第22話 第三の男

 ビンセントがオムライスを食べ終わってコーヒーを飲んでいる時、イザベラは五杯目のパフェを待ちながら考えていた。


 ――この後、どうするべきか。


「ま……まだ食べるんですか?」


「まだ四杯ではないか。お前は食わんのか?」


「お、俺はその、あ、甘いものはちょっと」


 イザベラはサラに目を向ける。


「サラ様、本当にもうよろしいのですか? ビンセントの奢りですよ。私など、こういったものは一年ぶりです」


 ビンセントに奢られる立場とは言え、この位は問題ないはずだ。それほどケチな男ではない。


「わたしは……もう、その、お腹いっぱいだー?」


 あまり安いものを頼んでもプライドを傷つけてしまうので、配慮が必要だった。じつに面倒である。


「この非常時にカロリー云々は、ナンセンスですよ? 廃坑での飢えをお忘れですか?」


「うん……いいんだー」


 サラはビンセントに視線を向けた。彼はなぜかカップを持つ手が震えている。昨日までの疲れが抜けていないようだ。


 ビンセントはもう片方の手で、しきりにズボンの尻ポケットをまさぐっている。


「どうしたビンセント。痔か?」


「いえ……な、何でもないです」


 目が死んでいるのはいつものことであり、イザベラはもう慣れていた。

 ビンセントの目つきは、もはや生まれつきとしか思えない。

 なぜか額に汗が浮かんでいるが、店内はさほど暑くはないはずだ。にも関わらず、震えている。


「暑いのか、寒いのか、よくわからんやつだな。私はおしっこしてくるから、サラ様を頼むぞ」


「はい……」


 ◇ ◇ ◇


 イザベラがトイレから出ると、ビンセントはカウンターでエミリーに頭を下げ、手を合わせていた。エミリーは呆れたような表情だ。


「まったく、サラ様から離れるなと言ったのに……使えんやつだ」


 サラは窓の外を眺めながら足を揺らしている。異常なし。イザベラは胸を撫で下ろした。


 ノース・シーのパフェは素晴らしい。物資が足りていないだろうに、工夫で補い、バリエーション豊かだ。いくらでも食べられる。


 さっきのストロベリー・パフェなど絶品だった。高級食材にも引けを取らない。シェフの腕が良いのだろう。

 ビンセントも頼めばよかったのに、もったいないものである。

 甘いものが苦手と言っていたが、もったいない。


 席に戻ると、コーヒーが湯気を立てている。


「さすがにコーヒーは代用品か」


 ふらふらとビンセントが戻ってきた。その目はまるで幽鬼だ。


「健康には……良いそうですよ……」


「タンポポの根だそうだな」


「コーヒーは、いまや貴重品ですから……」


 それよりも、イザベラは腹を立てていた。

 ビンセントは、イザベラが化粧をしたのに気付きもしないのだ。その上レディのエスコートという概念がまるで無いようである。おかげでこちらが恥をかいてしまった。


 しょせん、ビンセントは平民であった。

 エミリーが食器の用意をする度に胸元に視線が行くのも下品この上ない。


「エイプルでは栽培できないからなー。仕方ないよなー」


 サラはコーヒーにミルクと砂糖を投入しようとするが、ビンセントが止めた。


「サラさん、それは合成甘味料ですから、入れすぎると苦くなって飲めませんよ」


「そうなのかー?」


「砂糖も貴重品ですからね。最近はどこもこれです」


 合成甘味料。これもまたジョージ王の発明とされ、砂糖の数百倍の甘みがありながら、そのカロリーはゼロ。風味は劣るが、素晴らしい発明だ。


 ちなみに、ビンセントが頼んだオムライスもジョージ王がレシピを考案した。

 元々エイプルには米食の文化がほとんど無かったのである。たまに米を食べても、あくまでも野菜の一種といった扱いであった。

『妙な呪文を唱えながらケチャップで絵や文字を書く』文化もジョージ王が始めたらしい。

 イザベラやビンセントが生まれた頃には、すでに一般化していたようだ。


「お待たせ!」


 エミリーがテーブルにパフェを並べる。数は三つ。


「あれ? 俺、頼んでないけど……」


「たくさん頼んでくれたんだもの、私の奢りよ」


 エミリーがビンセントにウィンクする。


「あ、ありがとう……!」


 これでまたイザベラは腹を立てる。


 鼻の下を伸ばして、情けないことこの上ない。

 イザベラは溜息をついた。恥知らず、ここに極まれり、といったところだ。


「フン! 貴様も所詮ちんこ人間か。これだから平民は下品で好かん」


「確かにち○こはありますが……ここは飲食店ですのでお控えいただければ」


 当のビンセントは、手のひらを返したようにパフェを食べている。

 甘いものが苦手ではなかったのか。


 ◇ ◇ ◇


 カラン、とドアベルの音が響いた。

 入ってきたのはくたびれた背広姿の中年男性だ。手には新聞。いかにも仕事中のサラリーマンといった風体だが、鋭い目つきが印象深い。


 隣のボックス席、つまりイザベラの背中合わせになる席に男は横向きに掛けた。

 アイスコーヒーを頼み、新聞を広げる。


 新聞で顔を隠したまま、男は言う。


「チェンバレン様。政府の者です」


 イザベラが振り向こうとするのを男は止めた。小声で続ける。


「そのままお聞きください。前を向いて……」


 イザベラは前に向き直る。

 ビンセントたちも黙り、聞き耳を立てていた。


「首相からの伝言です。サラ殿下を連れてカスタネへお越しください」


「カスタネだと?」


 カスタネの町は、エイプル王国を南北に分断するブラシカ山脈の麓に位置する。

 山脈の南、東の端近いフルメントムからは一週間ほどの距離だ。南に下れば中立国、アリクアム国境もほど近い。


「亡命する、ということか」


 皮肉なことに、記事通りにするようだ。


「状況次第ですが、場合によっては。しかし、現在鎮圧作戦の準備も行っております」


 男は続ける。


「資金も用意しました。途中何か所か、我々エイプル正統政府の連絡員を配置してありますのでご安心ください」


 ケラーが生きている。新聞でその事は知っていたものの、現在の状況は不透明だった。

 最悪の場合は亡命という形をとる事になるが、軍の指揮系統が健在なら、反乱軍の鎮圧も可能だ。

 サラの保護が最優先だが、イザベラとビンセントだけでは限界がある。


 男は立ち上がると化粧ポーチをイザベラに渡す。


「化粧ポーチを落としましたよ、お嬢さん」


 化粧道具の触り心地ではない。

 男の言葉通りなら、現金と思われた。そのまま会計を済ませ、男は出ていく。

 パフェは今来たので最後にする。機会があればまた来たいものである。

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