第21話 ニュース

「人んの新聞に何やってんですか……」


 翌朝、教会の食堂。

 イザベラが今朝ポストに届いたばかりの新聞を引き裂き、丸めて床に叩きつけたのだ。

 ビンセントは新聞を拾い、丁寧にシワを伸ばす。

 子供たちの教育のため、新聞は大切らしい。ちなみに他の子供たちはまだ寝ている。


「ほっとけー」


 サラは折込広告に夢中だ。どこでも子供はなぜか折込広告が大好きだ。本誌よりも賑やかだし、裏に落書きができるからだろう。

 ビンセントの妹もそうだった。いや、今でもそうだ。


 惜しむらくは物資不足の折、チラシは両面印刷され、紙質も昔より悪くなっているので落書きには適さない。


「ビンセント! 貴様それを見ても同じことが言えるのか! このウンコマン!」


 クシャクシャで読みづらい新聞に目を落とす。



 週刊 エイプル新聞


『サラ王女、留学へ』

 サラ・アレクシア・マリア・クリス・アル・エイプル王女殿下が、中立国アリクアム共和国へ留学のため出発した。五年間、神学を学ばれる。


『ケラー首相辞任』

 幼少のサラ王女の摂政として王国を治めたニコラス・ケラー首相は、健康上の理由で内閣総辞職した。ジェシー・ロイ氏が後任として首相に就任の見込み。


『エイプル城で爆発事故、ガス漏れが原因か』

 エイプル城で、一日未明、大規模な爆発事故が断続的に発生した。ガス漏れが原因で、近衛騎士団などにかなりの死傷者が出ている。復旧の目処は立っておらず、周辺への一般市民の立ち入りは規制されている。


『クレイシク王国およびピネプル共和国と停戦交渉開始』

 外務省は、大陸戦争における交戦国、クレイシク王国およびピネプル共和国との停戦交渉に乗り出すと談話で発表した。


『童貞治療薬、開発断念』

 マスカ製薬は成人男性の性交渉未経験を改善する新薬の開発を無期限で凍結した。技術的な困難が大きいため。



「はぁ、総理が生きてたようです」


「違う! そんなのはどうでも良い!」


 イザベラがビンセントの襟首を掴んで頭を揺する。やめてほしい。

 自国の総理をそんなの呼ばわりして良いのだろうか。近衛騎士なのに。


「停戦交渉開始だそうで」


「私が怒っているのはそこでもない! 童貞治療薬なんてただの補助金詐欺だ!」


 四年も続いた戦争が終わるかもしれないのだ。とても嬉しいニュースだと思うのだが。

 イザベラの瞳には悔し涙が浮かんでいる。


「悔しくはないのか! こんな……こんな……!」


 顔は見えないが、涙が床に溢れ落ち、鼻をすすりだした。

 言いたいことはビンセントにもわかっている。


 クーデター部隊との戦闘は事故として処理された。

 少なくとも、国民の間ではそういうことになったのだ。 

 イザベラの肩が震える。ビンセントの襟を掴む両手に入る力が強まった。

 どう言葉をかけたら良いか、よくわからない。下手な慰めは逆効果だろう。

 僅かな逡巡の末、考えても無駄だと思い、素直に思ったままを言うことにした。


「そんなこと言われても……サラさんは今、現にここにいますし、エイプル城での戦いはイザベラさんが現場に居たでしょう? それ以上、何があるんです」


 手の力が緩んだ。

 その時、バタリと音を立ててドアが開き、無駄に爽やかな声が響いた。


「帰ったぜ相棒! 朝のジョギングは最高だハッハッハ……ああ?」


 カーターと目が合う。

 この体勢は誤解を招きかねない。

 イザベラは、急に顔を赤くすると、ビンセントの襟から手を離した。


「すまんな、邪魔をした。そうか……やはりそうだったのか! ハッハッハ、俺はもう一周してくる! うまくやれよ相棒!」


 カーターはものすごい速度で走り去る。


「――――!」


 何か叫んでいたようだが、あまりの速さに聞き取れない。


「カ、カーター! これは違う、私の話を!」


 イザベラの叫びはカーターには届かない。

 視線を折込広告に向けたまま、サラが言った。


「つまりはそういうことなんだよー。人は見たいものだけ見たいように見ちゃうんだー。こうやって情報は操作されるものなんだなー。それに新聞なんて、スポンサーに都合の良い事書くに決まってるだろー。正確なのはチラシだけだなー」


