言うと度胸も無い。

 ビンセントは身体の火傷について触れられるのが、何よりも嫌なのだ。

 女性に肌を晒すことは、どうしてもはばかられた。


 なんともはや、ろくでもない町である。素敵すぎる。

 サラが良くなったら、すぐにでも出て行くのが良いだろう。未成年者には刺激が強い。


 ◇ ◇ ◇


 病院の待合室に戻り、カーターに声をかける。


「サラさんの様子は?」


「ま、一晩様子見だ。どんな医者も病気をポン、と治せる訳じゃねぇ。魔法じゃあるまいし」


 その回復魔法の術者が病気なので、如何ともしがたいのは皮肉である。

 高度な魔力制御を身につければ自分自身の回復も可能だというが、子供のサラには酷な話だ。

 回復魔法は、原則的に自身には使えない。そう思ったほうが良い。


 病院にベッドの空きは一つだけ。残れるのは一人だけだ。


「じゃ、行くか」


「おう」


 カーターは立ち上がる。

 しかし、イザベラが袖を掴んだ。


「待て、カーター。……悔しいが、私よりもお前がサラ様の側に付くほうが良い」


「イザベラさん?」


「子供には、よくあることなのだろう? 末っ子の私より、慣れたお前のほうが……」


 イザベラは悔しそうに視線を下ろし、唇を噛んだ。


「ま、そういうことなら」


 カーターはにやりと微笑む。

 こんな時なのに、何だか嬉しそうだ。

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