 サラが差し出した折込広告は、エミリーが働いている店のものだ。



『新しいパフェはじめました』



「危険です! サラ様は追われる身……!」


「だったら引き篭もってろってかー? エミリーに迷惑かけるぞー」


「しかし!」


 構わずにビンセントは、エミリーが作り置きしてくれた食事を頬張る。

 目玉焼きとサラダ、ミルク。美味いのだが、物足りない。急にお邪魔してしまった以上、食料が足りないのはやむを得ないだろう。


 とはいえ後方の、食料の比較的豊富な農業地帯だから言える訳で、前線の事を思えば贅沢は言えない。停戦交渉が始まったとは言え、すぐに軍が引くわけではない。


 今も前線には多くの将兵が張り付いており、塹壕の中で薄暗い空を見上げているはずだ。

 前線の食事は、とても食事とはいえない。


「ビンセント! お前も何とか言ってくれ!」


「はぁ」


 イザベラが珍しくすがってくる。

 確かに危険かもしれない。しかし、よく考えればすでにサラは留学したことになっている。服装もその辺の小学生でも通る気もするし、何よりいつまでも教会に厄介になっているわけにも行かない。


 エミリーの働き先はカフェだ。定食の類もあるだろう。資金は心細いが、このくらいはポケットマネーを当てても良い。

 結局、カーターの帰りを待ち、町の様子を聞いて判断することになった。


 ◇ ◇ ◇


「町の様子? フツーだぜ、フツー! 店に行くならエミリーも大歓迎だろうよ!」


「だってー」


 カーターの言葉に、サラはしたり顔だ。

 ビンセントは、カーターも一緒にどうかと誘ってみたが、体よく断られた。カーターは耳打ちする。


「俺だって邪魔するほど野暮じゃねえ。上手くやれよ、相棒!」


「だからそれは誤解だと……」


「いーんだ、みなまで言うな! じゃあ俺はトレーニングがあるから! それに、もうすぐ子供たちも起きる時間だしな! その前にひとっ走りだ!」


 三たび、カーターは走り去った。まるで、のように。


 ◇ ◇ ◇


 のどかな田園風景を歩くことしばし、中心市街にたどり着く。

 小さな町だが、休日の商店街は賑わっている。都会では物資不足が深刻だが、この町は農産物だけはどうにか賄えている。

 それでも若い男性は少ない。多くが徴兵され、軍務に就いているからだ。


 エミリーの店は、商店街の中ほどにある。

 ビンセントが最後に来たのは、もう二年ほど前になるが、店構えそのものはあまり変わっていない。レンガ積みの2階建てで、大きな看板が出ている。


 カフェ・ノース・シー。エミリーの務めている店だ。入り口には、『パフェあります!』と張り紙がある。


 サラの手を引くイザベラが、ドアの前で立ち止まった。ちらりとビンセントに目をやる。


「……入らないんですか?」


 イザベラは少し肩を落とした。


「ブルースー。イザベラがドア開けて欲しいってー」


「え? なぜですか?」


 よくわからないがドアを開けると、イザベラは先に入っていった。


「おかえりなさいませ! お嬢様!」


 エミリーが出迎えた。

 エミリーの制服は黒いミニのエプロンドレスに、黒のストッキングはガーターベルトで吊られている。髪はヘッドドレスで纏めていた。

 三十年ほど前から急速に流行しだした服らしい。

 このスタイルは『メイド服』と俗に呼ばれるが、こんな服装のメイドは貴族の屋敷にはいない。

 基本的には一部の飲食店などで使われるに留まるが、客の入りがまるで違うらしい。


「……? ここは私の家ではないぞ」


「マニュアルで決まってまして……あ、ブルース君も来てくれたんだね」


 店内はそこそこ人が入っている。カウンターのほか、ボックス席が十ほど。


「あそこあいてるよ!」


 エミリーに先導されて、窓際のボックス席へ。

 ここへ来てイザベラがまた立ち止まった。


「座らないんですか?」


 サラがビンセントの袖をちょいちょいと引っ張った。


「椅子ひいてやってー」


「はぁ?」


 別に好きなように座れば良いと思うのだが、とりあえずビンセントが椅子を引くと、やっとイザベラは腰を下ろした。


「どうしたんですか? イザベラさん」


「少し黙れ。幼稚なやつだな」


 怒らせてしまっただろうか。何も変なことはしていないはずだ。

 ビンセントの対面にイザベラが、隣にサラが掛ける。

 メニューを眺める。パスタにしよう。


「すいませ――」


 サラが袖を引っ張る。


「一緒に頼まなきゃだめだよー。でも、イザベラを奥に座らせたのは良いぞー。会計はイザベラが席を外した時に行くんだぞー」


「はぁ。何なんですか、さっきから」

 


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